旧 日本海軍戦艦 扶桑
「旧 日本海軍戦艦 扶桑 (プラモデル) (フジミ 1/350 艦船モデル No.600055 )」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の「戦艦 扶桑」を1/350スケールで再現したプラスチックモデル組み立てキット
●絶望的な戦況下において艦隊戦を挑み、「スリガオ海峡」で壮絶な最期を遂げた「戦艦 扶桑」を再現、日本一の高さを誇った積み上げ式の艦橋を持つ威容を再現した内容となっています【 「旧 日本海軍戦艦 扶桑」のキット内容について 】
●帝国海軍の「戦艦 扶桑」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●「戦艦 扶桑」特有の複雑な構造を持つ艦橋構造物、煙突周りのトラス構造、そして船体甲板部上の各種構造物がビックスケールならではの密度の濃い情報量を活かして、きめ細やかに表現された内容となっています
●「扶桑」は数々の改装を繰り返しており、本キットでは対空兵装が強化された昭和19(1944)年の最終時の姿が再現されています
●艦体喫水線以下も再現されたフルハルモデルです
●「戦艦 扶桑」の船体部は左右分割式で、これに上甲板、上部構造物、各艤装類を取り付ける構成となっています
●船体部には、副砲のデッキ部分が一体成型され、細部では舷側の舷窓、閉塞された舷窓、舷外電路、アンカーレセス、フェアリーダー、梯子などが再現されています
・ 船体側面には鋼板継ぎ目が繊細なモールドで再現
・ ビルジキールが一体成型されています
・ 船体の歪みを防ぐ桁のパーツが多数付属
・ 艦底部の推進軸(4軸)、スクリュー、舵がパーツ化
●上甲板は一体成型となっています
・ 甲板上には、主砲塔台座、各ブルワーク、木甲板表現、後部の航空機甲板のリノリウム表現などの基本躯体の他、ボラード、昇降口、天窓、航空機軌条、ボート架台などの細かなディテールが再現
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「煙突部」「後部構造物」「カタパルト部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「戦艦 扶桑」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は12層で構成され、トップには射撃指揮所、測距儀が別パーツとなっています
・ 3箇所の艦橋窓部分はクリアーパーツにて再現
・ 前檣楼支柱は1本づつパーツ化
・ 艦橋構造物を構成する各デッキには滑り止めパターンが彫刻され、ブルワークの折り返しや補強板なども再現
・ 艦橋部分を構成する、「4.5m測距儀」×2、「高角測距儀」×2、「94式高射装置」×2、「110cm探照灯」×2、「25mm 3連装機銃」×4、「12.7cm連装高角砲」×2、「25mm単装機銃」×5、「22号電探」×2、「21号電探」×1、「双眼鏡」×30、各部のラッタルなどがパーツ化されています
● 煙突
・ 本体部分は左右分割式で、上部の雨水カバー金網と整流板は別パーツとなっています
・ 雨水カバー金網は開口処理されています
・ 煙突周囲の各管はブロックごとの別パーツ
・ 煙突下部の構造物には機銃座が一体成型、側面パネルの一部は別パーツです
・ 煙突部の探照灯台座は、ブロックごとにパーツ化されています
・ 探照灯台座の支柱部分、機銃座の支柱は、トラス構造を再現、開口処理されています
・ 「110cm探照灯」 ×6、「25mm連装機銃」×2、「13号電探」×2が付属
●後部艦橋
・ 後部艦橋は、高角砲のスポンソン部で分かれており、下部が前後分割式、上部は上下分割式となってます
・ 主砲方位盤、観測鏡などが別パーツとなっています
・ 「12.7cm連装高角砲」×2、信号灯などが付属しています
●後檣
・ 後檣は1本の単檣で、上部のヤード、ガフ、クレーンは別パーツ化されています
●カタパルト「呉式 2号5型射出機」 ×1
・ カタパルトは8パーツで構成され、トラス構造と滑車などのディテールが再現されています
