フジミ 日本海軍 戦艦 長門 レイテ沖海戦時 1/700 特シリーズ 旧090 プラモデル

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日本海軍 戦艦 長門 レイテ沖海戦時

販売価格

3,080円 2,772円(税込)

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「日本海軍 戦艦 長門 レイテ沖海戦時 (プラモデル) (フジミ 1/700 特シリーズ  No.旧090 )」です



●太平洋戦争時における日本海軍の戦艦「長門」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット

●1944年のレイテ沖海戦時における対空兵装を増強した姿を再現しています

●日本海軍を象徴する戦艦として国民から絶大な人気を得ていた戦艦「長門」を再現、世界の最強戦艦を示す「ビック 7」の1艦として、「40cm」の主砲、先鋭的な艦首形状、そして日本戦艦の特徴である積み上げ式の艦橋など、威厳を誇ったシルエットを再現した内容となっています

●フジミ社製「日本海軍戦艦 長門 (太平洋戦争開戦時)」をベースに、レイテ沖海戦時を再現するため、戦闘艦橋、防空指揮所、機銃のブルワークなどの新規パーツを追加したバリエーションキットです

【 「日本海軍 戦艦 長門 レイテ沖海戦時」のキット内容について 】


●日本海軍の戦艦「長門」を再現したプラスチックモデル組立てキットです

●フジミ社の「特シリーズ」のフォーマットに則り戦艦「長門」を再現、実艦の構造に沿って積み上げて作製する艦橋、クロスツリーの細かな支柱を再現した後檣、探照灯台座などのトラス構造、ラッタル、舷梯、各機銃のブルワーク等の細かく分割したパーツ構成など、複雑な構造と艦船モデルとしての細かな造りの再現に重きを置いた内容となっています

●戦艦「長門」は太平洋戦争開戦後、順次対空兵装の増強が行われており、キットは1944年10月の「レイテ沖海戦」における対空兵装増強時の姿を再現しています

●艦体喫水線までを再現した洋上モデルです


●「長門」は、「船体」「上甲板」「航空作業甲板」「艦橋などの上部構造物」「高角砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、各甲板、構造物、艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます

●船体は、船体上部と船底との上下に分割したパーツで構成
 ・ 船体には、バルジ部分や副砲の台座などの基本構造の他、舷側の舷窓、フェアリーダー、舷外電路、塵捨て管などの細部を繊細なモールドで再現しています
 ・ 舷窓には上部の雨樋を微細な凸モールドで再現しています
 ・ 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属しています

●上甲板は、船首楼甲板部と後部甲板とを一体成型したパーツで再現、飛行作業甲板は、別パーツとなっています
 ・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本構想の他、アンカー導板、ボラード、昇降口、リール、ボート架台、通風筒などの細かなディテールを再現
 ・ 飛行作業甲板には、リノリウム押さえ、航空機用軌条、ターンテーブルなどの細部をモールドで再現、側面には舷窓、扉、梯子、雨樋などを再現しています


「長門」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
 ・ 艦橋は9層で構成、トップの方位盤は別パーツ化しています
 ・ 艦橋構造物の各艦橋の窓枠は、窓の部分を一段凹んだ状態で再現し立体感を演出しています
 ・ 防空指揮所には遮風板をモールドにて再現
 ・ 艦橋を構成する前檣楼支柱(6本)を別パーツ化しています
 ・ 艦橋部分に装備する、「94式高射装置」(×2)、「4.5m測距儀」(×2)、「21号電探」(×1)、「22号電探」(×2)、「方位測定器」(×1)、「60cm探照灯」(クリアーパーツ)(×6)、「双眼鏡」(×22)、「25mm単装機銃」(×1)、「25mm連装機銃」(×6)、「25mm3連装機銃」(×5)、「12.7cm連装高角砲」(×2)などを別パーツ化しています

