日本高速戦艦 榛名
「日本高速戦艦 榛名 (プラモデル) (ハセガワ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.111 )」です
●太平洋戦争時における日本海軍の戦艦「榛名」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット
●高速航行を持ち、高い汎用性から太平洋戦争を通じ常に第一線で運用された戦艦「榛名」を再現、スマートな船体に日本独特の戦艦様式となった積み上げ式の艦橋を装備し、船体前後に主砲塔を2基ずつ配置した均整の取れたシルエットを再現した内容となっています
【 「日本高速戦艦 榛名」のキット内容について 】
●日本海軍の戦艦「榛名」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ハセガワ社らしいカッチリとしたモールドにより戦艦「榛名」を再現、ディテールを重視しながらもコレクション性と作りやすさを考慮し、パーツ数を抑えて「戦艦 榛名」を再現した内容となっています
●戦艦「榛名」は太平洋戦争開戦後も度々対空兵装の増強が行なわれており、キットは1944年7月から1945年春ごろまでの対空兵装強化時の姿が表現されています
●艦体喫水線から上の部分が再現された洋上モデルです
●「戦艦 榛名」の船体部は、船体と船底部とで上下にブロック分けしたパーツ構成で、これに艦橋などの上部構造物、主砲塔をはじめとした各艤装類を取り付ける構成となっています
●船体部には、長船首楼甲板、上甲板、航空機作業甲板が一体成型して再現されています
・ 船体には、舷側のバルジ部分が再現されており、舷側の舷窓、主錨、副錨などのディテールが凹凸あるモールドで再現されています
・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本躯体の他、ボラード、昇降口、天窓、リールなどの細かなディテールが凸モールドで再現されています
・ 航空機作業甲板には、リノリウム押さえ、航空機用軌条、ターンテーブルのディテールが繊細な彫刻で再現されています
・ 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「測距儀台座部」「煙突部」「後部構造物」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「戦艦 榛名」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は8層で構成され、トップの「94式測距儀」は別パーツ化して再現しています
・ 艦橋構造物の各艦橋窓は、窓の部分が一段凹んだ状態で再現されています
・ 艦橋部分を構成する、「21号電探」(×1)、「方位測定器」(×1)、「94式4.5m測距儀」(×2)、「25mm連装機銃」(×2)、「25mm3連装機銃」(×4)、「60cm探照灯」(×2)などが別パーツ化されています
● 煙突
・ 煙突の本体部分は左右に分割したパーツ構成で、煙突トップは別パーツ化されています
・ 各副管は煙突本体のパーツ上に凸モールドで再現されています
・ 煙突部の探照灯、機銃の各台座は、台座ブロックごとにパーツ化されています
・ 探照灯、機銃台座の支柱部分には、トラス構造がモールドで再現されています
・ 煙突部に装備される「110cm探照灯」(×2)、「25mm 3連装機銃」(×4)が別パーツ化
●測距儀台座
・ 艦体中央部の測距儀台座は、支柱部分を前後に分割したパーツで構成され、これに上部のスポンソンを取り付けます
・ 支柱部分には、トラス構造がモールドで再現されています
・ 装備される「94式高射装置」(×2)は、別パーツにて再現
●後部艦橋
・ 後部艦橋は左右に分割したパーツ構成で、これに個別にパーツ化されたスポンソンを取り付けます
・ 艦橋側面には舷窓や、手摺り兼足掛けなどが繊細なモールドで再現されています
・ 後部艦橋に装備される、「25mm 3連装機銃」(×6)が別パーツ化
●後檣
・ 後檣は、下部が3脚檣型で上部は単檣型となります
・ 3脚檣部分は前後に分割したパーツ、単檣部分は一体成型となったパーツで構成されています
