日本重巡洋艦 那智
「日本重巡洋艦 那智 (プラモデル) (ハセガワ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.334 )」です
●太平洋戦争時における日本海軍の重巡洋艦「那智」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット
●強力な兵装を擁し、日本海軍の重巡洋艦の基本スタイルを確立した重巡洋艦「妙高型」の2番艦「那智」を再現、5基の主砲塔を背負い式に装備し、引き締まった艦橋構造物を持つ、スマートながら重厚なシルエットを再現した内容となっています
●ハセガワ社製「日本重巡洋艦 妙高」とは、艦橋の側部のブルワークの有無(「那智」は無し)、艦橋トップの主砲射撃指揮装置、後檣の上部構造、クレーン形状などが異なり、「那智」専用のパーツがセットされています(「日本重巡洋艦 妙高」とは同時発売です)
【 「日本重巡洋艦 那智」のキット内容について 】
●日本海軍の重巡洋艦「那智」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ハセガワ社のウォーターラインシリーズのフォーマットに沿って重巡洋艦「那智」を再現、実艦の細部表現を重視しながらパーツ数を抑えて作り易さも考慮されており、同スケールにおける艦船模型としてのバランスが取れた内容となっています
●「那智」は太平洋戦争中、改装により対空兵装の増強が行われており、本キットでは1939年の第2次近代化改装時(太平洋戦争開戦時)の姿と、対空兵装が強化された1944年の最終時の姿とを選択して作製することができます
●艦体喫水線から上の部分が再現された洋上モデルです
●「那智」は、上甲板及び船体部を上下に分割ブロック化したパーツ構成となっています
●船体は、左右に分割したパーツで構成
・ 船体側面には、バルジ、シェルター甲板の側面が一体成型され、舷外電路、プロペラガード、舷側の舷窓、フェアリーダーなどのディテールが再現されています
・ 側面の魚雷発射口が開口されています
・ 船体には歪みを防ぐ桁のパーツが付属しています
・ 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板は、シェルター甲板も含めて全通式に一体成型のパーツで再現
・ 甲板上には、主砲塔台座、リノリウム押さえ、滑り止め、航空機軌条などの基本躯体の他、リール、ボラード、昇降口などの細かなディテールが再現されています
・ 魚雷発射管は上甲板裏側に接着し、魚雷発射口から見える状態を再現
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「高角砲部」「カタパルト部」「煙突部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「那智」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は、6層で構成され、各層を積み上げることにより艦橋を完成させます
・ トップの主砲射撃指揮所は別パーツ化して再現しています
・ 艦橋は、第2次近代化改装時の羅針艦橋下部に張り出した艦橋が装備された状態と、最終時における艦橋上部に防空指揮所が設けられ、張り出し艦橋が撤去された状態とを選択して作製することができます
・ 艦橋の窓枠は、窓の部分が一段凹んだ状態で再現
・ 艦橋構造物の下部は分割されたパーツ構成により前部の窓、管などが再現されています
・ 艦橋を構成する、「3.5m測距儀」(×2)、「60cm探照灯」(×2)、「測的盤」(×2)、「91式高射装置」(×2)、「22号電探(最終時)」(×2)、「25mm連装機銃(最終時)」(×2)、「13mm連装機銃(第2次近代化改装時)」(×2)などが別パーツ化されています
●メインマスト
・ メインマストは三脚檣型で、前後に2分割したパーツ構成で再現しています
・ メインマストは、第2次近代化改装時と最終時の2種のパーツをセット、選択して作製します
・ メインマストに装備される、「21号電探(最終時)」(×1)、「方位測定器(第2次近代化改装時)」(×1)が別パーツにより再現
● 煙突
・ 第1、第2煙突は左右に分割したパーツ構成で、トップは別パーツ化して再現しています
●後檣
