日本海軍 秋月型駆逐艦 秋月 1944
「日本海軍 秋月型駆逐艦 秋月 1944 (プラモデル) (ピットロード 1/700 スカイウェーブ W シリーズ No.W-083 )」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の防空駆逐艦(「乙型駆逐艦」)「秋月」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組み立てキット
●艦隊防空だけではなく様々な任務にも従事してその能力を発揮した防空駆逐艦「秋月」を再現、駆逐艦としては大型の船体に、前後に2基ずつ主砲と塔型の艦橋を配置した端整なシルエットが表現されています【 「駆逐艦 秋月型」について 】
●第1次世界大戦に初めて戦場に投入された航空機は、その後急速な性能の発達により爆弾や魚雷の搭載能力が向上し、1930年代中頃より列強国の海軍では航空機に対する艦艇として防空巡洋艦などの建造が開始されました
●帝国海軍でも、このような世界的な流れと帝国海軍自体の航空機運用から防空艦の必要性を認め、当初は旧式化しつつあった5500tクラスの軽巡洋艦を防空巡洋艦に変更する計画が立案されましたが、この5500tクラスの艦は水雷戦隊用として船体の幅が狭く、搭載できる高角砲の数は充分とは言えず、計画は中止されました
●もっとも、帝国海軍は従来の大艦巨砲主義が大勢を占めていたために巡洋艦の建造は「利根型」や「最上型」といった砲撃力を重視した大型軽巡洋艦が優先され、防空巡洋艦といった新たな艦種を建造することは難しく、そこで艦隊防空の艦として防空駆逐艦が建造されることとなりました
●この防空駆逐艦は「秋月型駆逐艦」として1939年に計画が立てられ、1940年から建造が開始されました
●「秋月型駆逐艦」は、主砲を従来の駆逐艦が装備していた「12.7cm砲」から、1938年に制式化された「65口径 98式 10cm連装高角砲」(通称「長10cm高角砲」)を搭載しているのが最大の特徴となっています
●この「65口径 98式 10cm連装高角砲」は、当時の主力高角砲であった「40口径 89式 12.7cm連装高角砲」よりも砲口径は小さくなったものの、射程(射高)、初速、発射速度などの能力が大幅に向上、「40口径 89式 12.7cm連装高角砲」に対して1.5倍程度の能力を擁すると言われました
●また、従来の駆逐艦は仰角を引き上げることで対空射撃を行うことが可能なように改良が施されましたが、元々が対空能力を持たない発射速度の遅い砲であり、有効な対空射撃は期待できず、「65口径 98式 10cm連装高角砲」を装備した「秋月型駆逐艦」との対空能力の差は歴然でした
●この「65口径 98式 10cm連装高角砲」を4基搭載するため、「秋月型駆逐艦」は排水量は3000tを超え、帝国海軍の駆逐艦の中では最大の船体となり、軽巡洋艦「夕張」に匹敵する規模となっています
●また、艦隊戦を重視した帝国海軍は、この防空駆逐艦にも魚雷の搭載を要求しており、次発装填装置付きの4連装魚雷発射管を備え、発射速度の速さによる砲撃力と魚雷により艦隊戦での活躍も期待されました
・ この魚雷発射管を省けば、その代わりに「65口径 98式 10cm連装高角砲」をもう1基増設することが充分に可能であり、それを考慮すると防空駆逐艦に魚雷発射管を装備したことに対して否定的な意見もあります
・ ただし、「秋月型駆逐艦」は防空任務だけではなく、艦隊戦にも従事しており、汎用的な駆逐艦としての魚雷装備は必要とも言われています
●「秋月型駆逐艦」は、その防空能力により艦隊防空に活躍して高い評価を獲得、特に機動部隊の護衛として重用されました
●同艦はその能力から39隻の大量の建造計画が立てられましたが、戦時による資材の不足などにより建造は進まず、竣工隻数は12隻にとどまっています
【 「駆逐艦 秋月」の戦歴について 】
●駆逐艦「秋月」は、「秋月型駆逐艦」の1番艦として1942年6月に竣工しました
●同艦は、早速機動部隊の護衛として用いられ、同年9月には難敵であったアメリカ軍の重爆「B-17」を撃墜する戦果を挙げます
●日米双方が死闘を繰り広げたソロモン海域にも投入され、ガダルカナル島への輸送任務や飛行場への砲撃を行う挺身艦隊への護衛として参加、昼間には対空戦闘に活躍しますが、自身も爆撃を受けて被弾、内地へと帰還して修理を受けました
●1943年には再び戦列に復帰、ガダルカナル島撤退作戦や各種の護衛任務に従事するものの、ブーゲンビル島沖でアメリカ潜水艦の雷撃を受けて損傷します
●「秋月」はトラック島での応急修理を受けて、再び任務に就きますが、航行中に艦橋下部のキールが折れてしまい、輸送船に曳航されながら各地に寄港し、強度的に問題が生じた艦橋、船体前部を
放棄しながら内地へと帰還します
●内地では、本格的な修理が行われて、失った船体前部を建造中の同型艦「霜月」から移植するという方式で再生、4ヶ月という短期間で修理を完了させました