●主砲塔部「45口径 41式 36cm連装砲」 ×6
・ 砲塔は上下分割式です
・ 砲身部分は1本づつの分割式で、防水布部分は別パーツです
・ 砲身の砲口部分は開口処理されています
・ 測距儀は別パーツとなっています
・ 機銃のブルワークは各ブロックごとにパーツ化
・ 「25mm連装機銃」×8、「25mm単装機銃」×6が付属
・ 主砲塔は、基部に装着させるポリキャップにより旋回可動式です
●副砲「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×14
・ 副砲は、砲身部分と砲塔部分の2分割式です
・ 砲身の砲口部分は開口処理されており、基部には防水布が再現
●高角砲「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4
・ 高角砲は砲架部分が4分割式で、これに連装式に一体成型された砲身と平衡器を取り付ける構成となっています
・ 砲身の砲口部分は開口されています
●対空機銃
・ 25mm 3連装機銃 ×10 (艦橋部を含む)
・ 25mm連装機銃 ×12 (主砲塔、煙突部を含む)
・ 25mm単装機銃 ×42 (主砲塔、艦橋部を含む)
・ 連装式と3連装式の機銃は、機銃架部分が3分割式でこれに連装式、3連装式に成型された銃身部を取り付けます
・ 単装機銃は、銃身部と銃架との2分割式
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 12m内火艇 ×1
・ 12m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×2
・ 内火艇、内火ランチは上下方向に3分割式、カッターは2分割式となっています
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ 係船桁
・ ダビット
・ クレーン
・ パラベーン
・ キャプスタン
・ 通気筒
・ リール
・アンカーチェーン(金属製チェーン)
・ ラッタル
・ 塵捨て管
・ 航空機運搬台車
などがセットされています
●艦載機として
・ 零式水上観測機 ×1が付属、クリアーパーツで成型されています
・ 艦載機は、胴体(左右分割式)、主翼、副翼、水平尾翼、主翼桁、メインフロート、副フロート、プロペラのパーツ分割となっています
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マーク、識別帯、機体番号などを再現したデカールが付属しています
●フルハルモデル用のディスプレイスタンドが付属しています
●2010年 完全新金型
------------------------------【 「戦艦 扶桑」について 】
●1906年に竣工したイギリス海軍の戦艦「ドレッドノート」は、それまでの戦艦が主砲の他に副砲、中間砲というハリネズミ式の武装配置をしているのに対し、単一口径の主砲をメインとした配置により強力な攻撃力を持つ革新的な艦となりました
●この艦の登場により、従来型の戦艦は一気に時代遅れとなり、各国は、この「ドレッドノート」に準じた戦艦「ド級艦」を建造、更に主砲の全てを中心軸線上に配置した「超ド級艦」を続々と就役させます
●帝国海軍は、日露戦争後においては艦艇の建造を日本で行なっていましたが、最新の建造技術を習得のために、この「超ド級艦」の巡洋戦艦として「金剛」の建造をイギリスに発注しました
●この「金剛」の同型艦を建造することで、「超ド級艦」のノウハウを得た帝国海軍は、続いて戦艦である「扶桑級」の建造を開始し、1915年に「扶桑」、1917年に「山城」を竣工させます
●この「扶桑級戦艦」は、当時の戦艦としては最大かつ最強を誇り、30,000tの排水量に「36cm連装砲」を6門搭載し、「金剛級」の1.5倍の攻撃力を持っていました
●しかし、中央の主砲塔がボイラーを挟むように配置されていたために、艦の構造上、弾薬庫を分散配置させなければならず、また防弾機能の効率化という点からも防御力に難点が生じ、この問題は後年においても同艦の足枷となっています
