日本海軍 戦艦 大和 70周年記念特別仕様
「日本海軍 戦艦 大和 70周年記念特別仕様 (プラモデル) (ハセガワ 1/450 有名艦戦シリーズ No.SP334 )」です
●太平洋戦争時における日本海軍の戦艦「大和」を1/450スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●当時の日本の建艦技術の集大成として世界最強の戦艦として結実した戦艦「大和」を再現、船体中央部に構造物を集約し、最強の46cm砲を装備、波浪性に優れた球状艦首「バルバス・バウ」を備えた均整かつ迫力あるシルエットを再現した内容となっています
・ 1945年4月の「天一号作戦」時の戦艦「大和」最終時の姿を再現しています
●ハセガワ社製「日本海軍 戦艦 大和」のキットをベースに「終戦 70周年記念特別仕様」としてボックスアートを改め、以下の特典をセットした限定版キット
●付属する特典は
・ 終戦70周年記念 ゴールドメダル (直径4cm)
・ パッケージイラストのA2判ポスター
・ 谷井建三氏画 「戦艦大和 断面図」 (資料提供:大和ミュージアム)のA2ポスター
●また、「日本海軍 戦艦 大和」ではマーキングや旗などはシールでしたが、本キットでは新たにシールと同じ版のデカールが付属しています
【 「日本海軍 戦艦 大和 70周年記念特別仕様」のキット内容について 】
●日本海軍の戦艦「大和」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ハセガワ社の新たな「1/450シリーズ」として日本海軍の「戦艦 大和」を再現、従来の戦艦とは異なる端整な表情の艦橋、「大和坂」と呼ばれる上甲板の傾斜、「バルバス・バウ」に代表される船体部の微妙なライン、「天一号作戦」時における機銃を増設した姿などの同艦の重厚なフォルムと、「黒鋼の城」とも称される戦艦特有の「鉄の塊」を想像させる質感を、表情豊かに再現した内容となっています
●ハセガワ社が精を凝らした1/350スケール艦船モデルで培った技術及び表現力を1/450スケールにフィードバックしながらも、パーツ数を減らして、できるだけ簡単に「戦艦 大和」の大型モデルを作成できるように工夫した、1/350スケールとは全く異なるスタンスのパーツ構成となっています
●大スケールモデルならでは、完成後の解像度の高さを活かせるように、細かな造形の集約となる「戦艦 大和」のディテールを再現しています
・ ただし、ディテールを過度に追求することでパーツ数が膨大となるのを避け、パーツ上に施された凹凸のモールドにより精密感を演出
・ パーツ数が極力抑えられ、初心者からベテランモデラーまで大型の艦船モデルの模型としての迫力と作る楽しさを純粋に楽しむことができるキットとなっています
●「大和」は、戦訓により徐々に対空兵装が増強されており、キットは1945年4月の「天一号作戦」時(沖縄特攻作戦時)の状態を再現しています
●キットは、喫水線以下も再現したフルハルモデルです
●「大和」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体部は左右に分割したパーツで再現、ビルジキール、副舵を一体成型化しています
・ 船体部には、舷外電路、舷側の舷窓、閉塞された舷窓、副錨、塵捨て管、ホースパイプ、ダビッド、梯子、フェアリーダーなどをモールドで再現
・ 船体側面から底面にかけての鋼板継ぎ目を繊細なモールドで再現しています
・ 艦首と艦尾のフェアリーダーは別パーツとなっています
・ 左右の船体パーツに歪みを防ぐ桁のパーツが付属しています
・ 船底部の推進軸、推進軸支柱、スクリューを再現したパーツが付属しています
・ 主舵は左右に分割したパーツで再現、左右に可動とすることができます
●上甲板は、前部甲板、中央甲板、飛行甲板、後部甲板の4パーツで構成しています
・ 前部甲板と中央甲板とは、波除けのラインで分割しています
・ 甲板上には、木甲板表現、滑り止めパターン、航空機運搬用レール、主砲塔台座、副砲塔台座、波除け、機銃用スポンソン及びブルワーク、3連装機銃の銃架などの基本躯体の他、アンカーチェーン及び導板、ボラード、昇降口、リール、キャプスタンなどのディテールをモールドで再現しています
