戦艦 三笠
「戦艦 三笠 (プラモデル) (ウェーブ 1/200 ウォーシップシリーズ No.001 )」です
●日露戦争時における日本海軍の戦艦「三笠」を1/200スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●連合艦隊旗艦として、艦隊の先頭に位置してバルチック艦隊と対峙した戦艦「三笠」を再現、前後対称に武装を配置した均整の取れた姿を再現した内容となっています
【 「戦艦 三笠」のキット内容について 】
●日本海軍の戦艦「三笠」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●スライド金型を用いた高い成型力で戦艦「三笠」を再現、ビックスケールの高い解像度を活かして、戦艦の細かな構造を詳細に再現した内容となっています
●喫水線以下の部分も再現したフルハルモデルです
●「三笠」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲塔などの艤装類」を、それぞれブロック化して分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物、艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は左右に分割したパーツで構成、「ビルジキール」は別パーツとなっています
・ 左右の舷側を合わせる際に船体に歪みが生じないよう、パーツの間に「桁」を挟み込んで組み立てます
・ 船体部には、舷側の「舷窓」、艦尾の「扉」、「梯子」「アンカーレセス」などをモールドで再現
・ 鋼板の継ぎ目を繊細な凸ラインのモールドで再現しています
・ 船体下部の「推進軸」(×2)、「スクリュー」(×2)、「舵」(×1)を別パーツ化しています
●上甲板は、艦首、中央部、艦尾に3分割したパーツで構成
・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本構造の他、「アンカーチェーン導板」などのディテールをモールドで再現
・ 「昇降口」「天窓」「フェアリーダー」「ボラード」「ケーブルホルダー」「キャプスタン」などは別パーツ化して再現
・ 「アンカーチェーン」は、付属の金属製チェーンで再現します
「三笠」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋部は、上部と下部の2層のブロックと、艦橋甲板、司令塔で構成しています
・ 上下のブロックは、それぞれ一体成型のパーツで再現
・ 艦橋甲板は一体成型のパーツで再現、下部の支柱は1本ずつ個別にパーツ化しています
・ 「司令塔」は上下に分割したパーツで再現
・ 「艦橋窓」は、「窓ガラス」の部分をヌケた状態で開口しています
・ 艦橋トップの「指揮所」は、「羅針盤」「測距儀」を別パーツ化しています
・ 艦橋に装備する、「7.6cm単装砲」(×2)、「4.7cm単装砲」(×4)、「探照灯」(×2)などを別パーツ化して再現
● 煙突
・ 本体部分は左右分に分割したパーツで再現、上部のファンネルキャップはエッチングパーツで再現します
・ 各副管は1本ずつ個別にパーツ化して再現
●後部艦橋
・ 後部艦橋は、上部と下部の2層のブロックと、艦橋甲板、司令塔で構成しています
・ 上下のブロックは、それぞれ一体成型のパーツで再現
・ 艦橋甲板は一体成型のパーツで再現、下部の支柱は1本ずつ個別にパーツ化しています
・ 「司令塔」は上下に分割したパーツで再現
・ 「艦橋窓」は「窓ガラス」の部分をヌケた状態で開口しています
・ 後部艦橋トップの「指揮所」は、「羅針盤」「測距儀」を別パーツ化しています
・ 後部艦橋に装備する、「7.6cm単装砲」(×2)、「4.7cm単装砲」(×4)、「探照灯」(×2)などを別パーツ化して再現
●ボートデッキ
・ ボートデッキは左右それぞれ一体成型のパーツで再現しています
・ ボートデッキ下部の舷側パネルは一体成型のパーツで再現、副砲の開口部をヌケた状態で開口しています
・ 「ボート架台」は個別にパーツ化しています
・ ボートデッキに装備する、「7.6cm単装砲」(×4)、「4.7cm単装砲」(×4)を別パーツ化して再現
●マスト
・ マストは単檣型で、上下方向に3分割したパーツで構成、各ヤードは別パーツとなっています
