日本海軍 巡洋潜水艦 丙型 伊47 回天搭載艦
「日本海軍 巡洋潜水艦 丙型 伊47 回天搭載艦 (プラモデル) (アオシマ 1/350 アイアンクラッド No.003817 )」です
●「日本海軍 巡洋潜水艦 丙型 伊47 回天搭載艦」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の潜水艦「伊47」を1/350スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●太平洋戦争の主力潜水艦として各海域で奮闘した「巡潜」の「丙型」を再現、魚雷兵装を重視したタイプを再現した内容となっています【 「帝国海軍の大型潜水艦」について 】
●帝国海軍は、列強の潜水艦開発に合わせ、潜水艦の世界的な原型となった「ホランド型潜水艦」を輸入、これを元に独自に潜水艦の開発を進行しました
●この潜水艦は水上排水量によってクラス分けされており、1000t以上が1等潜水艦「伊号」(ただし、開発当初にこのクラスは無し)、500t~1000tが2等潜水艦「呂号」、500t以下が3等潜水艦「波号」となります
●潜水艦自体の能力は各国では比較的懐疑的に捉えられており、実際に第1次世界大戦の初期までは大きな戦果を挙げませんでした
●ところが、ドイツ海軍は海軍戦力の不利を補うために潜水艦「Uボート」の性能向上と戦力化に務め、戦果を挙げ始めます
●特に、連合軍の艦艇は有効な潜水艦対策を持っておらず、「Uボート」は商船のみならず戦闘艦艇にまで大きな損害を与えており、連合国は膨大な被害を被っています
●ドイツの潜水艦開発により潜水艦は初めて海軍の有力な戦力と認知され、戦後はこの技術を獲得するため各国は、戦後賠償という名目によって「Uボート」の獲得に躍起となります
●一方、帝国海軍の潜水艦の開発は順調に進んでおり、徐々に性能が向上、1910年代後半に建造された海軍中型潜水艦「海中型」の「5型」(クラスは「呂号」)により一定の水準に達しました
●ただ、帝国海軍では潜水艦の能力を「Uボート」のような通商破壊に使用することはあまり意識されず、艦隊決戦用の兵器として見ていました
●艦隊決戦用としては、「海中型」では大きさの関係により、速度、航続距離に限界が見えており、より大型として性能向上を図ったのが海軍大型潜水艦「海大型」(クラスは「伊号」)です
●この「海大型」は、1924年から1938年までの間に「1型」~「6型b」が建造されました
●日本は第1次世界大戦に戦勝国となり、ドイツ海軍の「Uボート」を賠償として入手しましたが、その先端技術によって建造された艦は獲得できず、巡洋潜水艦「U-142型」(航続距離が長いタイプ)の図面と、ドイツ人技術者を日本に招致することで、同潜水艦のコピーである巡洋潜水艦「巡潜」の「1型」が造られます
●この艦の建造により、帝国海軍において巡洋潜水艦「巡潜」のカテゴリーが確立、その後の開発と建造により「巡潜」が徐々に潜水艦の主力となって行きます
●1937年、帝国海軍は潜水艦の整備計画を立案、「巡潜」を「甲型」「乙型」「丙型」に区分して新たなる艦の建造を開始しました
・ 「甲型」は、潜水隊(3隻)及び潜水艦隊(10隻程度)の旗艦としての司令部設備を持ち、航空設備を装備
・ 「乙型」は、「甲型」の司令部設備を省いた艦
・ 「丙型」は、司令部設備と航空設備を撤去、魚雷発射管と搭載魚雷を増やした武装強化型
●この「甲型」「乙型」「丙型」の3隻によって潜水隊を編成、その索敵能力と航続距離、そして強力な魚雷兵装により強力な潜水艦戦力となりました
●ただ、このような有力な「巡潜」が登場する一方、日米開戦を睨み、戦力の充実化を図る帝国海軍は「海大型」の新造も開始、1942年には「海大型」の「7型」も竣工しています
●帝国海軍の潜水艦は、他国と同等もしくはより優秀な能力を持っており、保有隻数からも極めて有力な戦力となっていましたが、艦隊決戦に拘る首脳部と、島嶼への輸送に潜水艦をも使用しなくてはいけない戦況、そして聴音、電波装備の立ち遅れからその真価を発揮できずに消耗して行きました【 「巡洋潜水艦 丙型 伊47」について 】
