日本軽巡洋艦 長良
「日本軽巡洋艦 長良 (プラモデル) (タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.322 )」です
●太平洋戦争時の帝国海軍の軽巡洋艦「長良」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●5500tクラスの軽巡洋艦の第2グループのネームシップとして、大型の艦橋構造物を持つ基本スタイルを確立した軽巡洋艦「長良」を再現、スマートな船体に3本の煙突、そして単装砲を多数装備した独特なスタイルを再現した内容となっています
【 「日本軽巡洋艦 長良」のキット内容について 】
●軽巡洋艦「長良」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ウォーターラインシリーズとしてパーツ数を抑えながらも、タミヤらしいキレのあるエッジが立ったモールドとスケールに沿ったディテール表現により、スマートな船体を持った軽巡洋艦「長良」の姿が再現されています
●コレクション性を重視したパーツ構成ながら、軽巡洋艦「長良」としてのフォルムとディテールのポイントがしっかりと押さえられており、そのまま組むだけでも十分な精密感を楽しめます
●また、基本となる部分がしっかりとしているためにディテールアップの効果も高く、気軽に組んでその姿を楽しむことから、ハードにディテールアップを楽しむことまで、様々なニーズに対応できる内容となっています
●軽巡洋艦「長良」は、太平洋戦争開戦後も度々改装が行われており、本キットではカタパルトを撤去し、前部のウェルデッキが塞がれて船体と面一となり、対空兵装と電探とを増設した1944年時の状態が再現されています
●艦体喫水線までが再現された洋上モデルです
●「長良」の船体は上下分割のパーツで構成されています
・ 船体部には、魚雷発射口、舷側の舷窓、舷外電路、梯子などが彫刻にて再現されています
・ 魚雷発射管口は開口されています
・ 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板は、船体に一体成型された上甲板と後部上甲板、別パーツ化されたシェルター甲板で構成されています
・ 甲板上には、主砲及び魚雷発射管の台座、機銃のブルワークなどの基本躯体の他、リノリウム押さえ、滑り止め、ボラード、昇降口、ボート架台、リール、ウインチ、爆雷の軌条、錨などの細かなディテールが再現されています
・ ウェルデッキを塞ぐ構造物は1パーツで再現、上部にはリノリウム押さえが繊細なモールドで再現されています
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「煙突部」「主砲」「後檣」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「長良」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は3層で構成されており、トップの測距儀は別パーツ化して再現されています
・ 艦橋窓枠は、窓の部分が一段深くなった状態で再現されています
・ 艦橋部分を構成する、「21号電探」(×1)、「25mm単装機銃」(×2)が別パーツ化されています
●メインマスト
・ メインマストは三脚檣型、トップは単檣型です
・ マストの艦橋構造物は2層で構成されています
・ 艦橋窓枠部分は凸モールドで再現
・ クロスツリーは別パーツ化されています
・ マスト部に装備された「探照灯」(×2)が別パーツ化
● 煙突
・ 煙突の本体部分は左右分割のパーツで構成、 煙突トップは別パーツ化して再現しています
・ 煙突前後の副管は別パーツ化して再現
●後檣
・ 後檣は三脚檣型、トップは単檣型です
・ 三脚檣部分は前後分割のパーツで構成、トップは一体成型のパーツとなっています
・ 中央部のクロスツリーは別パーツ化して再現しています
・ マストに装備されている、「探照灯」(×1)も別パーツ化しています
●主砲 「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×5
・ 主砲は砲身部(砲架を含む)と、シールド部との2パーツで構成
●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」×1
・ 高角砲は、連装式に一体成型された砲身と砲架との2パーツで構成されています
●魚雷発射管 「61cm 4連装発射管」 ×2
・ 魚雷発射管は一体成型のパーツで再現されています
●対空機銃 「25mm3連装機銃」 ×2、「25mm連装機銃」 ×6、「25mm単装機銃」 ×8
