日本海軍 戦艦 山城 昭和19年
「日本海軍 戦艦 山城 昭和19年 (プラモデル) (フジミ 1/700 特シリーズ No.072 )」です
●「日本海軍戦艦 山城 昭和19年」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の「戦艦 山城」の「1944年時」の姿を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●帝国海軍の砲戦主力艦として運用された「戦艦 山城」を再現、日本の戦艦として最大の高さを誇った積み上げ式の艦橋を持つ艦影に、多数の機銃を配置した迫力ある姿が表現されています【 「戦艦 山城」について 】
●1906年に竣工したイギリス海軍の「戦艦 ドレッドノート」は、それまでの戦艦が主砲の他に副砲、中間砲というハリネズミ式の武装配置をしているのに対し、単一口径の主砲をメインとした配置により強力な攻撃力を持つ革新的な艦となりました
●この艦の登場により、従来型の戦艦は一気に時代遅れとなり、各国は、この「ドレッドノート」に準じた「戦艦 ド級艦」を建造、更に主砲の全てを中心軸線上に配置した「超ド級艦」を続々と就役させました
●帝国海軍は、この「超ド級艦」の巡洋戦艦として「金剛」の建造をイギリスに発注、これにより建造のノウハウを取得し、続いて戦艦「扶桑級」の建造を開始、1915年に「戦艦 扶桑」、1917年に「戦艦 山城」を竣工させます
●この「扶桑型戦艦」は、当時の戦艦としては最大かつ最強を誇り、30,000tの排水量に「36cm連装砲」を6門搭載、「金剛級」の1.5倍の攻撃力を持っていました
●ところが、中央の主砲塔がボイラーを挟むように配置されていたために、艦の構造上、弾薬庫を分散配置させなければならず、また防弾機能の効率化という点からも防御力に難点が生じ、この問題は後年においても同艦の足枷となっています
●また、「扶桑型戦艦」の設計時には、時期的に世界の戦艦の設計に影響を与えた「ユトランド沖海戦」(1916年)の戦訓を取り入れることができず、長射程での砲撃戦を想定した水平防御(甲板部分)の能力が低く、この点において防御力不足が指摘されました
●「戦艦 扶桑型」建造後、当時の世界各国における戦艦の建造技術の進歩は目覚しいものがあり、建造当初は最強を誇った「扶桑型」も、その能力が急速に時代遅れとなって行きます
●このため「扶桑型戦艦」は竣工時から度々改装が行なわれることになり、1930年の第1次の大改装、そして1934年の第2次改装により、機関出力の増強と最大速度の増加、防御力の向上、そして主砲の最大射程の延長化が行われました
●また、艦橋構造物が大幅に増設され、艦橋の高さが50mにもなる艦影を持つことになり、これが「扶桑型戦艦」の最大の特徴となっています
●同型艦として建造された「扶桑」「山城」ですが、度重なる改装と、航空機の搭載方法の実験などにより上部構造物を中心として相違点が生まれ、艦影も異なるようになりました
●顕著な違いとして、「戦艦 山城」では第3番主砲塔は後方に向いているのに対し、「戦艦 扶桑」は前方に向いています
●また、この主砲塔の配置の違いにより艦橋構造物が「戦艦 山城」では垂直状に積み上がっていますが、「戦艦 扶桑」では途中で後方に張り出している姿となっています
・ その他に後部艦橋や探照灯台座の形状なども異なっており、甲板上の構造物は、「扶桑」と「山城」では別物と言っても良い程の相違があります
●太平洋戦争の開戦時、「山城」は「扶桑」と共に主力艦隊である「第1艦隊 第2戦隊」に所属、真珠湾攻撃部隊の支援や、東京初空襲時の迎撃任務に出撃した以外は内地に留まっています
●「ミッドウェー海戦」には警戒艦隊としてアリューシャン方面に出撃、接敵する機会は無く、作戦失敗の報を受けて帰投します
●その後、ガダルカナル島を巡ってソロモン海域で日米両軍の激突が繰り広げられますが、主力艦の温存方針と、「扶桑級」の速度と防御力の観点から前線投入は行われませんでした
●「扶桑」はトラック島方面に進出して前線への待機艦となりましたが、「山城」は内地に温存、実質的には練習艦として用いられ、更に1944年2月、正式に練習艦として登録されます
