日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年
「日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年 (プラモデル) (フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.旧031 )」です
●太平洋戦争時における日本海軍の「戦艦 扶桑」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット。
●主砲塔上にカタパルトを装備した「昭和13(1938)年時」の状態を再現しています。
●「戦艦 金剛型」よりも1.5倍の攻撃力を有する戦艦として日本海軍の主力艦として運用された「戦艦 扶桑」を再現、長大な積み上げ式の艦橋を備えた、威容に溢れるシルエットを再現した内容となっています。
●フジミ社「日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年」をベースとしたフルハルバージョンで、フルハル用の艦底部とディスプレイスタンドなどをセットしています。
【 日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年 (フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.31) プラモデルの内容 】
●日本海軍の「戦艦 扶桑」を再現したプラスチックモデル組立キットです。
●フジミ製「特シリーズ」のフォーマットにのっとり、「戦艦 扶桑」をシャープかつディテール感豊かに再現、同艦の特徴である艦橋や後部艦橋の細かな構造を繊細なパーツ分割で再現した内容になっています。
●「扶桑」は竣工後から数度の改装を繰り返しており、キットは第3主砲塔上にカタパルトを装備し、太平洋戦争開戦時と同じ対空兵装を備えた「昭和13年」の姿を再現しています。
●喫水線以下の部分も再現したフルハルモデルです。
●フジミ「特シリーズ」の「日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年」をベースに艦底部を再現したパーツをセット、スクリュー部までも再現したフルハルモデルになっています。
・ 「フルハル仕様」となる以外は、「日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年」と同内容のキットですが、洋上モデル用の艦底パーツは付属していません。
■ 日本海軍 戦艦 扶桑 全体構造
●「戦艦 扶桑」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」ごとにブロック分割したパーツ構成になっています。
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます。
●船体は船体上部と船底部の上下に分割したパーツで再現。
・ 船体部には、副砲のデッキ部分を一体成型化して再現、舷側の舷窓、アンカーレセス、フェアリーダー、舷外電路などを微細なモールドで再現しています。
・ 艦底部には4基のスクリューを別パーツ化して再現、推進軸も含めてそれぞれ3パーツに分割して再現。
・ 舵も別パーツ化して再現しています。(2枚)
●上甲板は全通状に一体成型化したパーツで再現しています。
・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本構造の他、ボラード、昇降口、通風筒、リールなどの細かなディテールをモールド化して再現。
・ 「昭和13年時」の状態を再現するために、上甲板後部は木甲板の木目表現をモールド化しています。
■ 日本海軍 戦艦 扶桑 艦上構造
●艦橋
・ 艦橋は12層に分割したパーツ構成、トップの「射撃指揮所」「測距儀」も別パーツ化しています。
・ 各艦橋の「窓」は、窓ガラスの部分を一段凹んだ状態とし、立体的感を演出しています。
・ 艦橋を構成する「前檣楼支柱」も別パーツ化して再現。
・ 艦橋部分に装備する、「高角測距儀」×2、「94式高射装置」×4、「110cm探照灯」×2(クリアーパーツ)、「25mm 連装機銃」×4、「12.7cm 連装高角砲」×2、「方位測定器」、「94式 10m 2重測距儀」などを別パーツ化しています。
● 煙突
・ 本体部分は左右に分割したパーツで再現、上部の「雨水カバー金網」と「整流板」は別パーツ化しています。
・ 「雨水カバー金網」は区分けして開口した状態で成型しています。
・ 煙突周囲の各「管」はブロックごとに別パーツ化して再現。
・ 煙突下部の構造物には「機銃座」を一体成型化して再現、側面パネルの一部は別パーツになっています。
・ 煙突部の「探照灯台座」は、前後のブロックごとに独立してパーツ化して再現。
・ 「探照灯台座の支柱」部分、「機銃座の支柱」はトラス構造を再現、一部のトラスは鉄骨の間を抜いた状態で再現しています。
・ 煙突部に装備する、「110cm探照灯(クリアパーツ)」(×6)、「25mm連装機銃」(×4)を別パーツ化して再現。
●後部艦橋
・ 後部艦橋の主要部は9パーツで構成、トップの「主砲方位盤」「観測鏡」などは別パーツになっています。
・ 後部艦橋に装備する、「12.7cm 連装高角砲」(×2)、「信号灯」(×2)などを別パーツ化しています。
●後檣
・ 後檣は1本の単檣で、上部のクロスツリー、ガフ、クレーンは別パーツ化して再現しています。
●カタパルト「呉式 2号4型射出機」 ×1
・ カタパルトは一体成型のパーツで再現、スライド金型を使用してカタパルト上部のディテール、側面のトラス構造を立体感あるモールドで再現しています。
■ 艦砲・機銃など
●主砲塔部 「45口径 41式 36cm連装砲」 ×6
・ 砲塔は上下に分割したパーツで再現。
・ 砲身部分は1本ずつにパーツ化、砲口は開口して成型、砲身基部の「外とう砲取り付け金具」「防水布」をモールドで再現しています。
・ 「測距儀」は別パーツ化しています。
●副砲 「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×14
・ 砲塔部分と砲身部とを一体成型のパーツで再現、砲身基部には「防水布」をモールド化して再現しています。
