日本海軍 軽巡洋艦 大淀 1943年仕様 デラックス
「日本海軍 軽巡洋艦 大淀 1943年仕様 デラックス (プラモデル) (フジミ 1/700 特シリーズ SPOT No.特SPOT-080 )」です
●「日本海軍 軽巡洋艦 大淀 1943 デラックス エッチングパーツ付き」です
●日本海軍の「軽巡洋艦 大淀」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット、竣工時の1943年2月から連合艦隊旗艦として改装される1944年3月までの姿を再現した内容となっています。
【 日本海軍 軽巡洋艦 大淀 1943年仕様 デラックス (フジミ 1/700 特シリーズ SPOT 特SPOT-080) プラモデルの内容 】
●日本海軍の「軽巡洋艦 大淀」を再現したプラスチック組立てキットです。
●「軽巡洋艦 大淀」をシャープに再現、後部の大型の格納庫を持ち、3連装の主砲塔を持つ特異なフォルムを表現しています。
●同社「日本軽巡洋艦 大淀(おおよど)」をベースとして、付属のエッチングパーツを用いて「竣工時」「改装時」のいずれかを選択して作成できる内容となっています。
●艦体喫水線までを再現したウォーターラインモデルです。
●軽巡洋艦 大淀 全体構造
●「大淀」の船体は、上甲板前部と船体部で構成されています。
●船体部は一体成型のパーツで構成され、上甲板のリノリウム押さえの凹凸、舷側の舷窓、錨、艦尾の滑り止め表現などを繊細なモールドで再現しています。
・ 船体部には、格納庫前部、艦橋構造物の一部、第2主砲塔の基部を一体成型化しています。
・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属しています。
・ 格納庫より後部の上甲板はエッチングパーツへと変更、キットのカタパルト基部などを切り取る必要があります。
●上甲板前部には、艦首の滑り止め、リノリウム押さえ、ボラード、リールなどをモールド化して再現しています。
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「高角砲部」「カタパルト部」「煙突部」「格納庫」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます。
●軽巡洋艦 大淀 艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋は5層に分割したパーツ構成、トップには測距儀、射撃指揮所を別パーツ化して再現しています。
・ 羅針艦橋の窓の部分は別パーツ化しています。
・ 艦橋側面の舷窓なども繊細なモールドで再現。
・ 艦橋の上下部には遮風装置をモールド化して再現しています。
・ 艦橋部分を構成する、94式高射装置(×2)、21号電探、方位測定器、25mm 3連装機銃(×2)などを別パーツ化しています。
●メインマスト
・ メインマストは三脚檣型、トップは1本の単檣となっており、前後に2分割したパーツ構成となっています。
● 煙突
・ 本体部分は左右で分割したパーツ構成、煙突トップ部は別パーツ化しています。
・ 煙突周囲の蒸気捨て管などは煙突パーツ上に繊細なモールド化をして再現。
●格納庫(連合艦隊旗艦司令部)
・ 格納庫は、左右側面と天板部分との3分割したパーツ構成。
・ 前部探照灯台座は、探照灯本体と一体成型化しています。
・ 後部の探照灯は、台座と探照灯本体とを別パーツ化して再現しています。
・ 25mm 3連装機銃(×6)、方位測定器が付属。
●後檣
・ 後檣は三脚檣型、トップは1本の単檣となっており、前後に2分割したパーツ構成となっています。
●カタパルト「2式1号10型射出機」 ×1
・ カタパルトはエッチングパーツにて再現
●主砲塔部「60口径3年式 15.5cm砲」 ×2
・ 砲塔は、砲塔本体と砲身部に分割したパーツ構成、測距儀は別パーツ化しています。
・ 砲身部分は3本を連装状に一体成型化して再現しています。
●高角砲「65口径98式10cm連装高角砲 A型改1」 ×4
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体とに分割したパーツ構成、砲身部分は連装状に一体成型化して再現しています。
・ 円形の高角砲台座を別パーツ化して再現。
●対空機銃
・ 25mm 3連装機銃 ×12(艦橋部と格納庫部を含む)。
●対空機銃座として
・ 後部 3連装機銃用 2基用台座 ×1
・ 格納庫後部 3連装機銃用 台座 ×2
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 内火ランチ ×2
・ カッター ×2
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦尾旗竿
・ クレーン
などがセットされています
●艦載機として
零式水上偵察機 ×2
が付属しています
【 日本海軍 軽巡洋艦 大淀 1943年仕様 デラックス (フジミ 1/700 特シリーズ SPOT 特SPOT-080) 付属するエッチングの内容 】
●エッチングパーツで再現されているディテールアップパーツの内容は
・ 船体、艦橋、スポンソン部などの各種手摺り (脚無しタイプ、一部弛み表現付き)
・ ラッタル
・ 艦橋窓枠
・ 艦橋前機銃座滑り止め
・ クレーン
・ メインマスト、後檣
・ 煙突雨水カバー金網、整風板
・ 煙突手摺
・ 後部甲板
・ 甲板上の航空機運搬軌条
・ ターンテーブル