・ 中央部のフラットは一体成型のパーツで再現、下部のフレームはエッチングパーツで再現します
・ マストに装備する「探照灯」(×各1)を別パーツ化
●主砲塔 「40口径 30.5cm連装砲」 ×2
・ 主砲塔は上下に分割したパーツで構成
・ 砲身は1本ずつ個別にパーツ化、砲口を開口しています
・ 砲塔上部の「通気筒」を別パーツ化して再現
・ 探照灯(×各1)が付属
●副砲 「40口径 15.2cm単装砲」 ×14
・ 副砲は、シールドを含めた一体成型のパーツで再現
●補助砲 「40口径 7.6cm単装砲」 ×20(艦橋部などを含む)
・ 補助砲は、一体成型のパーツで再現、シールドが付いたタイプはシールド部分をエッチングパーツで再現します
●補助砲 「4.7cm単装砲」 ×12
・ 補助砲は、一体成型のパーツで再現しています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 17m内火艇 ×2
・ 11m内火艇 ×1
・ 11mカッター×1
・ 9mカッター ×11
・ 8mカッター×1
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ 防雷網
・ ウインチ
・ 通気筒
などをセットしています
【 付属しているエッチングパーツ 】
●ディテールを再現したエッチングパーツが付属しています
●エッチングパーツの内容は
・ 船体、上部構造物などの手摺り(脚無しタイプ、弛み表現なし)
・ 舷側のキャットウォーク
・ 艦尾スタンウォーク
・ ラッタル
・ 煙突のファンネルキャップ
・ マストのフラットのフレーム
・ 舷梯
・ カッター類の舵
など、となっています
●アンカーチェーンを再現するための金属チェーンが付属
●展示用のディスプレイスタンドが付属しています
・ エッチングパーツ製のネームプレートが付属
●軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、日章旗を再現したペーパーシートが付属しています
【 「戦艦 三笠」のパッケージ内容 】
・ 戦艦 三笠 ×1
・ エッチングシート ×4
・ 金属製チェーン ×1
・ ディスプレイスタンド ×1
・ ペーパーシート ×1
・ 組立て説明書 ×1
・ カラー塗装図 ×1
●2016年 完全新金型
【 「戦艦 三笠」について 】
●「日清戦争」の勝利により、日本は朝鮮での一定の権益を獲得しましたが、ロシア、フランス、ドイツによる、いわゆる「3国干渉」によって、講和条約で戦時賠償として獲得した遼東半島は放棄せざるを得なくなりました
●南下政策によって領土と権益の拡大を図るロシアは、「清」(当時の中国王朝)との条約を締結し、遼東半島の使用権を確保、朝鮮内での様々な権益を拡大して行きました
●労せずして大きな権益を得たロシアの行動により、日本国内での反ロシア感情は頂点に達し、日本海軍、陸軍内でもロシアとの開戦はやむなしという機運となります
●しかし、当時有数の海軍と膨大な兵力を持つロシアとの戦争は戦力的に無理が有り、我が国は急激なピッチで軍備の整備を行うことになります
●日本海軍では、6隻の戦艦と6隻の装甲巡洋艦を装備する「66艦隊計画」を進め、その中核となったのが4隻の戦艦「敷島型」でした
●戦艦「三笠」は、その戦艦「敷島型」の4番艦にあたり、1902年に竣工、主砲として「30.5cm砲」を4門、副砲として「15.2cm砲」を14門装備しています
●戦艦「敷島型」の装甲には「ハーヴェイ鋼」を使用しているのに対して、この「三笠」には高い防御力を持つ「クルップ鋼」を採用、他の3艦よりも強力で、世界的にも最強レベルの戦艦でした
・ 当時の日本は、造船技術がまだ未熟であり、主力艦艇は外国から輸入され、「三笠」はイギリスの「ヴィッカース」社で建造されています
●「三笠」は、この能力を買われて1903年に連合艦隊の旗艦へと就役します
●1904年に「日露戦争」が勃発、この戦争の主役は陸上戦闘でしたが、陸上戦力の補給線となる日本海の制海権の確保が戦争の趨勢を決定する極めて重要な要素となっており、日本海軍はその任務を果たすために全力を尽くします
●当時のロシア海軍は、世界有数の海軍を保有しており、その戦力は日本海軍の約2倍もの力を持っていました