●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との2パーツで構成、砲身部分は連装状に一体成型化しています。
●対空機銃 「25mm 連装機銃」 ×8 (艦橋、煙突部を含む)
・ 機銃は一体成型のパーツで再現。
■ その他艤装類
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 17m内火艇 ×2
・ 12m内火艇 ×1
・ 12m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×4
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ クレーン
・ パラベーン
・ キャプスタン
・ フェアリーダー
・ ラッタル
・ 塵捨て管
・ 舷梯
・ 航空機軌条
・ 航空機昇降台
などを独立したパーツで再現したいます。
■ 艦載機
●艦載機として
・ 95式水上偵察機(×2)が付属、クリア成型のパーツとなっています。
・ 艦載機は、胴体、副翼、主翼桁、メインフロート、副フロートに分割したパーツ構成になっています。
■ 日本海軍 戦艦 扶桑 のディスプレイ
●完成後に見栄え良く飾ることができるディスプレイ用の円形の飾り台を2個セット、「戦艦 扶桑」の前後2箇所に配置して完成した艦体をそのまま載せてディスプレイすることができます。
・ 飾り台はプラスチック製のパーツ、円形の台座部分にYの字型の飾り脚を取り付けるパーツ構成になっています。
【 日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年 (フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.31) 塗装とマーキング 】
●「戦艦 扶桑」の塗装とマーキングは、別紙「マーキング&ペインティング図」にモノクロで記載しています。
・ 塗装の際に使用する塗料の種類も記載しています (Mr.カラー / 水性ホビーカラー)
・「戦艦 扶桑」の甲板や船体、カッターなどの細部に使う塗料の種類は、組立説明書内の各工程内にて指示しています。
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークを再現したデカールが付属しています。
【 日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年 (フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.31) パッケージ内容 】
・ 日本海軍 戦艦 扶桑 (フルハルモデル) ×1
・ 95式水上偵察機 (クリアパーツ) ×2
・ デカールシート ×1
・ ディスプレイスタンド ×1
・ 組立説明書 ×1
・ マーキング&ペインティング図 ×1
●2015年 艦底部など一部新金型 (フジミ製「日本海軍 戦艦 扶桑 昭和13年」をベースにしたフルハルバージョン)
【 日本海軍 戦艦 扶桑 について 】
●1906年に竣工したイギリス海軍の「戦艦 ドレッドノート」は、それまでの戦艦が主砲の他に副砲、中間砲というハリネズミ状の武装配置をしているのに対し、単一口径の主砲を艦の中央軸線に配置したレイアウトでより強力な攻撃力を発揮できる革新的な艦になりました。
●この「戦艦 ドレッドノート」の誕生以降、従来の戦艦は一気に時代遅れになり、各国は、この「ドレッドノート」に準じた戦艦「ド級艦」を建造、さらに主砲の全てを中心軸線上に配置した「超ド級艦」を続々と就役せしめることになります。
●日本海軍は、日露戦争後になると艦艇の建造を日本で行なうようになりましたが、建造技術習得のために、この「超ド級艦」の巡洋戦艦として「戦艦 金剛」の建造をイギリスに発注しました
●この「金剛」の同型艦を建造することで「超ド級艦」のノウハウを得た日本海軍は、続いて「戦艦 扶桑型」の建造を開始し、1915年に「戦艦 扶桑」、1917年に「戦艦 山城」を竣工します。
●この「戦艦 扶桑型」は、当時の戦艦としては最大かつ最強を誇り、30,000tの排水量に「36cm連装砲」を6門搭載、「金剛型」の1.5倍の攻撃力を備えていました。
●しかし、中央の主砲塔がボイラーを挟むように配置されていたために、艦の構造上、弾薬庫を分散配置せねばならず、また防弾機能の効率化という点から見ても防御力に難点が生じ、この問題は後年においても同艦の足枷になっています。
●ところが、このような大艦巨砲時代を迎え世界各国における戦艦の建造技術の進歩は目覚しいものがあり、建造当初は最強を誇った「扶桑型」も、その能力は急速に時代遅れになってしまいます。
●「戦艦 扶桑」は竣工時から度々改装が行なわれましたが、1930年には近代化の第1次の大改装を実施、機関出力の増強と防御力の向上、そして主砲の仰角の引き上げを行い最大射程を延長させます。
●また、艦橋構造物を大幅に増設したことで、艦橋の高さが50mにもなる艦影へと変化、この独特のシルエットが「扶桑型」最大の特徴となっています。
●1934年には第2次の近代化改装が行われ、艦尾の延長と機関の変更、艦橋構造物の大型化、最前部の副砲の撤去などを行います。
●また、艦載機の搭載も済ませて、第3主砲塔上部にカタパルトを設置する方式を採りました。
●このカタパルトは固定式で、その指向は主砲塔で行うため、従来の後方向きの主砲塔の配置は前方向きに改められます。
●この主砲の砲身位置の関係から艦橋後方が削られることとなり、「扶桑」独特の「く」の字型の艦橋構造を形成することになります。
●この第2次近代改装を経ながらも、基本構造に起因した防御力不足と艦隊行動に適した速力を発揮することができず、太平洋戦時下において「扶桑型」は内地での任務が主となってしまいます。
●太平洋戦争開戦時、「扶桑」は「山城」と共に主力艦隊である「第1艦隊 第2戦隊」に所属、真珠湾攻撃部隊の支援や、東京初空襲時の迎撃任務に出撃した以外は内地に留まっています。
●「ミッドウェー海戦」には警戒艦隊としてアリューシャン方面に出撃、接敵する機会は無く、作戦失敗の報を受けて帰投します。
●その後も、艦隊決戦用の主力艦として内地に温存、結局本格的な海戦に参加したのは1944年10月の「レイテ沖海戦」になります。
●しかし、その「レイテ沖海戦」において戦艦「扶桑」は圧倒的な兵力で待ち構えていたアメリカ艦隊の迎撃に会い、壮絶な最期を遂げたのでした。