●また、巡洋戦艦として建造された「金剛級」は、その高速性能による汎用性から艦齢が古いながらも太平洋戦争を通じて活躍したのに対して、戦艦として建造された「扶桑級」は元々速度が遅く、これも同艦の運用を限定させる要因にもなりました
●一方、当時の世界各国における戦艦の建造技術の進歩は目覚しいものがあり、出現当初は最強を誇った「扶桑級」も、その能力は急速に時代遅れとなって行きます
●「扶桑」は竣工時から度々改装が行なわれましたが、1930年に近代化の第1次の大改装を実施、機関出力の増強と防御力の向上、そして主砲の仰角の引き上げにより最大射程が伸ばされました
●また、艦橋構造物が大幅に増設され、艦橋の高さが50mにもなる艦影を持つことになり、「扶桑級」の最大の特徴となっています
●続いて1934年には第2次の改装が行なわれ、艦尾の延長とバルジの増設、機関出力の更なる増強が行なわれましたが、最大速度は24.7ノットに止まり、速力、防御力の点から戦艦としての能力に見劣りするのも事実でした
・ その後も、艦載機の搭載方式の変更などの改装が行なわれています
●太平洋戦争の開戦時、「扶桑」は「山城」と共に主力艦隊である「第1艦隊 第2戦隊」に所属、真珠湾攻撃部隊の支援や、東京初空襲時の迎撃任務に出撃した以外は内地に留まっています
●1942年6月の「ミッドウェー海戦」では、機動部隊の攻撃により退避した敵艦隊を撃滅するという警戒艦隊としてアリューシャン南方へと向かいますが、作戦失敗を受けて帰還しました
●その後、連合艦隊は、ソロモン海域での連合国側艦隊との死闘が繰り広げれられていましたが、前述のように速度と防御力に見劣りがしてしまう点と、戦艦同士の艦隊戦により雌雄を決するという帝国海軍の伝統的な考えにより、「扶桑」は内地において練習用として温存されています
●1943年7月に「扶桑」はトラック島へと進出、数回に渡り任務のために出撃しますが、結局接敵の機会は有りませんでした
●1944年10月にアメリカ軍はフィリピン東部のレイテ島へと上陸、フィリピンを失うことは戦略資源の供給源である南方への補給路を断たれるということを意味し、連合艦隊は総力を挙げて最終決戦を挑みます
●「扶桑」は「山城」と共に「西村艦隊」に配属され、主力の「栗田艦隊」と別行動を取って南回りにレイテ島を目指し、最終的には「栗田艦隊」と共に敵輸送船団を叩くという遊撃的な任務を与えられます
●「西村艦隊」はレイテ島へと進行、敵艦載機の攻撃が「栗田艦隊」へと集中している隙を突いてレイテ島沖へと辿り付きます
●本来、「栗田艦隊」との同時の到着により共同して敵を撃破する予定でしたが、「栗田艦隊」は敵艦載機の攻撃による回避行動により到着を遅れ、「西村艦隊」は単独でレイテ島に夜間突入を図ります
●アメリカ軍は「西村艦隊」の行動を察知しており、輸送船団の護衛と上陸支援にあたる「オルデンドルフ提督」隷下の艦隊をスリガオ海峡に配置して「西村艦隊」を待ち受けていました
●「西村艦隊」は、駆逐艦を先頭に旗艦「山城」、そして「扶桑」が続くという陣形でスリガオ海峡を前進、当初「オルデンドルフ提督」隷下の魚雷艇群の攻撃を受けましたが、これを回避して前進を続けました
●次に、アメリカ駆逐艦隊が襲撃、魚雷攻撃を受け、この攻撃により「扶桑」は4本の魚雷を被雷します
●そして、アメリカ艦隊の主力である戦艦群が丁字戦法の陣形となって「西村艦隊」へと射撃を開始、戦力的に劣勢な上に損傷艦も多く、更に不利な艦隊配置により一方的に砲撃を受ける状況となります
●被雷により大きく速度を落とした「扶桑」は戦列から取り残される形となり、そこへ砲撃が集中、同艦はまたたく間に戦闘能力を喪失、次いで弾薬庫の誘爆と思われる大爆発を起こして、その最期を遂げました
●その後、「西村艦隊」にはアメリカ軍の攻撃が続けられ、戦艦2隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦4隻から編成されていた同艦隊は壊滅、戦場から離脱できたのは駆逐艦1隻のみでした