●1944年6月、アメリカ軍はマリアナ諸島のサイパンに上陸、同諸島を絶対防衛圏に設定していた大本営は連合艦隊に出撃を命じます
●連合艦隊はフィリピン南方で練成訓練をしていた機動部隊を中心とした主力艦艇を出撃、保有する艦上航空機隊の全てを投入した航空決戦「マリアナ沖海戦」に挑みます
●しかし、この頃の帝国海軍の航空隊は、度重なる消耗戦により練度が極端に低下、員数合わせのために十分な訓練を経ず実戦に参加する搭乗員も多く、アメリカ軍側の濃密な防御システムにより、航空隊は壊滅、この海戦は完敗に終わります
●1944年10月、フィリピン東部のレイテ島にアメリカ軍が上陸、フィリピンを失うことは太平洋戦争の開戦理由である南方からへの戦略物資(特に原油)が断たれることを意味し、日本軍は総力を挙げて防衛戦を展開しました
●連合艦隊は、「マリアナ沖海戦」の結果から、航空決戦を諦め、水上戦力による決戦を挑み、「レイテ沖海戦」が発生します
●この海戦では、空母機動部隊がフィリピン北方において行動し、アメリカ機動部隊を誘引、その間隙を衝いて主力部隊がレイテ沖へと進出し、アメリカ軍の輸送船団と護衛艦隊を壊滅させるという作戦でした
●「山城」は、「西村艦隊」に編入、同艦隊は主力となる「栗田艦隊」がフィリピン中央部を進むのに対して、フィリピン南方からレイテ沖へと侵入します
●同艦は、「西村艦隊」の旗艦となり、隷下にとして僚艦の「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦4隻の7隻で編成されていました
●「西村艦隊」は、アメリカ軍航空機の攻撃が空母機動部隊や「栗田艦隊」に集中している間、フィリピン南方を進み、レイテ沖の入り口となるスリガオ海峡に到達します
●同艦隊は、幾手に強力なアメリカ艦隊が控えているのを水上機の偵察により察知していましたが、「栗田艦隊」の行動が判明せず、そのまま夜間での突入を決行しました
●スリガオ海峡において、まず魚雷艇の攻撃を受けましたが、これを撃退、しかし多数の駆逐艦の魚雷攻撃を受け、「扶桑」は4本の魚雷を被弾、戦列から取り残されます
●他の艦も魚雷の被弾を受けながらもそのまま進行、ところがその前方にはアメリカ軍の戦艦、巡洋艦が「丁字型」に待ち構えており、レーダー照準射撃などにより「西村艦隊」を猛射します
●「山城」は怯まず応戦、敵艦の発砲光に向けて主砲を撃ち続けますが、優勢なアメリカ艦隊からの射撃により徐々に戦闘能力を喪失、更に魚雷の被弾により航行不能となりました
●それでも、同艦の搭載砲は最後まで射撃を続けましたが、遂に弾薬庫に引火、大爆発を起こし、万事窮してしまいます
●総員退艦命令が下された後、「山城」は転覆、その最期を遂げています【 「日本海軍 戦艦 山城 昭和19年」のキット内容について 】
●この帝国海軍の戦艦「山城」の「1944年」の状態を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●フジミ社製「特シリーズ」のフォーマットにのっとり、戦艦「山城」をディテール感豊かに再現、同艦の特徴である艦橋や後部艦橋、探照灯台座部分などの細かな造り、そして増設された機銃類がパーツ分割により表現されています
●戦艦「山城」の1944年における最終時の姿が表現されています
●キットは、フジミ社製 「日本海軍戦艦 山城 昭和16年」をベースとし、「1944年」の状態を再現するために、艦橋後部の櫓状構造物、艦橋トップの測距儀、砲塔の増設機銃座、後檣ヤード部分などを新規パーツに変更、増設機銃を追加した内容となっています
●艦体喫水線までが再現されたウォーターラインモデルです
●「戦艦 山城」の船体部は上下分割式で、これに「上甲板」「上部構造物」「各艤装類」を取り付ける構成となっています
●船体部には、副砲のデッキ部分が一体成型され、細部では舷側の舷窓、アンカーレセス、フェアリーダー、舷外電路などが再現されています
・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板は一体成型となっています
・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現、後部の航空機甲板のリノリウム表現などの基本躯体の他、ボラード、昇降口、通風筒、リールなどの細かなディテールが再現
