日本海軍 戦艦 山城
「日本海軍 戦艦 山城 (プラモデル) (アオシマ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.126 )」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の「戦艦 山城」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット。
●帝国海軍の主力艦として運用された「戦艦 山城」を再現、日本の戦艦を象徴する積み上げ式の艦橋を持ち、さらに最大の高さを誇ったそのシルエットを再現。
・ 戦艦山城の1944年の最終時の姿を再現した内容となっています。
【 日本海軍 戦艦 山城 1944 (リテイク) (アオシマ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.126) プラモデルの内容 】
●帝国海軍の「戦艦 山城」を再現したプラスチックモデル組立てキットです。
●アオシマ社のウォーターラインシリーズの現行フォーマットにより「戦艦 山城」を再現、ウォーターラインシリーズとしての作りやすさを考慮しながらも、パーツ分割やモールドによるディテール表現を重視しており、細かな造りが積み重なった実艦の持つ雰囲気を表現した内容となっています。
●「戦艦 山城」は、太平洋戦争開戦後に対空兵装を中心とした増強が度々行われており、本キットでは1944年の最終時の姿を再現していま。す
●艦体喫水線までを再現したウォーターラインモデルです。
■ 戦艦 山城 全体構造
●「山城」の船体部は上下分割式で、これに「上甲板」「上部構造物」「各艤装類」を取り付ける構成となっています。
●船体部には、副砲のデッキ部分が一体成型され、細部では舷側の舷窓、アンカーレセス、フェアリーダー、外板継ぎ目などが再現、バルジ部分も表現されています。
・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています。
●上甲板は、船首楼甲板前部、後部甲板の2分割となっています。
・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現、後部の航空機甲板のリノリウム表現などの基本躯体の他、ボラード、昇降口、通風筒などの細かなディテールが再現。
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「煙突部」「後部艦橋」「カタパルト部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます。
■ 戦艦 山城 の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成
●艦橋
・ 艦橋は12層で構成され、トップには射撃指揮所、測距儀が別パーツとなっています。
・ 各艦橋の窓の枠がモールドされています。
・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱が別パーツ化されています。
・ 艦橋部分を構成する、「4.5m測距儀」(×2)、「高角測距儀」(×2)、「高射装置」(×4)、「60cm探照灯」(×2)、「25mm3連装機銃」(×2)、「25mm連装機銃」(×5)、「21号電探」(×1)、「22号電探」(×2)、「12.7cm連装高角砲」(×2)などがパーツ化されています。
● 煙突
・ 本体部分は左右分割式で、上部の雨水カバー金網は別パーツとなっています。
・ 煙突内部の整風板がモールドで再現。
・ 雨水カバー金網は開口処理されています。
・ 煙突周囲の各管は左右のブロックごとにパーツ化。
・ 煙突下部の構造物には機銃座が一体成型されています。
・ 煙突部の探照灯台座は、ブロックごとにパーツ化。
・ 探照灯台座の支柱部分は1パーツで構成され、トラス構造が開口処理されています。
・ 「110cm探照灯」(×6)、「25mm3連装機銃」(×2)、「25mm連装機銃」(×4)が付属。
●後部艦橋
・ 後部艦橋の主要部は9パーツで構成、後檣が別パーツで再現されています。
・ 後檣は1本の単檣で、上部のヤード、ガフは別パーツ化されています。
・ 主砲方位盤、観測鏡などが別パーツとなっています。
・ 「12.7cm連装高角砲」(×2)、「13号電探」(×2)が付属しています。
