日本戦艦 陸奥 1943 桂島
「日本戦艦 陸奥 1943 桂島 (プラモデル) (アオシマ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.041604 )」です
●太平洋戦争時における帝国海軍を代表する長門型戦艦「陸奥」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キットで、1943年の最終時の姿を再現した内容となっています
●当時の連合艦隊の象徴として国民の人気を集めた「陸奥」を再現、日本戦艦特有の積み上げ式の艦橋と、先鋭的な艦首デザイン、迫力の主砲などその威厳を持つ姿が表現された内容となっています【 戦艦「陸奥」について 】
●帝国海軍は、日露戦争においてその海軍力によりロシア海軍を破ると、大艦巨砲主義に基づいた海軍戦力の拡大を図るようになります
●第1次世界大戦では日本は連合軍国側として参戦、国としての損害は無い状態で戦勝国となり、軍需景気に支えられ、海軍力の増強に拍車が掛かります
●また、1906年に竣工したイギリス海軍の戦艦「ドレッドノート」の登場により、戦艦の様式は一変し、これに習った「ド級艦」、そして更に発展させた「超ド級艦」が各国で建造されましたが、帝国海軍ではこのような戦艦は「金剛型」「扶桑型」「伊勢型」の合計8隻であり、列強の海軍と比べて戦力的には劣勢となっていました
●この劣勢を挽回するため1917年ごろから計画されたのが通称「88艦隊」で、前述の戦艦の他に、新たに艦齢8年未満の8隻の戦艦と8隻の巡洋戦艦を保有するというものでした
●戦艦「長門型」は、この「88艦隊」計画に基づく最初の戦艦であり、当時としては最大の口径を誇る「40cm砲」を8門搭載、速力も巡洋戦艦クラスの26.5ノットと高速(当時の戦艦の最高速度は20ノット強)で、これまでに培われてきた日本の建艦技術の粋を結集したものでした
●1番艦たる「長門」は1917年、2番艦の「陸奥」は1918年に建造が開始されました
●ところが、1921年に開催された「ワシントン軍縮会議」において、各国の主力艦の隻数制限が決定され、未成艦は廃棄もしくは他の艦種への変更することとなりました
●この時点において、「長門」は竣工していたものの、「陸奥」は85%程度の完成状況であったため、海軍は急ピッチで建造を急ぎ、削減対象とはならないように様々な努力をした結果、なんとか保有を認められます
●このような「ワシントン軍縮条約」の結果、40cm砲を装備しているのは「長門」「陸奥」、アメリカ海軍の「コロラド」型3隻、イギリス海軍の「ロドネイ」型2隻の合計7隻となり、これらの戦艦は最強艦として「ビック・セブン」と呼ばれました
●しかし、当時の建造技術は急速に発展しており、竣工後まもない1924年と1926年に小規模な改装が行われ、1934年から1936年にかけて大規模な近代化改装が実施されます
●1924年、1926年の改装においては、第1煙突を屈曲形状へと変更、大規模改装時には煙突は1本となり、船体側部にバルジを増設、主砲塔は軍縮条約により廃艦となった「加賀」「土佐」の新型主砲塔へと換装が行われます
●また、艦橋構造物には、各種艦橋設備、指揮所などが大幅に増設され、この積み上げ式の艦橋の形状が日本の戦艦を象徴する姿となりました
●戦艦「陸奥」は「長門」と並び、当時の連合艦隊の中では最強とされ、まだ大艦巨砲主義が常識化していた国民の間では絶大な人気を誇りました
・ 「長門」を大幅に凌ぐ能力を持つ戦艦「大和型」は、国民へは完全に秘密とされ、その存在を知る人はほとんどいませんでした
●太平洋戦争の開戦後、「陸奥」と「長門」は艦隊決戦用として内地において温存されました
●連合艦隊の総力を挙げた1942年6月の「ミッドウェー海戦」では「主力艦隊」として参加、ただし、この艦隊はアメリカ軍が戦艦などによって艦隊決戦を挑んできた際に投入されるものであり、前衛となった空母機動部隊の遥か後方に位置していたために戦いに何ら寄与することなく、空母機動部隊の壊滅により内地へと帰投します
●1942年8月、アメリカ軍が南太平洋のガダルカナル島に上陸、以後この海域を巡って両軍の死闘が繰り広げられます
●「陸奥」は、その戦域の後方となるトラック島に進出しましたが、この地においても温存され、「第2次ソロモン海戦」において出撃したのみとなりました
●1943年になると、内地へと帰投、呉近海において待機する日々が続きます
●ところが1943年6月、広島湾沖の桂島泊地で停泊中、第3主砲塔から大爆発が発生、船体は真っ二つに切り裂かれて瞬時に沈没、あっけない最期を遂げてしまいました
●この戦艦「陸奥」の爆沈の原因は、その後の調査と戦後の研究により様々な説が唱えられていますが、どれも確証に欠けているのが現状です
●ただし、「陸奥」は戦後に浮揚解体が行われなかった関係で、沈んだままの状態で残されていたため、1970年に主砲塔などの一部艤装類が引き上げられました
●これらは各地の記念館を中心に展示されており、当時の帝国海軍の威容を直接感じ取ることができる数少ない展示品の一つとなっています【 「日本戦艦 陸奥 1943 桂島」のキット内容について 】