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「煙突部」「後部構造物」「カタパルト部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「戦艦 山城」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は12層で構成され、トップには方位盤、10m測距儀が別パーツとなっています
・ 各艦橋の窓の枠がモールドされています
・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱及び櫓状の構造物が別パーツ化されています
・ 艦橋部分を構成する、「4.5m測距儀」×2、「94式高射装置」×2、「探照灯」×2、「25mm 3連装機銃」×2、「25mm連装機銃」×5、「12.7cm連装高角砲」×2、「21号電探」×1、「22号電探」×2、ラッタルなどがパーツ化されています
● 煙突
・ 本体部分は左右分割式で、上部の雨水カバー金網と整流板は別パーツとなっています
・ 雨水カバー金網は開口処理されています
・ 煙突周囲の各管はブロックごとの別パーツ
・ 煙突下部の構造物には機銃座が一体成型、側面には舷窓、扉がモールドされています
・ 煙突部の探照灯台座は、ブロックごとにパーツ化されています
・ 探照灯台座の支柱部分、機銃座の支柱は、トラス構造を再現、一部のトラスは開口処理済みです
・ 「110cm探照灯」×6(クリアーパーツ)、「25mm連装機銃」×2、「25mm 3連装機銃」×2、「機銃射撃装置」×2が付属
●後部艦橋
・ 後部艦橋の主要部は9パーツで構成されています
・ 主砲方位盤、観測鏡、測距儀などが別パーツとなっています
・ 「12.7cm連装高角砲」×2が付属しています
●後檣
・ 後檣は1本の単檣で、上部のヤード、ガフ、クレーンは別パーツ化されています
●カタパルト 「呉式2号5型射出機」 ×1
・ カタパルトは一体成型のパーツで、スライド式金型により上部のディテールが表現されています
●主砲塔部 「45口径 41式 36cm連装砲」 ×6
・ 砲塔は上下分割式です
・ 砲身部分は1本づつの分割式で、砲身基部の外とう砲取り付け金具、防水布が再現されています
・ 測距儀、増設された機銃座は別パーツとなっています
●副砲「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×14
・ 砲塔部分と砲身部とは一体成型となっており、砲身基部の防水布が再現されています
●高角砲「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との分割式で、砲身部分は連装式に一体成型されています
●対空機銃
・ 25mm 3連装機銃 ×8 (艦橋、煙突部を含む)
・ 25mm連装機銃 ×17(艦橋、煙突、砲塔部を含む)
・ 25mm単装機銃 ×34
・ 13mm連装機銃 ×3
・ 13mm単装機銃 ×10
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 17m内火艇 ×1
・ 12m内火艇 ×2
・ 12m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×8
・ 小型カッター2種 ×各1
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ 航空機用クレーン
・ パラベーン
・ キャプスタン
・ フェアリーダー
・ ラッタル
・ 塵捨て管
・ 舷々門
・ 航空機用台車
などがセットされています
●艦載機として
・ 零式水上観測機 ×1が付属、クリアーパーツで成型されています
・ 艦載機は、胴体、副翼、主翼桁、メインフロート、副フロート、プロペラのパーツ分割となっています
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークを再現したデカールが付属しています
●2012年 一部新金型