●カタパルト「呉式 2号5型射出機」 ×1
・ カタパルトは一体成型のパーツで、トラス部分がモールドにて再現されています。
●主砲塔部「45口径 41式 36cm連装砲」 ×6
・ 砲身部分は1本づつの分割式で、砲身基部の外とう砲取り付け金具、防水布が再現、砲口が開口処理されています。
・ 測距儀は別パーツとなっています。
・ 主砲塔はポリキャップにより旋回可能です。
●副砲「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×14
・ 砲塔部分と砲身部とは一体成型となっており、砲身基部の防水布が再現されています。
●高角砲「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との分割式で、砲身部分は連装式に一体成型されています。
●対空機銃
・ 25mm 3連装機銃 ×8(艦橋、煙突、甲板部)
・ 25mm 連装機銃 ×17(艦橋、煙突、砲塔部)
・ 25mm単装機銃 ×35
・ 機銃は一体成型となっています
・ 甲板上などに設けられた機銃座には、土嚢を積み上げた状態が再現
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 11m内火艇 ×1
・ 12m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×2
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ クレーン
などがセットされています。
●静岡模型教材協同組合「大型艦兵装セット」のランナーが2枚付属しており、高角砲、機銃、内火艇などは同ランナーのパーツを使用します。
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークを再現したデカールが付属しています。
●アメリカの魚雷艇「PTボート」が1隻付属しています
・ 「PTボート」は上下分割式で、上部パーツには操舵席、機関室、救命ボートなどがモールドされています。
・ 機銃座、各魚雷は別パーツとなっています。
●2012年 一部新金型
・ 「日本戦艦 山城 1944年」をベースに、 「日本海軍 戦艦 山城 1942 (リテイク)」のパーツと、新設計の艦橋構造物後部、艦橋測距儀、射撃指揮所などを追加したリニューアルバージョン。
【 日本海軍 戦艦 山城 1944 (リテイク) (アオシマ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.126) パッケージ内容 】
・ 日本海軍 戦艦 山城 ×1
・ 大型艦兵装セットランナー ×2
・ PTボート ×1
・ デカールシート ×1
・ 組立説明書 ×1
【 日本海軍 戦艦 山城 について 】
●1906年に竣工したイギリス海軍の「戦艦 ドレッドノート」は、それまでの戦艦が主砲の他に副砲、中間砲というハリネズミ式の武装配置をしているのに対し、単一口径の主砲をメインとした配置により強力な攻撃力を持つ革新的な艦となりました。
●この艦の登場により、従来型の戦艦は一気に時代遅れとなり、各国は、この「ドレッドノート」に準じた「ド級艦」を建造、更に主砲の全てを中心軸線上に配置した「超ド級艦」を続々と就役させました。
●帝国海軍は、日露戦争後においては艦艇の建造を日本で行なっていましたが、建造技術習得のために、この「超ド級艦」の巡洋戦艦として「金剛」の建造をイギリスに発注しました。
●この「金剛」の同型艦を自国において建造することで、「超ド級艦」のノウハウを得た帝国海軍は、続いて戦艦である「扶桑型」の建造を開始し、1915年に「戦艦 扶桑」、1917年に「戦艦 山城」を竣工させます。
●この「扶桑型戦艦」は、当時の戦艦としては最大かつ最強を誇り、30,000tの排水量に「36cm連装砲」を6門搭載、「金剛級」の1.5倍の攻撃力を持っていました。
●ところが、中央の主砲塔がボイラーを挟むように配置されていたために、艦の構造上、弾薬庫を分散配置させなければならず、また防弾機能の効率化という点からも防御力に難点が生じ、この問題は後年においても同艦の足枷となっています。
●また、「扶桑型戦艦」の設計時には、時期的に世界の戦艦の設計に影響を与えた「ユトランド沖海戦」(1916年)の戦訓を取り入れることができず、長射程での砲撃戦を想定した水平防御(甲板部分)の能力が低く、この点において防御力不足が指摘されました。