・ 各機銃は一体成型のパーツで再現
・ 各機銃座は個別にパーツ化されています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 内火艇 ×1
・ 内火ランチ ×2
・ カッター ×3
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 爆雷用軌条
・ 艦尾旗竿
などがセットされています
●艦橋窓枠と、艦尾の旗竿に掲げられる軍艦旗(直線状態と垂れた状態の2タイプ)を再現したステッカーが付属しています
【 「日本軽巡洋艦 長良」のパッケージ内容 】
・ 日本海軍 軽巡洋艦 長良 ×1
・ ステッカーシート ×1
●1993年 完全新金型
【 「軽巡洋艦 長良型」について 】
●日清戦争と日露戦争での海戦において帝国海軍は勝利を収めましたが、大艦巨砲主義が常識的だったこの時代でも砲撃のみで大型艦を沈めることは難しいと考えられており、敵艦の喫水線以下に大きなダメージを与えることができる水雷艇、駆逐艦の雷撃力も重視されました
●雷撃戦の主役となる水雷戦隊は3隻から4隻程度の駆逐艦で構成され、帝国海軍ではこの水雷戦隊の旗艦として、敵の駆逐艦よりも砲撃力で勝る能力を持ち、駆逐艦と同等の雷撃力を装備した軽巡洋艦の建造計画を立てます
●この計画により3000tクラスの軽巡洋艦「天龍型」が建造されましたが、この大きさでは充分な砲撃力と雷撃力を装備することが難しく、アメリカ海軍がより大型の軽巡洋艦「オマハ型」を建造するという情報を受けた帝国海軍では「天龍型」を拡大させた5500tクラスの軽巡洋艦の建造を進めました
●軽巡洋艦「長良型」は、5500tクラスの1番目のグループである「球磨型」を改良、航空機格納庫を擁する大型の艦橋構造物を装備しているのが外観上の特徴となっています
・ この航空機格納庫は、2番主砲塔の上の部分に設置された滑走台から陸上機を発艦させるシステムでしたが、発艦は可能ながら着艦はできず、更には航空機の性能向上により小さな滑走台では対応できなくなったために、その後水上機をカタパルトで射出する方式となりました
・ カタパルトを装備したために、5500tクラスの軽巡洋艦に装備されていた滑走台は撤去されましたが、大型化された艦橋はそのままの状態となっています
●1922年から順次竣工した「長良型」は、当時の駆逐艦と同一行動を行うことができるように最高速度36ノットを発揮するスマートな船体を持ち、駆逐艦よりも口径が一回り大きい14cm砲を搭載していました
●そして、自身の雷装も連装式魚雷発射管4基を装備し、駆逐艦に匹敵する雷撃力を持ち、水雷戦隊の旗艦として相応しい性能を擁していました
●しかし、その後の造艦技術の発展は目覚しいものがあり、「長良型」は近代化改装と兵装の増強などが繰り返され、水雷戦隊旗艦としての性能を維持し続けました
●もっとも、1940年代に入ると、「長良型」の性能向上にも限界が見え始め、1942年頃には後継として建造されていた軽巡洋艦「阿賀野型」に水雷戦隊旗艦の座を譲る予定でしたが、太平洋戦争の開戦により、継続してその任に就いています
●そのため、太平洋戦争での「長良型」は水雷戦隊旗艦として常に第1線で運用が行われ、ソロモン海での海戦においては優勢なアメリカ艦隊との死闘を繰り広げ、性能には劣りながらも活躍を果たします
●戦争中期以降は、戦局の悪化から第1線で活躍していた「長良型」は戦没する艦が続出、その結果、6隻建造された「長良型」は終戦時までに全て失われたのでした
【 「軽巡洋艦 長良」について 】
●軽巡洋艦「長良」は、「長良型」の1番艦として1922年に竣工、当初は水雷戦隊旗艦としてすっきりとした外観を持っていましたが、数度に及ぶ近代化改装によりカタパルトの設置やマスト部の艦橋構造物の増設などで徐々に重厚なシルエットへと変化しています
●太平洋戦争開戦時、「長良」は艦齢20年近くになる旧式艦でしたが、主として水雷戦隊の旗艦として活躍することとなります
●戦争が開戦すると、「長良」はフィリピンやインドネシアなどの南方へと進出、各攻略作戦の支援に従事します
●1942年6月のミッドウェー海戦では、第1航空艦隊を護衛する水雷戦隊の旗艦として参加、その後のガダルカナル島を巡る海戦においてはアメリカ艦隊との壮絶な夜戦を展開、被弾しながらもアメリカの駆逐艦を撃沈するなどの戦果を挙げます
●その後、「長良」は南方への前哨基地となるトラック島周辺における各種任務に従事、1944年6月のマリアナ沖海戦以後は小笠原や沖縄方面への輸送任務に就いています
●1944年8月、「長良」は佐世保への回航中にアメリカ潜水艦の攻撃を受けて魚雷を被雷、その歴戦の雄姿を波間に消したのでした