日本海軍 戦艦 大和 就役時 & ドッグ
「日本海軍 戦艦 大和 就役時 & ドッグ (プラモデル) (フジミ 1/700 特シリーズ SPOT No.特SPOT-027 )」です
●「日本海軍 戦艦 大和 就役時 & ドッグ」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の戦艦「大和」と建造用ドッグを1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●フジミ社製「超弩級戦艦 大和 昭和16年12月 就役時」と、同社製「ドック」をパッケージしたもので、戦艦「大和」の建造中のシーンが再現可能な内容となっています【 「日本海軍 戦艦 大和 就役時 & ドッグ」のキット内容について 】
●帝国海軍の戦艦「大和」と、建造中の艦船や船を納める「ドック」を再現した台座パーツと柱・クレーン類をワンパッケージしたジオラマセットです
●ドッグ(乾ドッグ)にはベースとなる台座以外にトラス式の柱、クレーン、ワイヤー巻き上げ機などが含まれ、戦艦「大和」を建造しているシーンのジオラマを作製することができます
●ドッグの台座部分は、プラパーツによる一体成型となっており、これに柱、クレーン、ワイヤー巻き上げ機などを配置します
・ 柱のトラス構造はモールドにて再現
・ クレーンのトラス構造は開口処理されています
●ドッグの寸法などはフジミ社製「ドック」の個別ページを参照して下さい【 「超弩級戦艦 大和 昭和16年12月 就役時」のキット内容について 】
●帝国海軍の戦艦「大和」の「新造時」の姿を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●フジミ社製「特シリーズ」の初期フォーマットにのっとり戦艦「大和」をシャープに再現、「新造時」の特徴である副砲配置や艦橋及び上部構造物の細かな造りが表現されています
●艦体喫水線までが再現されたウォーターラインモデルです
●「大和」の船体部は上下分割式で、これに「艦首」「艦尾甲板」「飛行甲板」「上部構造物」「各艤装類」を取り付ける構成となっています
●「大和」の船体部には、中央部分の上甲板が一体成型され、細部では舷側の舷窓、汚水捨て管、ダビットなどが再現、バルジ部分も表現されています
・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板は、「艦首」「艦尾甲板」「飛行甲板」「船体に一体成型された中央甲板部」に分割されています
・ 甲板上には、主砲塔、副砲塔台座、木甲板表現、滑り止め表現などの基本躯体の他、アンカー導板、アンカーチェーン、ボラード、リールなどの細かなディテールが再現
・ 飛行甲板には、航空機用軌条、ターンテーブルのモールドが彫刻、下部側面の艦載艇収納庫は別パーツとなっています
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「後部艦橋部」「主砲部」「副砲部」「カタパルト部」「煙突部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「大和」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は左右分割式で、防空指揮所、各見張り所は別パーツです
・ 艦橋構造物の各艦橋の窓の枠がモールド、もしくは別パーツ化されています
・上部の昼戦艦橋上下の遮風装置は別パーツにて再現
・ トップの15m測距儀は、艦橋部分に内蔵させるポリキャップにより左右旋回します
・ 艦橋部分を構成する、21号電探(×2)、探照灯管制器(×4)、25mm連装機銃(×2)、60cm信号探照灯(×4)などがパーツ化されています
●後部艦橋
・ 後部艦橋は左右分割式で、上部の機銃座、10m測距儀、主砲予備射撃指揮所は別パーツです
・ 上部の10m測距儀は、後部艦橋に内蔵させるポリキャップにより左右旋回します
・ 後部艦橋を構成する、シールド付き25mm3連装機銃(×2)が付属
●煙突
・ 本体部分は左右分割式で、上部の雨水カバー金網は別パーツとなっています
・ 煙突部の各副管は、本体部分にモールドにて再現
・ 煙突部の探照灯台座は、1パーツで構成されています
・ 150cm探照灯(×4)、機銃射撃指揮所(×4)が付属
●高角砲指揮所
・ 艦体中央部の高角砲指揮所は、台座部分が上下2分割式で、高射装置の台座は別パーツとなっています
・ 94式高射装置、観測鏡は別パーツにて再現
●マスト
・ マストは前後分割式となっています
●上部構造物
・ 艦橋、後部艦橋、煙突などのベースとなる上部構造物は一体成型となっています
・ 高角砲台座、探照灯台座、機銃台座、高射装置台座は別パーツです
・ 側面のディテールとなる各通風口は別パーツにて再現
・ 上部構造物を構成する12.7cm連装高角砲(×6)、シールド付き25mm3連装機銃(×6)、94式高射装置(×2)、150cm探照灯(×4)が付属
●カタパルト「呉式2号5型改 射出機」 ×2
・ カタパルトは一体成型のパーツで、側面のトラス構造が再現されています
●クレーン及び空中線支柱
・ クレーンは一体成型で、トラス構造の上面をモールドで再現
・ 空中線支柱は左右分割式で、トラス構造がモールドされています
●主砲塔部「45口径 94式 46cm 3連装砲」 ×3
・ 主砲塔は一体成型で、梯子などがモールドで再現されています
・ 測距儀は左右別パーツとなっています
・ 砲身部分は1本づつの分割式で、砲身基部にはキャンバスカバーが再現されています
・ 砲塔は船体側に内蔵させるポリキャップにより左右旋回します
●副砲「60口径 3年式 15.5cm 3連装砲」 ×4
・ 砲塔部分と砲身部とは一体成型となっています