●この帝国海軍戦艦「陸奥」を再現したプラスチック組立てキットです
●シャープなモールドにより戦艦「陸奥」を再現、ウォーターラインシリーズとして作り易さが考慮されながらもパーツ分割や細かなディテールにより、実艦の持つ雰囲気が表現された内容となっています
●「陸奥」は、太平洋戦争が開戦すると対空兵装の増強が行われており、キットは1943年の最終時の状態が表現されています
●アオシマ社製「日本戦艦 陸奥」をベースに、1943年の最終時を再現するために、艦橋トップの射撃方位盤や対空兵装を中心としたパーツを新規に追加したバリエーションキットです
●艦体喫水線までが再現されたウォーターラインモデルです
●「陸奥」の船体部は上下分割式で、これに「上甲板」「上部構造物」「各艤装類」を取り付ける構成となっています
●船体部には、船首楼甲板の後部、上甲板が一体成型され、細部では舷側の舷窓、アンカーレセスなどが再現、バルジ部分も表現されています
・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板は、船首楼甲板前部、艦橋甲板、艦載機用甲板、船体に一体成型されている甲板部で分割されています
・ 甲板上には、主砲塔台座、滑り止めなどの基本躯体の他、ボラード、昇降口、通風筒などの細かなディテールが再現
・ 艦載機用甲板には、リノリウム押さえ、航空機用軌条、ターンテーブルのモールドが彫刻されています
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「カタパルト部」「煙突部」「後部構造物」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「陸奥」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は10層で構成され、トップの射撃指揮所は別パーツとなっています
・ 主要部分の艦橋の窓の枠がモールドされています
・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱が別パーツ化されています
・ 艦橋部分を構成する、4.5m測距儀(×2)、90cm探照灯(×4)、25mm連装機銃(×6)、12.7cm連装高角砲(×2)などがパーツ化されています
● 煙突
・ 本体部分は左右分割式で、トップは別パーツとなっています
・ 煙突部の探照灯及び機銃台座は、ブロックごとにパーツ化されています
・ 探照灯台座の支柱部分は3分割式で、シャープなモールドによりトラス構造を再現しています
・ 「110cm探照灯」×6、「25mm連装機銃」×4が付属
●後部艦橋
・ 後部艦橋の主要部は5パーツで構成、その上部に設置された後部予備指揮所、後檣が別パーツで再現されています
・ 後檣は1本の単檣で、上部のヤード、ガフは別パーツ化されています
・ 予備指揮所、高射装置が別パーツとなっています
・ 「12.7cm連装高角砲」(×2)が付属しています
●カタパルト「呉式2号5型射出機」 ×1
・ カタパルトは一体成型のパーツで、トラス部分がモールドにて再現されています
●主砲塔部「45口径3年式 40cm連装砲」 ×4
・ 砲身部分は1本づつの分割式で、砲身基部の外とう砲取り付け金具、防水布が再現されています
・ 測距儀は別パーツとなっています
・ 主砲塔はポリキャップにより旋回可能です
●副砲「50口径3年式 14cm単装砲」 ×18
・ 砲塔部分と砲身部とは一体成型となっており、砲身基部の防水布が再現されています
●高角砲「40口径89式 12.7cm連装高角砲(A1型)」 ×4
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との分割式で、砲身部分は連装式に一体成型されています
●対空機銃
・ 25mm 3連装機銃 ×4(第2、第3主砲塔上に配置)
・ 25mm 連装機銃 ×10(艦橋、煙突部に配置)
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 17m内火艇 ×2
・ 11m内火艇 ×1
・ 12m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×3
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ クレーン
・ フェアリーダー
・ 塵芥投棄管
などがセットされています
●艦載機として
・ 零式水上観測機 ×1
が付属しています
●静岡模型教材協同組合「大型艦兵装セット」のランナーが2枚付属しており、高角砲、機銃、艦載機、カタパルト、内火艇の一部などは同ランナーのパーツを使用します
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークを再現したデカールが付属しています
●スポット生産品