● 煙突
 ・ 本体部分は左右に分割したパーツで再現、上部の雨水カバー金網、内部の整流板は別パーツとなっています
 ・ 雨水カバー金網は開口した状態となっています
 ・ 煙突の梯子部分は別パーツとなっています
 ・ 煙突部の各副管は、別パーツ化して再現
 ・ 煙突部の探照灯及び機銃台座は、各ブロックごとにパーツ化しています
 ・ 探照灯台座の支柱部分は左右に分割したパーツで再現、モールドによりトラス構造を再現しており、一部分は抜いた状態になっています
 ・ 煙突部に装備する、「110cm探照灯」(×6)、「25mm連装機銃」(×4)を別パーツ化、探照灯はクリアーパーツとなっています

●高角砲指揮所
 ・ 艦体中央部の高角砲指揮所は、台座部分を上下に分割したパーツで再現
 ・ 指揮所に装備する、「94式高射装置」(×2)、「観測鏡」(×2)を別パーツ化

●後部艦橋
 ・ 後部艦橋の主要部は6層で構成
 ・ 後部予備指揮所の窓枠は、窓の部分を一段凹んだ状態で再現し立体感を演出しています
 ・ 側面には舷窓、扉などをモールドで再現しています
 ・ ラッタルは別パーツ化して再現
 ・ 後部艦橋に装備する、「測距儀」(×2)、「主砲予備方位盤」(×1)、「12.7cm連装高角砲」(×2)を別パーツ化しています

●後檣
 ・ 後檣は1本の単檣で、上部のクロスツリー、ガフは別パーツ化しています
 ・ クロスツリー下部の支柱は1本ずつパーツ化、特徴的な後檣の造りを再現しています

●カタパルト 「呉式 2号5型射出機」 ×1
 ・ カタパルトは一体成型のパーツで再現、スライド金型を使用して側面のトラス構造と上部のディテールとをモールドで再現しています

●主砲塔部 「45口径 3年式 40cm連装砲」 ×4
 ・ 主砲塔は上下に分割したパーツで再現、梯子や砲身キャンバス受けなどをモールドで再現しています
 ・ 測距儀は別パーツとなっています
 ・ 砲身は1本ずつ個別にパーツ化、スライド金型を使用して砲口は開口した状態で、基部には防水布を再現しています

●副砲 「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×18
 ・ 砲塔は砲身も含めて一体成型のパーツで再現、砲身基部には防水布を再現しています

●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4
 ・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との2パーツで再現、砲身部分は連装状に一体成型化したパーツとなっています
 
●対空機銃 「25mm単装機銃」 ×23、「25mm連装機銃」 ×10、「25mm3連装機銃」 ×18
 ・ 各機銃は一体成型となったパーツで再現
 ・ 単装機銃用のブルワーク(防弾板)は各ブロックごとにパーツ化しています

●内火艇、カッター及びボートダビッド
 ・ 11m内火艇 ×1
 ・ 12m内火ランチ ×2
 ・ 9mカッター ×6

●その他の艤装を再現したパーツとして
 ・ 艦首、艦尾旗竿
 ・ 錨、副錨
 ・ 菊花紋章
 ・ クレーン
 ・ フェアリーダー
 ・ 塵芥投棄管
 ・ 舷梯
 ・ 応急舵
 ・ 係船桁
 ・ パラベーン
 などをセットしています

●艦載機として
 ・ 零式水上観測機 ×2
 が付属しています

●艦載機は、胴体、上部翼、翼支柱、各フロート、プロペラに分割したパーツ構成となっています
 ・ 艦載機はクリアパーツで再現


●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マーク、識別帯、偏流測定線を再現したデカールが付属しています
 

【 「日本海軍 戦艦 長門 レイテ沖海戦時」のパッケージ内容 】


 ・ 戦艦 長門 (レイテ沖海戦時) ×1
 ・ 零式水上観測機 ×2
 ・ デカールシート ×1
 ・ 組立て説明書 ×1


●2015年 一部新金型


【 「戦艦 長門」について 】


●日本海軍は、日露戦争においてその海軍力によりロシア海軍を破ると、大艦巨砲主義に基づいた海軍戦力の拡大を図るようになります
●第1次世界大戦では日本は連合軍国側として参戦、国としての損害は無い状態で戦勝国となり、軍需景気に支えられ、海軍力の増強に拍車が掛かります