●修理後の1943年12月、「秋月」は再びトラック島方面に投入され、各種の輸送任務の護衛として各地を転戦します
●1944年に入ると、帝国海軍は物量に勝るアメリカ軍に対して苦戦、「秋月」は機動部隊の直衛艦としてフィリピン南部での練成訓練時の護衛に就きます
●1944年6月、日米の機動部隊が一大決戦を行った「マリアナ沖海戦」が発生、同艦は味方空母に襲い掛かるアメリカ軍機に対してその対空能力を発揮して活躍しますが、海戦自体は帝国海軍の完敗に終わりました
●続く1944年10月の「レイテ沖海戦」では、帝国海軍は艦隊航空隊を喪失しており、「秋月」は、囮の役目を果たす機動部隊「小沢艦隊」へと配属、フィリピン北方に突き進みました
●この「小沢艦隊」の動きはアメリカ機動部隊に察知され、同艦隊はアメリカ艦載機の猛攻を受けることとなります
●この攻撃により、空母だけではなく「秋月」も爆弾1発を被弾、搭載魚雷が誘爆してその最期を遂げています【 「日本海軍 秋月型駆逐艦 秋月 1944」のキット内容について 】
●この帝国海軍の防空駆逐艦「秋月」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ピットロード社が長年培ってきた小型艦を中心とした艦船モデル技術に裏づけられながら、シャープな彫刻と模型としてのメリハリのある造形により防空駆逐艦「秋月」をフォルムとディテールとを再現した内容となっています
●「秋月」は太平洋戦争期間中に逐次対空兵装を中心とした改装が行われており、本キットでは1944年の対空兵装増強時の姿が再現されています
●艦体喫水線までが再現されたウォーターラインモデルです
●「秋月」の船体は左右分割式となっており、上甲板は別パーツです
・ 船体は平らとなる船底部分が一体成型され、喫水線部分までが再現されています
・ 船体部には舷外電路、舷窓、鋼板継ぎ目などが彫刻されています
●上甲板は、船首楼部分と後部甲板とに分割されています
・ 甲板上には、リノリウム押さえ、滑り止め、魚雷運搬用軌条、爆雷用軌条、ボラード、アンカーチェーンなどがシャープなモールドで再現
・ 主砲台座及び魚雷発射管の台座、煙突部の基部が甲板上に一体成型されています
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「魚雷発射管」「煙突部」「後部構造物」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「秋月」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は下部が前後分割式、上部が2層で構成され、上部の「94式高射装置」は別パーツとなっています
・ 艦橋窓枠がモールドされています
・ 艦橋下部の舷窓や梯子などのディテールがモールドで再現
●メインマスト、後檣
・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、メインマストは6パーツで構成、後檣は前後分割式です
・ メインマストに装備される「21号電探」、後檣に装備される「13号電探」がパーツ化
●煙突
・ 煙突は左右分割式で、トップは別パーツです
・ トップは3分割された状態を再現
・ 煙突には各管が一体成型され、副管は別パーツとなっています
●機銃台座
・ 煙突後部の機銃台座は、スポンソン部と支柱とが一体成型されています
・ 前部の機銃座は左右で分割してパーツ化
・ 機銃台座に装備される「25mm 3連装機銃」(×4)、方位測定器(×1)、2m測距儀(×1)が付属
●後部構造物
・ 後部構造物の後部と予備魚雷装填装置は甲板に一体成型されており、前部及び探照灯台座、機銃用スポンソンは別パーツです
・ 後部構造物に装備される「25mm3連装機銃」(×1)、90cm探照灯(×1)、パラベーン(×2)がパーツ化
●主砲塔「65口径 98式 10cm連装高角砲」 ×4
・ 砲塔は、砲塔本体と1本ずつ分割された砲身部とで構成されています
●4連装魚雷発射管 「92式 61cm 4連装魚雷発射管」 ×1
・ 魚雷発射管は一体成型です
●対空機銃 「25mm 3連装機銃」 ×5、「25mm単装機銃」×20
・ 3連装機銃は銃身部と銃架の2分割式、単装機銃は一体成型となっています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 9m内火艇 ×1
・ 9mカッター ×1
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 錨
・ 前部フェアリーダー
・ 爆雷装填台
・ 爆雷用ダビット
・ 爆雷発射機
・ 艦尾、艦首旗竿
・ スキッドビーム
などがセットされています
●艦尾の軍艦旗、艦首の日章旗、舷側部の艦名表示などを再現したデカールが付属しています
●2006年 一部新金型 (秋月型駆逐艦 第2弾)