●「扶桑型戦艦」の建造後、当時の世界各国における戦艦の建造技術の進歩は目覚しいものがあり、建造当初は最強を誇った「扶桑型」も、その能力が急速に時代遅れとなって行きます。
●このため「扶桑型戦艦」は竣工時から度々改装が行なわれることになり、1930年に近代化の第1次の大改装を実施、機関出力の増強と防御力の向上、そして主砲の仰角の引き上げにより最大射程が伸ばされました。
●また、艦橋構造物が大幅に増設され、艦橋の高さが50mにもなる艦影を持つことになり、これが「扶桑型戦艦」の最大の特徴となっています。
●続いて1934年には第2次の改装が行なわれ、艦尾の延長とバルジの増設、機関出力の更なる増強が行なわれましたが、最大速度は「戦艦 扶桑」が24.7ノット、「戦艦 山城」が24.5ノットに止まり、速力、防御力の点から戦艦としての能力に見劣りするのも事実でした。
●同型艦として建造された「扶桑」「山城」ですが、度重なる改装と、航空機の搭載方法の実験などにより上部構造物を中心として相違点が生まれ、艦影も異なるようになりました。
●顕著な違いとして、「戦艦 山城」では第3番主砲塔は後方に向いているのに対し、「戦艦 扶桑」は前方に向いています。
●また、この主砲塔の配置の違いにより艦橋構造物が「戦艦 山城」では垂直状に積み上がっていますが、「戦艦 扶桑」では途中で後方に張り出している姿となっています。
・ その他に後部艦橋や探照灯台座の形状なども異なっており、甲板上の構造物は、「扶桑」と「山城」では別物と言っても良い程の相違があります。
●太平洋戦争の開戦時、「山城」は「扶桑」と共に主力艦隊である「第1艦隊 第2戦隊」に所属、真珠湾攻撃部隊の支援や、東京初空襲時の迎撃任務に出撃した以外は内地に留まっています。
●「ミッドウェー海戦」には警戒艦隊としてアリューシャン方面に出撃、接敵する機会は無く、作戦失敗の報を受けて帰投します。
●その後、ガダルカナル島を巡ってソロモン海域で日米両軍の激突が繰り広げられますが、主力艦の温存方針と、「扶桑級」の速度と防御力の観点から前線投入は行われませんでした。
●「扶桑」はトラック島方面に進出して前線への待機艦となりましたが、「山城」は内地に温存、実質的には練習艦として用いられ、更に1944年2月、正式に練習艦として登録されます。
●1944年10月、フィリピン東部のレイテ島にアメリカ軍が上陸、フィリピンを失うことは太平洋戦争の開戦理由である南方からへの戦略物資(特に原油)が断たれることを意味し、日本軍は総力を挙げて防衛戦を展開しました。
●連合艦隊は、「マリアナ沖海戦」の結果から、航空決戦を諦め、水上戦力による決戦を挑み、「レイテ沖海戦」が発生します。
●この海戦では、空母機動部隊がフィリピン北方において行動し、アメリカ機動部隊を誘引、その間隙を衝いて主力部隊がレイテ沖へと進出し、アメリカ軍の輸送船団と護衛艦隊を壊滅させるという作戦でした。
●「山城」は、「西村艦隊」に編入、同艦隊は主力となる「栗田艦隊」がフィリピン中央部を進むのに対して、フィリピン南方からレイテ沖へと侵入します。
●同艦は、「西村艦隊」の旗艦となり、隷下にとして僚艦の「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦4隻の7隻で編成されていました。
●「西村艦隊」は、アメリカ軍航空機の攻撃が空母機動部隊や「栗田艦隊」に集中している間、フィリピン南方を進み、レイテ沖の入り口となるスリガオ海峡に到達します。
●同艦隊は、幾手に強力なアメリカ艦隊が控えているのを水上機の偵察により察知していましたが、「栗田艦隊」の行動が判明せず、そのまま夜間での突入を決行しました。
●スリガオ海峡において、まず魚雷艇の攻撃を受けましたが、これを撃退、しかし多数の駆逐艦の魚雷攻撃を受け、「扶桑」は4本の魚雷を被弾、戦列から取り残されます。
●他の艦も魚雷の被弾を受けながらもそのまま進行、ところがその前方にはアメリカ軍の戦艦、巡洋艦が「丁字型」に待ち構えており、レーダー照準射撃などにより「西村艦隊」を猛射します。
●「山城」は怯まず応戦、敵艦の発砲光に向けて主砲を撃ち続けますが、優勢なアメリカ艦隊からの射撃により徐々に戦闘能力を喪失、更に魚雷の被弾により航行不能となりました。
●それでも、同艦の搭載砲は最後まで射撃を続けましたが、遂に弾薬庫に引火、大爆発を起こし、万事窮してしまいます。
●総員退艦命令が下された後、「山城」は転覆、その最期を遂げています。