・ 後檣の機銃スポンソンは別パーツにて再現
・ 後檣に装備される「25mm 3連装機銃」(×2)が付属しています
●カタパルト「呉式 2号5型射出機」 ×1
・ カタパルトは一体成型のパーツで、トラス構造の側面部は凹凸あるモールドで再現されています
●主砲塔部「45口径 41年式 36cm連装砲」 ×4
・ 主砲塔は一体成型のパーツで再現、これに連装状に一体成型された砲身パーツを取り付けます
・ 砲身には外トウ砲の装着リングがモールドされています
・ 測距儀、機銃のブルワークは別パーツとなっています
・ 砲塔に装備する「25mm 連装機銃」(×4)が別パーツ化
・ 砲塔は旋回させることができます
●副砲「50口径 41式 15cm単装砲」 ×8
・ 砲塔部分と砲身部とを一体成型したパーツで再現されています
●高角砲「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×6
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体とで構成、砲身部分は連装状に一体成型されています
●対空機銃
・ 「25mm 連装機銃」 ×6 (艦橋、主砲塔に配置)
・ 「25mm 3連装機銃」 ×20 (艦橋、煙突、後部艦橋などに配置)
・ 各機銃は一体成型となったパーツで再現されています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 内火艇 ×2
・ 内火ランチ ×2
・ カッター ×6
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦尾旗竿
・ クレーン
などがセットされています
●艦載機として
・ 零式水上偵察機 ×3
が付属、胴体、フロートに分割したパーツ構成となっています
●「戦艦 榛名」が記載されたネームプレートが付属
・ ネームプレートの名はデカールで再現します
●艦尾の軍艦旗、艦載機の日の丸マーク、偏流測定線、機体番号などを再現したデカールが付属しています
【 「日本高速戦艦 榛名」のパッケージ内容 】
・ 日本海軍 戦艦 榛名 ×1
・ 零式水上偵察機 ×3
・ デカールシート ×1
・ ネームプレート ×1
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【 「戦艦 榛名」について 】
●日露戦争以前、日本海軍の大型艦は海外に発注されていましたが、日露戦争以後は国内での建造が中心となっていました
●しかし、1906年に竣工したイギリスの戦艦「ドレッドノート」は、主砲、副砲、中間砲という多種の砲を搭載する従来の戦艦形式とは異なり、主砲を主体とした武装配置により高い攻撃力を持ち、この「ドレッドノート」の登場により、それまでの艦は一挙に時代遅れとなります
・ これまでの戦艦は「前ド級艦」、「ドレッドノート」と同等な性能の艦を「ド級艦」、そして全ての主砲を中心線上に配置して更に砲撃力が向上した艦を「超ド級艦」と呼びます
●日本海軍はこの流れを踏まえ、1911年に新型の巡洋戦艦「金剛」の建造を当時同盟関係にあったイギリスへと発注、これにより「超ド級艦」の建造技術の獲得を図り、イギリスから取り寄せた「金剛」の設計図を元にして日本国内でも同型艦3隻を建造します
●「榛名」は、巡洋戦艦「金剛型」の3番艦として1912年に起工、1915年に竣工しました
●建造された巡洋戦艦「金剛型」の4隻は、当時世界最強の艦隊と言われ、第1次世界大戦においては、イギリス海軍から借用の要請があったほどです
・ 「巡洋戦艦」は、第2次世界大戦では戦艦よりも格下と見られますが、当時は「戦艦の火力」と「巡洋艦の速力」を兼ね備えた、戦艦よりも上位の艦という存在でした
・ さらに、「巡洋戦艦」は高速性能を発揮するために船体は細長くなっており、艦の大きさからも通常の戦艦よりも上位の艦となります
●当時の艦の建造技術と、艦の能力の発達は著しいものがあり、1920年から1930年にかけて巡洋戦艦「金剛型」は第1次近代化改装を実施、これにより主砲の射程が伸び、防御力が強化され、機関出力も向上しましたが、速力は低下したために従来の巡洋戦艦から戦艦へと艦種が変更されました