●ただし、この戦力は、広大なロシア領内に分散配備され、極東地域には遼東半島の旅順港の「旅順艦隊」、及びウラジオストックに配備された「分遣隊」、西ヨーロッパではバルト海に配備された「バルチック艦隊」と、黒海に配備された「黒海艦隊」に分割されていました
●これらのロシア艦隊が集結して日本海軍との決戦となると、戦力的に大きく水をあけられてしまうことになるので、日本海軍はまず「旅順艦隊」との決戦を行なうことを選択します
●しかし、ロシア海軍側は旅順港内に引き込もって「旅順艦隊」を温存(旅順港の入り口には強固な砲台が設置されていた)、ヨーロッパの艦隊をアジアへと回航させます
●ところが、陸上戦闘の結果、旅順港は日本軍側に包囲され、地上からの砲撃が「旅順艦隊」へと届くようになりました
●旅順港内が安全な場所たりえなくなったため「旅順艦隊」は1904年8月に出航、一路ウラジオストックを目指します
●「旅順艦隊」の出撃を待ち構えていた「連合艦隊」は決戦を挑みますが、ロシア側は戦いを避けるように行動、彼我の距離が詰まらないまま遠距離での砲撃戦となりました(黄海海戦)
●この時、「旅順艦隊」の旗艦「ツェサレーヴィチ」の艦橋に砲弾2発が着弾、装舵手が戦死して、舵が回頭状態のままとなってしまい、「旅順艦隊」は大きく混乱してしまいます
●この結果、多くの艦が被弾、極少数がウラジオストックに辿り着けただけで、残存艦は旅順へと逃げ戻ることになりました
●「黄海海戦」によって、「旅順艦隊」の脅威は半減しましたが、「連合艦隊」では、日本海に向かって来る「バルチック艦隊」(バルチック艦隊と黒海艦隊とが途中で合流)に向けての訓練と、「黄海海戦」の戦訓から入念な作戦の見直しが行なわれました
●これにより考えられたのが「丁字戦法」で、敵艦隊の前に横一直線状に艦を展開、これにより敵艦隊の機先を制し、「黄海海戦」のような取り逃がしを防ぐという陣形でした
●ただし、この戦法は実際の運用が難しく、絶妙なタイミングによって艦隊を動かす必要が有りました
・ 「黄海海戦」でもこの戦法が試みられましたが、敵艦隊との距離が遠かったために、効果的とはならなかったようです
●「バルチック艦隊」は、当時締結されていた日英同盟によりスエズ運河を使えず、希望峰回りでアジアへと到達、1905年5月に対馬近海に接近します
●「三笠」は連合艦隊の旗艦として、艦隊の先頭に位置し、「バルチック艦隊」に向けて突き進み、「日本海海戦」の幕が切って落とされます
●「バルチック艦隊」との距離が8000mとなったところで、「三笠」に座乗する連合艦隊司令長官「東郷平八郎」の命により、艦隊は敵前にて回頭を開始します(「東郷ターン」と呼ばれる)
●この回頭点(単縦陣での回頭は、先頭艦が曲がる箇所を回頭点とし、この地点で各艦が回頭することで、単縦陣の隊形が維持される)を狙ってバルチック艦隊は砲撃を開始、特に「三笠」には砲撃が集中し(32発を被弾)、損害が発生しますが、防御力の高い同艦は、戦闘能力を失うことなく旗艦としての任務を果たします
●東郷ターンを行ったことで「丁字」の形が形成、連合艦隊の砲撃により、「バルチック艦隊」の各艦は被弾が続出し、徐々に戦闘力を喪失して行きます
●「バルチック艦隊」は最初の戦闘により散り散りとなり、艦隊としての統制力を失ったまま2日間に渡る海戦でほぼ壊滅、大型艦の全てを失い、少数の小型艦のみがウラジオストックに逃れたのみでした
●この「日本海海戦」の結果は、日本側の圧勝(日本側の沈没艦は、水雷艇3隻のみ)という世界の海戦史上、稀に見る結果となり、ロシア海軍は回復不可能なダメージを負ったのでした
●「三笠」は、日露戦争終結直後の1905年9月に弾薬庫が爆発する事故が発生、多数の死傷者を出します
●修理が終わった同艦は、1908年に第1艦隊旗艦として復帰しますが、この頃には革新的な戦艦「ドレッドノート」がイギリスで竣工しており、以後この艦を基準とした「ド級艦」や「超ド級艦」が次々と登場、「三笠」は徐々に補助的な存在となって行きました
●1923年には、一旦廃艦が決定されましたが、その歴史的な役割から記念艦として横須賀港に保存することになりました
●しかし、太平洋戦争後の混乱時にはダンスホールへと改装され、艤装の一部が盗難に合うなどの受難を受けましたが、現在では復元、日本海軍艦艇の唯一の生き残りとして往事の姿を残しているのです