・ 砲塔は船体側に内蔵させるポリキャップにより左右旋回します
●高角砲「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型改3)」 ×6
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との分割式で、砲身部分は連装式に一体成型されています
・ 砲身パーツの取り付け方法により、砲身は水平状態と仰角を付けた状態とを選択できます
●対空機銃
・ 25mm 連装機銃 ×2(艦橋部に配置)
・ シールド付き25mm3連装機銃 ×8(上部構造物、後部艦橋部に配置)
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 9mカッター ×2
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ 通風筒
・ 艦載機射出台
・ 高角砲装填演習砲
などがセットされています
●艦載機として
・ 零式水上観測機 ×2
・ 零式3座水上偵察機 ×2
が付属しています
●艦尾の軍艦旗、マストに掲げられる司令官旗、艦載機の日の丸マークなどを再現したデカールが付属しています
●スポット生産品【 戦艦「大和」について 】
●第1次世界大戦までの海戦の結果、各国の海軍では戦艦での砲撃戦が海戦の決着を付けるものと認識されており、日露戦争時の日本海海戦により戦争帰趨を決定付けた帝国海軍においてはその認識は更に強いものがありました
●一方、帝国海軍は、1920年代においてワシントン軍縮会議、ロンドン軍縮会議にて艦船の保有制限が決められたために、将来的な仮想敵国であるアメリカ、イギリスと比べて水上戦力的に劣勢となっていました
●このため、帝国海軍は個艦の能力を極限まで高めることに全力を尽くし、これにより数的劣勢を補うこととして、新造艦の建造と、従来艦の近代化改装が行われます
●1936年、条約脱退により規正が撤廃され、これにより自由に建造を行なえることになった帝国海軍は、従来の戦艦よりも遥かに強力能力を持つ新型戦艦の建造計画を建てます
●この新型戦艦の設計に当たっては、当時の日本の造船技術の粋を結集し、従来の艦での反省点を踏まえ、革新的な技術が取り入れられました
●主砲は新設計の「46cm砲」を搭載、この砲の威力は当時の各国の新鋭戦艦が搭載する「40cm砲」よりも破格の破壊力を持ち、新型の被帽付き徹甲弾の採用により、船体部分の水面下の部分に重大な損害を与えることも可能でした
●弾薬庫、機関部などの重要部には厚い装甲板で重点防御が施され、同艦が装備する「46cm砲」にも耐え得る能力を持っています
●艦首下部には波浪性の高い球状船首「バルバス・バウ」を採用、これは戦後の造船技術にも生かさることになります
●この新型戦艦「大和」「武蔵」は、アメリカの「アイオワ」級やイギリスの「キング・ジョージ5世」「ネルソン」などの各国の新鋭戦艦を凌駕する性能を持ち、第2次世界大戦に登場した戦艦では最強であり、同大戦の終了により実質的に絶滅してしまった「戦艦」という艦種の、頂点に立つ存在でした
●新型戦艦の1番艦となる「大和」は1937年に建造が開始、建造については極秘扱いとされ、建造ドックは覆いに囲まれて隔離、関係者にも緘口令が下されて、国民のほとんどはその存在を知りませんでした
・ 搭載する46cm砲は秘匿のため、「94式 40cm砲」と命名されていました
●「大和」は、太平洋戦争が開戦した直後の1941年12月に竣工、翌1942年2月には連合艦隊旗艦に就任します
●1942年6月に開始された「ミッドウェー海戦」では、連合艦隊司令長官「山本五十六」が座乗し、艦隊決戦用の主力艦隊の中核として参加します
●しかし、前衛部隊としてミッドウェー海域の制空権を確保するための空母機動部隊が、アメリカ軍の艦載機によって壊滅、遥か後方に存在した主力艦隊は戦いに寄与することはなく、作戦失敗により帰投しました
●1942年8月、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸、日米の戦いはこの島を中心として展開され、連合艦隊とアメリカ艦隊との間で死闘が繰り広げられました
●「大和」は、その戦いを睨み後方のトラック島に進出、しかし、海軍の中枢では将来起こりうると予測される艦隊決戦に向けて温存する意見が強く、再前線であるソロモン海域に出ることは有りませんでした
・ 冷房が完備された「大和」の居住性と、前線に出ない行動から、現地の将兵からは「大和ホテル」と呼ばれました
・ また、「大和」の広い浴室は、しばしば駆逐艦などの小型艦艇の乗務員に利用されたりしていました
●「ガダルカナル島」での戦いは、日米双方の消耗戦となり、航空兵力の減少から戦力を集中できない日本軍側は1943年2月に撤退を開始し、結局「大和」は戦局に寄与することなく戦線を後にしました
●その後、「大和」は1944年6月の「マリアナ沖海戦」、1944年10月の「レイテ沖海戦」に参加、「レイテ沖海戦」において護衛空母から編成されるアメリカ機動部隊と接触し、同艦は初めて敵艦に対してその主砲を射撃しています
●しかし、同海戦の結果、連合艦隊の艦艇は大きな損害を被り、燃料の欠乏も相まって、以後の組織的な戦闘行動を行えなくなりました
●「大和」は、沖縄に上陸したアメリカ軍の輸送船団を叩くため、護衛の艦隊を率いて1945年4月に出撃、その途上においてアメリカ艦載機の猛攻を受け、最期を遂げています
●なお、新造時の「大和」は、重巡洋艦への改装時に取り外された軽巡洋艦「最上」型の主砲「60口径 3年式 15.5cm 3連装砲」を、副砲として上部構造物の前後と左右に各1基搭載していました
●この副砲の中、左右の各1基は、「マリアナ沖海戦」前の対空兵装の強化時に撤去、その部分には高角砲が増設されています