・ 木甲板、滑り止めパターン、飛行甲板は面一の表現ではなく、木甲板は横の継ぎ目、滑り止めパターン、飛行甲板はプレート表現(パネルライン)を彫刻しています
・ 内火艇収納庫は別パーツ化
・ 航空機格納庫の扉をモールドにて再現、扉が閉まった状態となっています
「大和」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋構造物は左右に分割したパーツで再現、これに羅針艦橋、戦闘艦橋、防空指揮所、測距儀、射撃指揮所、各スポンソン、各種指揮装置などを取り付けます
・ 各艦橋の窓枠、戦闘艦橋後部の窓枠、舷窓、防水扉などをモールドで再現しています
・ 戦闘艦橋と防空指揮所には遮風板が再現、防空指揮所の内壁には補強板を再現
・ 「15m測距儀」は3パーツで構成、「21号電探」を一体成型化しています
・ 「15m測距儀」は嵌め込みにより回転可動します
・ 艦橋部分を構成する、「13式見張方位盤」(×2)、「機銃射撃装置」(×2)、「探照灯管制器」(×6)、「22号電探」(×2)などを別パーツ化しています
●メインマスト
・ マストは一体成型のパーツで再現
・ 「13号電探」は別パーツで、連装状に一体成型化しています
● 煙突
・ 煙突は左右に分割したパーツで再現、トップ部分は別パーツです
・ トップ部分は開口処理しています
・ 前後の副管はモールドにて再現
●探照灯台座
・ 探照灯台座は上下に分割したパーツで再現、前部の探照灯台座は別パーツです
・ 探照灯台座に装備する「探照灯」(×6)、「機銃用射撃指揮装置」(×2)を別パーツ化
●後部艦橋
・ 後部艦橋は前後に分割したパーツで再現、機銃座、「10m測距儀」、「後部射撃指揮所」は別パーツ化しています
・ 後部艦橋に装備する「機銃射撃装置」(×2)、「25mm3連装機銃」(×2)を別パーツ化しています
●中央構造物
・ 艦橋、煙突、後部艦橋などのベースとなる中央構造物は一体成型となっており、高角砲と機銃のスポンソン及ぶブルワークを再現しています
・ 中央構造物から突き出た部分となる中央高角砲のスポンソン、高射装置の台座、機銃スポンソンの一部、射撃指揮装置の台座などは別パーツです
・ 中央部には滑り止めパターン、高角砲のブルワークの内側には補強板をモールドで再現しています
・ 中央構造物に装備する、「94式高射装置」(×4)、「射撃指揮装置」(×4)、「12.7cm連装高角砲」(×6)、「シールド付き12.7cm連装高角砲」(×6)、「25mm3連装機銃」(×6)、「シールド付き25mm3連装機銃」(×6)を別パーツ化しています
●主砲塔 「45口径 94式 46cm 3連装砲」 ×3
・ 主砲塔は一体成型のパーツで再現、測距儀と機銃座は別パーツです
・ 砲塔の梯子をモールドで再現しています
・ 砲身は3連装状に一体成型化、スライド金型により砲口部分を開口処理しています
・ 砲身には、砲身基部の防水布と外とう砲取り付けリングがモールドにて再現
・ 主砲塔は差し込みにより旋回可動します
●副砲塔 「60口径 3年式 15.5cm 3連装砲」 ×2
・ 副砲塔は、測距儀も含めて一体成型のパーツで再現
・ スライド金型により砲口部分は開口処理済みです
・ 砲身基部の防水布も再現、砲塔表面には梯子をモールドで再現しています
●カタパルト「呉式 2号5型射出機」 ×2
・ カタパルトは左右に分割したパーツで再現
・ パーツ側面にはトラス構造を立体的な彫刻により再現しています
●クレーン部及び空中線支柱
・ 船体後部のクレーン及び空中線支柱は、クレーン本体と、左右に分割した空中線支柱とで構成しています
・ 空中線支柱の取り付けの有無が選択できます
・ クレーン本体には上部のトラス構造をモールドで再現しています
●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型改3)」 ×6、「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」