●第1次世界大戦後の1920年に計画されたのが通称「88艦隊」で、艦齢8年未満の8隻の戦艦と8隻の巡洋戦艦を保有するというものでした
●この計画に基づいて建造が行われたのが「長門型」の「長門」と「陸奥」で、他の艦艇も順次建造を開始します
●しかし、1922年に締結された「ワシントン軍縮会議」において「88艦隊」計画に基づいた艦艇の多くの廃艦を決定、からくも「長門」「陸奥」の2艦のみの保有を認められます

●新造時の「長門」は、当時の列強の最強力艦と同等もしくはそれ以上の火力を誇り、防御力、速力共に優秀で、世界最強の能力を備えていました
●この「長門」は、当時の世界の海軍の中では最強の戦艦を示す「ビック 7」の1艦となり、日本海軍の中でも最強の存在として、国民の間では絶大な人気を誇りました
 ・ 「長門」を大幅に凌ぐ能力を持つ戦艦「大和型」は、国民には完全に秘密となっており、その存在を知る人はほとんど居ませんでした

●「長門」は就役直後から連合艦隊旗艦を拝命し、各式典などに参加、太平洋戦争の開戦時には連合艦隊司令長官「山本五十六」大将の座乗の元、真珠湾攻撃艦隊などの指揮が執られました
●しかし、「長門」自体は、艦隊決戦用の「主力艦隊」として内地で温存状態となり、1942年2月には新たに就役した戦艦「大和」に連合艦隊旗艦の座を譲り渡しています
●このため、「長門」はミッドウェー海戦において主力艦隊の1隻として参加したものの、最前線に投入が行われることもなく、これは日米の戦いの焦点がガダルカナル島へと移った後も同様となりました

●1944年10月、アメリカ軍はフィリピン東部のレイテ島に上陸を開始、フィリピンを失うことは南方への補給路を断たれることを意味しており、日本の陸海軍は総力を挙げて決戦を挑みます
●日本海軍は、1944年6月の「マリアナ沖海戦」において艦隊航空戦力のほとんどを喪失したことから、もはや航空戦を挑むことはできず、空母部隊を囮として使用し、戦艦を中心とする砲戦隊が上陸艦隊及びその護衛艦艇を叩くという必死の作戦を立てます

●それまで、本格的に前線へと投入が行われなかった「長門」は、同様な経緯を辿っていた「大和」「武蔵」を中心とした砲戦隊の主力である「栗田艦隊」に配備、フィリピン中央部を通り抜けてアメリカ軍の上陸艦隊が集結しているレイテ島沖を目指します

●途中、シブヤン海での空襲により「武蔵」を失うも「栗田艦隊」は西進を続け、レイテ島近海においてアメリカ軍の護衛空母艦隊と遭遇、「長門」は空母「ガンビアベイ」などを撃沈するなどの活躍を見せました

●しかし、この一連の戦闘でアメリカ艦隊は必死の防御戦を実施、護衛の駆逐艦と空母から飛び立った艦載機による反撃を受け、巡洋艦を中心に「栗田艦隊」は大きな損害を受けてしまいます
●また、「栗田艦隊」側はアメリカ艦隊の空母を正規空母として誤認、煙幕を張りながら逃走を続ける空母群からその戦果を多く見積もってしまい、一定の戦果を挙げたものとして反転して帰投の途に就きました

●この戦いの以後、南方からの輸送路が断たれた日本本土では燃料事情が悪化し、重油を大量に消費する艦船の組織的な運用は事実上不可能となってしまいます
●「長門」はレイテ島沖からの帰投後は横須賀沖に繋留、浮き砲台として運用が行われました
●「長門」は1945年7月には空襲によって中破、その状態で終戦を迎えています

●「長門」は、日本海軍の象徴として戦争を生き抜くことができましたが、接収したアメリカ軍によってビキニ環礁における原爆実験の標的艦として使用され、その栄光の生涯を閉じたのでした



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