日本海軍 陽炎型駆逐艦 不知火 (新装備&エッチングパーツ付属)
「日本海軍 陽炎型駆逐艦 不知火 (新装備&エッチングパーツ付属) (プラモデル) (ピットロード 1/700 スカイウェーブ W シリーズ No.SPW014 )」です
●「日本海軍 陽炎型駆逐艦 不知火 (新装備&エッチングパーツ付属)」です
●帝国海軍の甲型駆逐艦「陽炎型」の2番艦「不知火」」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●ピットロード社製「日本海軍 陽炎型駆逐艦 陽炎 (フルハル仕様)」に、同社「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」(現在、未発売)と、「日本海軍駆逐艦 陽炎型用エッチングパーツ (PE-155)」をセットした特別限定バージョンとなっています【 駆逐艦「陽炎型」について 】
●帝国海軍は艦隊型の1600tクラスの駆逐艦「特型」を1928年に竣工、同艦は従来の駆逐艦の1.5倍もの攻撃力を誇り、その艦形と武装配置は以後の駆逐艦のスタンダードとなりました
●しかし、ロンドン軍縮会議により駆逐艦のような補助艦艇の保有にも制限が加えられるようになり、「特型」以後の「初春型」「白露型」などは排水量と比べ過大な武装を装備した結果、建造後に欠点が発見されてしまうような艦となってしまいます
●1936年、日本は軍縮条約から脱退、これにより排水量の制限を受けずに艦の建造ができるようになり、2000tクラスの駆逐艦である「陽炎型」が建造されることになります
●「陽炎型」は、その前の型式の駆逐艦「朝潮型」と同じ武装を装備しながら、船体強度が充分に確保され、航続距離も増大し、帝国海軍が望んだ理想的性能を持つ艦隊型駆逐艦となりました
●「陽炎型駆逐艦」は、「12.7cm 連装砲」を3基搭載、魚雷兵装は「4連装式 61cm 魚雷発射管」を2基搭載、また魚雷の次発装填装置も装備しており、魚雷を2装射する能力を持っているのが特徴でした
・ 他国の駆逐艦は、装填している魚雷を発射するのみで、戦闘中に次発装填はできませんでした
●この「61cm 魚雷発射管」は、長射程、大威力の「酸素魚雷」を装備しており、駆逐艦で構成される水雷戦隊による魚雷の一斉装射は、敵の艦隊に対して極めて脅威となるものと思われました
・ 実際、ソロモン海での夜戦において、アメリカの巡洋艦は「酸素魚雷」を1発被弾しただけで戦闘不能となるダメージを受けています
●「陽炎型」駆逐艦は、1939年に1番艦の「陽炎」が竣工、最終艦となる「秋雲」が1941に竣工するまでに合計19隻が建造されています
●同駆逐艦は、当時の最新鋭の駆逐艦として常に最前線に投入され、連合軍艦艇と交戦、特にガダルカナル島沖で行なわれたソロモン海の戦いではその性能を発揮して多くの敵艦を撃破もしくは撃沈しました
●しかし、その分、同艦の損傷も多く、8番艦「雪風」以外は全艦戦没しています【 「陽炎型駆逐艦 不知火」について 】
●駆逐艦「不知火」は、「陽炎型」駆逐艦の2番艦として1939年12月に竣工しました
●太平洋戦争開戦時には、機動部隊「第1航空艦隊」の直衛艦として真珠湾攻撃艦隊に随伴しています
●その後も機動部隊の護衛として、「ポートダーウィン空襲」や「セイロン沖海戦」などに参加、「ミッドウェー海戦」では攻略艦隊の護衛として出撃しました
●1942年6月、水上機母艦「千代田」などの護衛としてアリューシャン列島のキスカに進出、同地においてアメリカ潜水艦の雷撃を受けて大破、損傷は極めて大きなもので、内地に曳航されて1943年11月まで修理を要しています
●1944年に入ると南方への輸送任務を実施、そして北方方面に移動して護衛任務に従事し、その後、硫黄島、父島への輸送任務を行ないました
●連合艦隊の総力を挙げて挑んだ「レイテ沖海戦」において「不知火」は「志摩艦隊」に配属、スリガオ海峡に突入したものの、圧倒的な兵力の差により先行した「西村艦隊」は壊滅しており、やむなく「志摩艦隊」はフィリピ西方のコロン湾に帰投します
●レイテ島への輸送任務に就いていた軽巡洋艦「鬼怒」が空襲により航行不能に陥ると、その報を受けて救助のために出撃しました
●しかし、「鬼怒」の発見を果たせず(同艦は既に沈没していました)、その帰途の途中であるフィリピンのシブヤン海でアメリカの空母艦載機の攻撃を受け、その生涯を閉じています【 「日本海軍 陽炎型駆逐艦 不知火 (新装備&エッチングパーツ付属)」のキット内容について 】
●この「陽炎型」駆逐艦の2番艦「不知火」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●キットは、ピットロード社が長年培ってきた艦船モデル技術により駆逐艦「不知火」をシャープに再現、新たにセットされた新装備品セットとエッチングパーツにより、より細かなディテールが表現可能な内容となっています