・ シールド付き高角砲はシールド部分と連装状の砲身本体との2パーツで構成、砲身は上下に可動とすることができます
・ シールド無し高角砲は、連装状に一体成型化した砲身部と、砲尾上部、砲架部との3パーツで構成
●対空機銃 「シールド付き25mm3連装機銃」 ×24、「25mm3連装機銃」 ×26、「 25mm単装機銃」 ×6
・ シールド付き3連装機銃は、シールド部分と3連装状に一体成型化した銃身部との2パーツで構成、シールド形状の違いによる3種類のタイプを再現しています
・ 3連装機銃は、銃架部分を各スポンソン、ブルワークにモールドにて再現、3連装状に一体成型化した銃身部をこれに取り付けます
・ 単装機銃は一体成型のパーツで再現
●内火艇、カッター類
・ 12mランチ ×2
・ ランチは、本体と前後の上甲板部との3パーツで構成
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 主錨
・ 菊花紋章
・ 艦載機射出台
などをセットしています
●「大和」用の艦載機として
・ 零式3座水上偵察機 ×2
が付属しています
・ 艦載機は、胴体、フロート、プロペラの構成となっています
●展示用のディスプレイスタンドが付属しています
●艦尾に掲げられる軍艦旗、マスト部の司令官旗、信号旗、「天一号作戦」時の菊水マーク、艦載機用の日の丸マーク、識別帯などを再現したシールとデカールが付属しています
●「日本海軍 戦艦 大和 70周年記念特別仕様」の完成時のサイズ
・ 全長 : 約58cm
【 「日本海軍 戦艦 大和 70周年記念特別仕様」のパッケージ内容 】
・ 戦艦 大和 (天一号作戦時) ×1
・ 零式3座水上偵察機 ×2
・ 終戦70周年記念ゴールドメダル ×1
・ パッケージイラストのA2判ポスター ×1
・ 「戦艦大和 断面図」(谷井建三画)のA2判ポスター ×1
・ ディスプレイスタンド ×1
・ シールシート ×1
・ デカールシート ×1
・ 組立て説明書 ×1
●スポット生産品
【 「戦艦 大和」について 】
●日清戦争、日露戦争、そして第1次世界大戦と勝利を重ね、着実に戦力を増強していた日本海軍は第1次大戦の終結時には世界第3位の海軍力を持つ規模となります
●しかし、第1次世界大戦後の日本は、アメリカとイギリスとの権益争いが顕著となり、従来の良好な関係が悪化、日本海軍では徐々にアメリカとイギリスを仮想敵国として想定するようになり、さらに戦力の強化が図られました
●ところが、1920年代におけるワシントン軍縮会議、ロンドン軍縮会議により保有する艦艇の制限を受けることとなり、アメリカ、イギリスと比べて艦艇数が劣る日本海軍は個艦の能力の向上に傾倒することとなりました
・ これらの軍縮会議は日本にとっては不利でしたが、日本海軍の戦力増強計画自体が無理があり、国力の関係から条約自体は必要なものでした
●この軍縮条約下において、日本海軍は攻撃力を重視した重巡洋艦「妙高型」、軽巡洋艦「夕張」などを建造、これらの艦は従来の同クラスの艦よりも攻撃力が倍増し、その能力は列強国に強烈なインパクトを与えました
●一方で、このような攻撃力重視の思想は艦のトップヘビーを招き、「友鶴事件」などの転覆事故が発生、これらの事故の教訓による改修などにより日本海軍では造艦技術が向上、戦艦「大和」を建造する素地が徐々に築かれて行きます
●1930年代後半、日本は軍縮条約から脱退、当時の海戦の主力だった「戦艦」は、軍縮条約前に建造された「長門」「陸奥」が最新鋭でしたが、艦齢は15年以上となり、新型戦艦の建造計画が立てられました
●上記のように日本海軍では自軍の劣勢を認識しており、その劣勢を挽回するために他国の戦艦を圧倒する世界最大級の戦艦を計画、その主砲には従来の戦艦の最大級である口径40cm砲を上回る口径46cm砲を搭載するものとされます
●この新型戦艦の建造は、他国に情報が漏れないように完全な極秘態勢で行われ、建造ドックも覆いが付けられる徹底振りでした