●しかし、1933年から実施された第2次近代化改装では、大幅な機関出力の増強と、艦尾の延長化が行なわれ、30ノットという速度を発揮する高速戦艦として生まれ変わります
●この高速性能は、航空機の発艦のために速度を要求される空母機動部隊に随伴するのに極めて適しており、さらに作戦運用上から駆逐艦との連携が行いやすく、戦艦「金剛型」は日本の戦艦としては艦齢が最も古かったものの、戦艦戦力として常に第一線で奮戦することになったのでした
●太平洋戦争の開戦すると、「榛名」は僚艦「金剛」と共に南方攻略作戦の支援部隊の主力として行動、フィリピンなどの上陸作戦の支援に当たります
●その後、機動部隊に編入されてインド洋沖海戦に参加、この海戦では「金剛型」戦艦の4隻が揃った最後の舞台となりました
●1942年8月、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸、日本軍が建設中の飛行場(占領後に「ヘンダーソン飛行場」と名が付けられる)を占領し、日米の戦いの焦点は、このガダルカナル島を中心としたソロモン海域となります
●1942年10月、「榛名」は「金剛」と共に挺身攻撃隊としてガダルカナル島沖へと突入、同島のヘンダーソン飛行場に砲撃を加え、同飛行場の機能を一時的にマヒさせることに成功、アメリカ軍側に大きな損害を与えました
・ 同年11月に同様な作戦によってガダルカナル島沖に突入した僚艦「霧島」「比叡」は、アメリカ艦隊と壮絶な夜間砲撃戦を展開、3日間の戦闘でアメリカ艦隊に大きな損害を与えますが、両艦共に戦没してしまいます
●「榛名」は、その後に空母機動部隊の直衛艦となりますが、肝心の空母は艦載機の損失が大きく、戦力の補充と搭乗員の練成に時間が取られ、大きな作戦行動が行われることはありませんでした
●日本軍が防戦一方となった戦争後期の1944年6月、絶対国防圏と設定したマリアナ諸島にアメリカ軍が上陸を行ないます
●これを撃退するために、連合艦隊が、その持てる艦隊航空戦力の全てを投入した「マリアナ沖海戦」が発生、「榛名」も機動部隊の護衛として参加します
●しかし、彼我の戦力の差は圧倒的で、海戦は日本海軍が完敗する結果となってしまいます
●「榛名」も直撃弾2発の損害を受け、内地での修理が必要となり、それに合わせて対空兵装の増強が行なわれました(本キットは、この対空兵装強化時の姿を再現しています)
●1944年10月には、フィリピンのレイテ島にアメリカ軍が上陸、フィリピンを失うことは南方からの物資の輸送路を失うことを意味しており、日本陸海軍は総力を挙げてアメリカ軍の撃滅を図ります
●マリアナ沖海戦の敗北後、日本海軍の艦隊航空兵力は極めて脆弱であり、空母機動部隊を囮として使用、アメリカ空母機動部隊が囮に攻撃を加える隙を突く形で、水上戦力での決戦を挑むという作戦を決行しました
●「榛名」は、水上戦力の主力艦隊である「栗田艦隊」へと編入、同艦隊は数度の空襲と潜水艦の攻撃による落伍艦を出しながらもレイテ島沖に到達、遂に護衛空母から成るアメリカ機動部隊を捉えることに成功します
・ アメリカ機動部隊は、護衛空母からなる艦隊で、その護衛も駆逐艦を主体とした弱戦力でしたが、駆逐艦、護衛駆逐艦は煙幕を展開しながら果敢に反撃、護衛空母も艦載機を緊急発進させ、護衛空母「ガンビア・ベイ」などが撃沈されるものの多くが退避してしまいます
・ この際、アメリカ機動部隊の護衛の駆逐艦による捨て身の攻撃や、航空機による攻撃により損害が続出、さらに「栗田艦隊」は護衛空母を正規空母と誤認した上に、煙幕などにより戦果も拡大解釈、一定の戦果を与えたものと判断して、戦場を後にしました
●結局、日本海軍のレイテ沖海戦と、日本陸軍によるフィリピン戦による敗北によってフィリピンはアメリカ軍に占領、南方への輸送路を断たれた日本国内は艦船用の燃料が枯渇してしまい、大型艦艇の作戦運用は極めて制限され、「榛名」は呉に停泊して浮き砲台として使用されます
●1945年7月、アメリカ軍艦載機による呉大空襲の際、「榛名」は対空砲火で応戦するものの、20発以上の爆弾を被弾して大破、港内で着底してしまいます
●「榛名」は、この大破着底の状態で終戦を迎え、戦後の1946年に解体、永きに渡る栄光の生涯を閉じたのでした