●艦体喫水線までのウォーターラインモデルと、艦底部を含めたフルハルモデルとを選択して組立てる事が可能です
●「不知火」は、内地での修理以後、逐次対空兵装の増設が行なわれており、キットは竣工時から1942年6月までの状態を再現しています
●「不知火」は、上甲板と船体とが一体成型されています
・ 艦首部分の滑り止めパターン部は別パーツです
・ 中央構造物と後部構造物は、船体に一体成型されています
●船体部は、喫水線部分までが再現されています
・ 船体側面の舷窓がモールドされています
・ 船底部は、 ウォーターラインモデルとしての船体下を塞ぐ平らな船底パーツと、船底が再現されたパーツが付属、選択して使用します
・ ビルジキール、舵、推進軸、プロペラ(スクリュー)などのパーツがセットされています
●甲板上には、中央構造物、後部構造物、主砲塔台座、魚雷発射管などの基本躯体の他に、リノリウム押さえ、滑り止め、魚雷運搬用レール、ボラード、アンカーチェーンなどのディテールがモールドされています
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「魚雷発射管」「煙突部」「中央予備魚雷格納庫」「探照灯台」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「不知火」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋の主要部分は、5パーツで構成、トップの方位盤、測距儀などは別パーツとなっています
・ 艦橋の窓、艦橋下部の舷窓、扉などのディテールがモールドで再現されています
●メインマスト、後檣
・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、それぞれ前後分割式です
● 第1煙突・第2煙突
・ 煙突トップ部は別パーツ化され、本体部分は左右2分割式です
・ 蒸気捨管、缶通風筒、排気筒は別パーツ化されています
●中央予備魚雷格納庫
・ 予備魚雷格納庫は左右に分かれており、各1パーツで構成されています
●探照灯台
・ 探照灯台はブルワーク部と台座部分とで構成され、台座部分は左右分割式です
・ 台座には、扉、梯子がモールドされています
●主砲塔部「50口径3年式 12.7cm連装砲C型」 ×3
・ 砲塔は本体部分と砲身部分との分割式で、砲身部分は1本ずつに分割成型されています
・ 砲身部分には防水カバーが再現
・ 本体部分はスライド式金型により、フレーム、窓、通風孔、照準口などのディテールが細かく表現されています
●4連装魚雷発射管 「92式61cm 4連装魚雷発射管」 ×2
・ 魚雷発射管は、4連装式に一体成型された発射管と、シールド部とで構成されています
・ 魚雷本体もパーツ化
・ シールド部はスライド式金型により、フレーム、扉、窓、通風孔などのディテールが細かく表現されています
●25mm連装機銃 ×2
・ 機銃は、連装式に一体成型された銃身部と機銃架の2分割式となっています
●爆雷投射器、爆雷装填台
●90cm探照灯
●方位測定器
●前部・後部スキッドビーム
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 7mカッター ×2
・ 7.5m内火艇 ×2
●各種ダビッド
●艦首、艦尾旗竿
●錨
●リール
●パラベーン
など
●フルハルモデル用の展示台が付属しています
●付属の新装備セット主要パーツ内容 (※未発売 NE-005:日本海軍装備セット 5)
・ 3年式12.7cm連装砲C/D型 ×3
・ 92式4連装魚雷発射管 ×2
・ 96式25mm3連装機銃 ×5
・ 96式25mm連装機銃 ×2
・ 魚雷次発装填装置 ×1
・ 爆雷投下軌条 ×2
・ 爆雷装填台 ×2
・ 94式爆雷投射機 ×2
・ 90cm探照灯 ×2
・ 7mカッター ×2
・ 7.5m内火艇 ×2
・ ラジアル型ボートダビット ×4
・ ラフィング型ボートダビット ×4
・ 汎用ダビット ×3
・ アンカー(小) ×2
などが含まれています
●付属のエッチングパーツ内容 (PE-155:陽炎、夕雲型)
・ 爆雷装鎮台3型
・ 魚雷用スキットビーム
・ 左右艦橋手摺
・ 前後ジャック
・ 応救艦橋(不知火用)
・ 左右魚雷格納庫BKT
・ 探照灯フラット
などが含まれています
●駆逐隊の表示と「不知火」の艦名表記を再現したデカールが付属
・ この表示は、秘匿のために戦争時には消されていました
●艦尾の艦名表記と、艦尾旗竿に掲げられた軍艦旗を再現したデカールが付属しています
●2012年 スポット生産品