●1番艦「大和」は1941年12月、2番艦「武蔵」は1942年8月に竣工します
●この戦艦「大和型」は、新設計となる「45口径 94式 46cm 3連装砲」を3基搭載、排水量65,000tという世界最大の戦艦でした
●船体の基本設計は、それまでの日本の戦艦とは異なり、艦の中央部に主要構造物を集約、主砲の弾薬庫や機関部などの重要区画には十分な防御力を擁し、船体の各部には多くの防水区画も設けられ、その強力な防御力は「不沈艦」と称される程となっていました
●戦艦としては最大の主砲、そして既存の戦艦を凌駕する防御力により「大和型」の2隻の戦艦は世界最強の戦艦という存在となります
●しかし、太平洋戦争が開戦すると、戦いの主役は航空機とそれを運用する航空母艦へと移行、日本海軍、アメリカ海軍共に、戦艦は航空母艦の護衛的な任務に就くこととなりました
●1942年中頃、日米両軍の焦点は南方のガダルカナル島を巡る戦いとなり、就役した「大和」はガダルカナル島を含んだソロモン海域の後方となるトラック島に進出します
●ところが、日本海軍内では水上での砲撃戦による決戦が太平洋戦争の雌雄を決するという思想が強く、最強艦である「大和」はその決戦を睨んでトラック島に待機する日々が続きました
●一方で、ソロモン海での日米の戦いは激化の一途を辿り、戦没艦が続出、航空機、艦艇、陸上兵力、そして物量に勝るアメリカ軍は徐々に日本軍側を圧倒、1943年になると劣勢は明らかとなります
●結局、「大和」はソロモン海域に投入されることなく、内地へと帰還、同艦の主砲が火を噴くことはありませんでした
●1944年6月に発生した「マリアナ沖海戦」において日本海軍は艦隊航空兵力の殆どを失い、以後は航空母艦による航空戦を展開できないほどのダメージを受けます
●1944年10月、フィリピン東部のレイテ島にアメリカ軍が上陸、日本陸海軍は全力を持ってこれを撃退することを決定、「大和」は水上戦力の中心である「栗田艦隊」に配備されて同島沖のアメリカの輸送船団を撃破する任務を受けます
●その途上「栗田艦隊」はアメリカ軍機の猛攻に会い、僚艦「武蔵」はその攻撃を一手に引き受ける形で被弾多数により戦没してしまいます
●そのような損害を受けながらも、「栗田艦隊」はレイテ島沖に到達、アメリカ軍の護衛空母群と遭遇して海戦が発生しました
●この海戦によりアメリカの護衛空母とその護衛の駆逐艦などを撃破、撃沈しましたが、空母から発信した艦載機による攻撃で多くの艦が傷付いた上に、混乱する戦場において一定の戦果を挙げたと判断した「栗田艦隊」は帰途に付きます
●しかし、この「レイテ沖海戦」の結果、戦力の減退と、フィリピンを失ったことにより南方からの石油などの輸送路が遮断、日本海軍は艦隊戦を展開する戦力と燃料が不足してしまいます
●1945年4月、アメリカ軍が沖縄に上陸、再び日本陸海軍は航空機などの全兵力を投入してアメリカ軍の撃退に全力を尽くします
●この沖縄戦においては、日本陸海軍は航空機による体当たり作戦を大々的に実行、その死を恐れぬ行為はアメリカ軍を震撼させます
●このような状況において日本海軍としては水上戦力を待機させたままでは忍びなく、内地で残存していた「大和」を沖縄に向けて出撃させることを決定します
●この作戦は「天一号作戦」と命名され、「大和」は護衛となる1隻の軽巡洋艦と8隻の駆逐艦と共に内地を出航します
●ところが、この日本軍側に動きはアメリカ軍の航空機、潜水艦にキャッチされており、「大和」を撃退するためにアメリカ機動部隊が待ち構える状態となっていました
●「大和」以下の艦隊は、鹿児島県と沖縄との中間点である坊ノ岬沖においてアメリカ軍機の猛攻を受けます
●この攻撃は数派に渡る激しいもので、アメリカ軍機は「武蔵」を攻撃した際の戦訓を活かして「大和」の片舷に攻撃を集中、同艦は徐々にその能力を奪われていきました
●「大和」は不沈艦の名に恥じず、猛攻の中でも怯まず対空戦闘を継続していましたが、片舷への集中攻撃は同艦の復元能力を奪い、遂に「大和」は力尽き、その身を波間に消したのでした
●「天一号作戦」は、実質的に日本海軍の水上艦艇の最後の戦いであり、「大和」の最期は日本海軍の終焉を象徴するものとなったのです