●「伊47」は、巡洋潜水艦「巡潜」の「丙型」の7番艦として1944年7月に竣工しました
●習熟訓練の後に同年10月に実戦部隊に配備されますが、この頃にはマリアナ諸島がアメリカ軍の手に落ち、絶対的な戦力差から日本は苦しい戦いを強いられていました
●同艦は、人間魚雷「回天」を搭載する母艦として改装され、11月には僚艦2隻と共にアメリカ海軍の停泊地となっていた「ウルシー環礁」に向け出撃します
●同地に接近すると、「伊47」は4基の「回天」を発進、その1基が大型給油艦を撃沈する戦果を挙げます
●大型給油艦はその搭載燃料と共に轟沈しており、その衝撃的な最期はアメリカ軍にショックを与えましたが、日本軍側はその状況を偵察機によって把握すると戦果を過大に評価、「回天」での攻撃を重視するようになりました
●「伊47」は、1945年1月、3月、4月、7月の4回に渡り「回天」を搭載して出撃、1月と4月には出撃先で「回天」を発進させています
●しかし、アメリカ軍の警戒などにより攻撃は思うように進まず、その戦果は微々たるものでした
●「伊47」は終戦時に残存、アメリカ軍に引き渡された後、1946年4月に海没処分され、その最期を遂げています【 「日本海軍 巡洋潜水艦 丙型 伊47 回天搭載艦」のキット内容について 】
●この帝国海軍の潜水艦「伊47」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●アオシマ社の1/350アイアンクラッドシリーズのフォーマットに沿って「伊47」を再現、潜水艦モデルとして舷側部の排水口、魚雷発射管などの船体上の特徴が表情豊かに表現されています
●キットは、後部に「回天」を搭載した1944年11月以降の状態を再現しています
●水上航行時(潜望鏡、センサー類などを上げた状態)と、潜水航行時(同収納状態)を選択して作製することができます
●喫水線以下も再現されたフルハルモデルです
●「伊47」の船体部は、左右分割式で、上甲板は別パーツです
●船体部には、ビルジキール、デッドウッド、船体下部のワイヤーカッターが一体成型され、細部では魚雷発射管及び扉、ホースパイプ、フェアリーダー、上部排水口、船体の鋼板継ぎ目などが表現されています
・ スライド金型により下部の吸水口も再現
・ 推進軸、スクリュー、舵、前部、後部昇降舵がパーツ化
・ 船体の歪みを防止する桁のパーツが付属
●上甲板は、前後分割式となっています
・ 甲板上には、滑り止めや木甲板表現の他、乗員用ハッチ、魚雷用ハッチ、主砲基部などのディテールが再現
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「伊47」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は左右分割式で、艦橋の甲板は別パーツです
・ 艦橋の窓枠、梯子、扉などがモールドされています
・ 艦橋部分を構成する潜望鏡、測距儀、方位測定器、双眼鏡(×2)、25mm連装機銃、逆探、22号電探などがパーツ化
●主砲「40口径 14cm単装砲」 ×1
・ 主砲は砲架も含めて一体成型となっています
・ 主砲の前部の甲板上に存在する波除けがパーツ化
●対空機銃「25mm連装機銃」 ×1
・ 機銃は連装式に一体成型された銃身部と銃架との2分割式です
●人間魚雷「回天」 ×4
・ 「回天」は、一体成型となっています
・ 「回天」の固定バンドはエッチングパーツにて再現
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 上部ワイヤーカッター
・ 錨
・ クレーン
・ 通信アンテナ
・ ボラード
・ 艦首昇降舵ガード
・ 艦尾フェアリーダー
・ 艦尾プロペラガード
などがセットされています
●逆探、艦橋のネームプレートなどを再現するエッチングパーツが付属しています
●展示用のスタンドが付属しています
・ 船体とは、船体部に内蔵させる金属ナットとネジで固定します
●艦橋の日章旗マーク、艦名表示などを再現したデカールが付属しています
●説明書には、アオシマ社製「伊16号型潜水艦 共通エッチングパーツ」の取り付け方法が解説されています