・ 2式1号10型 射出機 (カタパルト)
など、となっています。
【 日本海軍 軽巡洋艦 大淀 1943年仕様 デラックス (フジミ 1/700 特シリーズ SPOT 特SPOT-080) 塗装とマーキング 】
●「塗装図・マーキングガイド」は組立説明書内にモノクロで記載しています。
・ 塗装の際に使用する塗料の種類も記載しています (Mr.カラー / 水性ホビーカラー)。
●艦尾の軍艦旗(直線タイプと、なびいているタイプの2種)を再現したデカールが付属しています。
【 日本海軍 軽巡洋艦 大淀 1943年仕様 デラックス (フジミ 1/700 特シリーズ SPOT 特SPOT-080) パッケージ内容 】
・ 軽巡洋艦 大淀 ×1
・ エッチングシート ×3
・ ペーパーシート ×1
・ 組立説明書 ×1
・ エッチング取付説明書 ×1
●スポット生産品
【 日本海軍 軽巡洋艦 大淀 について 】
●帝国海軍は、日清、日露戦争での戦訓から、主力艦としての戦艦を重視する一方、魚雷攻撃を行なう水雷戦隊の整備にも力を注いでいました。
●この水雷戦隊に対して、敵駆逐艦からの攻撃を排除するために建造されたのが「軽巡洋艦」で、水雷戦隊と同じ速度を持ち、駆逐艦よりも強力な攻撃力を持っているのが特徴でした。
●前述のように「水雷戦隊」の拡充化を図る日本海軍は、1920年代にかけて、「天龍」「龍田」の小型軽巡洋艦、そして5,500tクラスの軽巡洋艦14隻を建造、充実した戦力を準備します。
●ただ、この充実した戦力があるがため「軽巡洋艦」の新規建造は控えられ、砲撃力を重視した大型軽巡(後に改装されて重巡となる)へと建造の関心は移ってしまいます。
●さらに、「水雷戦隊」を編成する駆逐艦として優れた性能の「特型駆逐艦」が誕生するに至ると、既存の「軽巡洋艦」では性能の陰りが目立ち始め、1939年に新型の「軽巡洋艦」の建造計画が立てられました
●この計画に基づき、水雷戦隊用の「阿賀野型 軽巡洋艦」」4隻、そして潜水艦隊用の偵察用「軽巡洋艦 大淀」の建造が始まります。
●「大淀」は、水上偵察機を6機搭載、充実した索敵能力により潜水艦隊の旗艦となり、艦隊の目となってその運用と作戦を行なう役割を担っていました。
●また、その水上偵察機には当時開発中の新型水上偵察機「紫雲」の搭載が予定されていました。
・ 「紫雲」はフロート装備ながら艦上機並みの高速性を追求した機体で、その速度から敵制空圏下において強行偵察を行なう予定でした。
・ この「紫雲」を射出するために、「大淀」は大型のカタパルト「2式1号10型射出機」を装備しました。
●水上艦艇としては、単艦で行動することが想定されたために、対空戦闘能力が充実、逆に艦対戦が考慮されておらず、魚雷発射管を持たない唯一の巡洋艦となっています。
●そして、水上機を6機搭載するために、船体の後ろ半分近くが航空艤装となり、大型の格納庫が設けられました。
●「大淀」は1943年2月に竣工しました。
●しかし、肝心の「紫雲」は試作段階で事故が続発、その後も予定されていた性能を発揮することができず、結局「大淀」には搭載されませんでした。
●また、この時期には対潜能力の高いアメリカ艦隊に対して潜水艦隊を攻撃的に運用することは困難になっており、本来の目的である潜水艦隊旗艦という任務は持たされませんでした。
●そして、魚雷兵装を持たないことで、艦隊戦向きとはされずに、就役当初から輸送任務が主となります。
●1943年7月にラバウル、12月にはトラックへの輸送任務に従事、翌1944年1月にはラバウル北方のカビエンへの輸送任務に就きます。
●このカビエンでの輸送が完了した直後、100機程度のアメリカ軍航空機の空襲を受け、その対空火力と、軽巡洋艦としての高速性により受けた損害は軽微でした。
・ 主砲の15.5cm砲は対空射撃が可能で、装備している長砲身の10cm高角砲は、優れた対空性能を誇っていました。
●その後、1944年3月に「大淀」はその格納庫のスペースを活かして、司令部設備を搭載、連合艦隊旗艦となる改装工事を受けます。
●これは、従来の連合艦隊の旗艦という役割が主力艦である戦艦に与えられ、司令部機能の損害を恐れるために後方へと温存、せっかくの戦艦戦力を活用できないという理由からでした。
・ この改装によりカタパルトは通常の「呉式2号5型射出機」へと変更されています。
●「大淀」は1944年5月から9月の間に連合艦隊の旗艦の任に就きましたが、司令部が艦上に在る必要性は薄れ、9月末には司令部は陸上へと移り、旗艦の役割は終了します。
・ 「大淀」は連合艦隊の旗艦としては最後の艦となりました。
●1944年10月、「大淀」は空母機動部隊である小沢艦隊の一員として「レイテ沖海戦」に参加します。
●小沢艦隊はフィリピン北方のエンガノ岬沖にて数波に渡るアメリカ艦載機の攻撃を受け、主力の空母4隻を失います。
●この攻撃により、沈みかけた旗艦「瑞鶴」からは艦隊司令小沢中将が「大淀」へと移乗、同艦は艦隊の旗艦となり、その後の指揮を担いました。
●「レイテ沖海戦」が終了すると、「大淀」はフィリピン近海で数度の作戦任務を遂行、損害を受けながらも奮戦を続け、一定の戦果も挙げます。
●1945年2月、敵制海権を突破するという輸送任務「北号作戦」に参加、その作戦完遂は絶望視されますが、無事に内地へと帰投しました。
●しかし、1945年3月、呉を襲ったアメリカ艦載機により「大淀」は損害を受けます。
●その後、日本国内での重油の不足が深刻化し、連合艦隊の艦艇は作戦行動が行なえなくなり、「大淀」も江田島で浮き砲台として運用され、7月の空襲により被弾、着底して終戦を迎えています。