・ 後檣は三脚檣型、トップは1本の単檣となっています
・ 後檣は三脚檣部分は前後で分割されたパーツ構成で、上部の単檣とヤード部はそれぞれ一体成型のパーツで再現されています
・ クレーンは別パーツ化して再現
・ 後檣は、第2次近代化改装時と最終時の2種のパーツをセット、選択して作製します
・ 後檣に装備される、「13号電探(最終時)」(×1)は別パーツ化
●機銃台座、探照灯台座部
・ 機銃台座部分は一体成型となっており、探照灯台座はスポンソンと支柱とに分割したパーツで構成されています
・ 探照灯台座の支柱にはトラス構造が彫刻で再現されています
・ 台座に装備される、「25mm連装機銃」(×2)、「110cm 探照灯(第2次近代化改装時)」(×2)、「95式機銃射撃指揮装置」(×2)が別パーツ化されています
●後部艦橋
・ 後部艦橋は2層のパーツ構成で再現されています
・ 後部艦橋に装備される、「主砲射撃指揮装置」(×1)、「25mm連装機銃(最終時)」(×2)などが別パーツ化して再現
●カタパルト 「呉式2号5型 射出機」 ×2
・ カタパルトは一体成型のパーツで再現されています
●主砲塔部 「50口径 3年式 20cm連装砲 D型」 ×5
・ 砲塔は一体成型のパーツで、砲身部分は1本づつ独立したパーツとなっています
・ 砲身部分には防水カバーのディテールが再現されています
・ 測距儀は別パーツ化して再現
●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 A1型改1」 ×4
・ 高角砲は、シールド部分と連装式に一体成型された砲身の2パーツで構成されています
・ 砲身基部には防水カバーのディテールが再現されています
・ 円形の高角砲台座が別パーツ化して再現しています
●魚雷発射管 「92式 61cm 4連装発射管 1型」 ×4
・ 魚雷発射管は一体成型のパーツで再現
●対空機銃(第2次近代化改装時) 「13mm連装機銃」 ×2、「25mm連装機銃」 ×4
●対空機銃(最終時) 「25mm3連装機銃」 ×4、「25mm連装機銃」 ×8
・ 各機銃は一体成型のパーツで再現
・ 「那智」の最終時に増設された機銃台座は個別にパーツ化されています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 9m内火艇 ×2
・ 9m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×4
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦尾旗竿
・ 錨
・ 菊花紋章
などがセットされています
●艦載機
・ 艦載機として「零式水上偵察機」(×1)、「零式水上観測機」(×2)が付属しています
・ 艦載機は、胴体、上部翼、フロートのパーツ構成となっています
●キットには、静岡模型教材協同組合「大型艦兵装セット」のランナーが2枚付属しており、高角砲、機銃、艦載機、カタパルト、内火艇などは同ランナーのパーツを使用します
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークなどを再現したデカールが付属しています
【 「日本重巡洋艦 那智」のパッケージ内容 】
・ 日本海軍 重巡洋艦 那智 ×1
・ デカールシート ×1
●2000年 完全新金型(ハセガワ社製「日本重巡洋艦 妙高」と同時発売)
【 「重巡洋艦 妙高型」について 】
●第1次世界大戦後の軍縮条約は1922年のワシントン軍縮会議と1930年のロンドン軍縮会議の2度に渡って締結されています
●この2度の軍縮会議は、ワシントン軍縮会議が戦艦などの主力艦艇の保有制限、ロンドン軍縮会議が巡洋艦以下の補助艦艇の保有制限が定められたものと認識されていますが、ワシントン軍縮会議では、巡洋艦は排水量10,000t以下、主砲は20.3cm以下の砲を搭載する艦として定義付けも行われました
・ 軍縮条約締結以前の艦種は、その国の海軍の「自称」によるもので、艦種を区別する明確な線引きはありませんでした
・ ワシントン軍縮会議では巡洋艦の定義付けが行われただけで、その保有制限はロンドン軍縮会議で決められています
●重巡洋艦「妙高型」は、このワシントン軍縮条約による巡洋艦の定義に従って設計された艦で、排水量10,000t、主砲として20.3cm砲を装備する巡洋艦として1924年から建造が開始されています
●重巡洋艦「妙高型」は、この後の日本海軍の艦艇設計に大きな影響を与えた造船技師「平賀譲」が設計した艦で、列強国と比べて劣勢な日本海軍が個艦の能力を引き上げるという要求を受けて、前型である重巡洋艦「古鷹型」を拡大、兵装を大幅に強化した艦となりました
●主砲は、「古鷹型」が20.3cm砲を6門(当初は5門)装備していたのに対して、「妙高型」では連装砲5基10門へと増強、魚雷兵装も倍増され、極めて強力な兵装を持つ巡洋艦となっています
●この重巡洋艦「妙高型」は、列強国の同クラスの巡洋艦と比較してもその兵装の強力さは突出しており、イギリス海軍の士官はその姿を見て「飢えた狼」と称する程でした
・ 「飢えた狼」とは、兵装を重視した艦としての褒める意味と、攻撃力を重視し過ぎているという蔑みの意味とが含まれているものと言われています
・ ただし、当時のイギリス海軍の艦艇は世界中で展開する必要から航洋性と居住性を重視しなければならないという事情があり、太平洋戦域だけでの運用を考慮した「妙高型」とは仕様が異なるのは当然とも言えました
●重巡洋艦「妙高型」は、その後の日本海軍の重巡洋艦の雛形となり、「高雄型」はその拡大型として建造、「利根型」「最上型」は大型軽巡洋艦として設計されているものの、その設計には「妙高型」が大きく影響しています
●重巡洋艦「妙高型」は、1930年代の中期と後期にかけて2回の近代化改装を受けており、対空兵装の強化、防御力と重兵装による重心の安定化を図ってバルジが増設、これにより排水量は14,000tへと拡大しました
●太平洋戦争開戦後の重巡洋艦「妙高型」の4隻は、重巡洋艦の主力として各地を転戦、その攻撃力を如何なく発揮して日本海軍の作戦行動を支える存在となっています
【 「重巡洋艦 那智」について 】
●重巡洋艦「那智」は、重巡洋艦「妙高型」の2番艦として1928年に竣工しました
●重巡洋艦「那智」は、その名前から神事に近く、1929年には戦艦「長門」と並んで昭和天皇が乗艦する御召艦としての役目を務めています
●太平洋戦争開戦後、重巡洋艦「那智」はフィリピン方面の攻略作戦に参加、1942年2月にはスラバヤ海戦において連合軍のABDA艦隊と交戦、壊滅的な損害を与えます
●1942年8月からは日米の戦いの焦点がソロモン海域へと移りましたが、アリューシャン方面も日米双方が艦隊を繰り出し、小さな規模ながらも戦いが行われていました
●重巡洋艦「那智」は、このアリューシャン方面に展開する第5艦隊の旗艦となり、1943年3月にはアッツ島沖海戦においてアメリカ艦隊と交戦、小破する損害を受けます
●1944年10月、台湾沖航空戦で大きな戦果を挙げたと判断した日本海軍は、第5艦隊(「志摩艦隊」)に甚大な被害を受けたアメリカ機動部隊の掃討作戦を命令、重巡洋艦「那智」はアメリカ機動部隊を追って出撃します
●しかし、台湾沖航空戦の戦果は全くの誤報で、それを知った「志摩艦隊」はアメリカ機動部隊の反撃を振り切って台湾へと入港しました
●「志摩艦隊」は、台湾入港から直ぐに出撃してレイテ沖海戦に参加、重巡洋艦「那智」を旗艦とする「志摩艦隊」は、フィリピン南方からレイテ島を目指す「西村艦隊」の後を追うように進みます
●しかし、この「西村艦隊」は「栗田艦隊」の指揮下となっているのに対して、「志摩艦隊」は南西方面艦隊の指揮下にあり、指揮系統が異なるために全く連携が採られていませんでした
●「西村艦隊」がレイテ島のスリガオ海峡に突入、待ち受けていたアメリカ艦隊の猛攻を受けて壊滅的な損害を受けます
●その時点で、海峡に突入したのが「志摩艦隊」で、「西村艦隊」の残存艦艇と連携が行えず、重巡洋艦「那智」は「西村艦隊」の重巡洋艦「最上」と衝突、アメリカ艦隊の強大さから本格的な戦闘に入る前に「志摩艦隊」はそれ以上の突入を断念しました
●アメリカ軍機の攻撃を受けながらも「志摩艦隊」は、「栗田艦隊」と「西村艦隊」の落伍艦を拾ってマニラに到達、衝突により破損した重巡洋艦「那智」は修理を受けます
●しかし、フィリピン全土の奪還を目指すアメリカ軍は西進を続け、マニラも安全な場所ではなくなり、1944年11月にアメリカ機動部隊の艦載機によって大規模な空襲が行われ、重巡洋艦「那智」は多数の爆弾、魚雷を被弾、マニラ湾においてその姿を波間に消したのでした