黒田官兵衛 (朱漆塗合子形兜)
「黒田官兵衛 (朱漆塗合子形兜) (プラモデル) (童友社 日本の名将兜シリーズ No.K-009 )」です
●戦国時代の武将「黒田官兵衛」が着用した兜を1/4スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット
●「黒田官兵衛」が着用した兜「赤合子(あかこうず)」を再現、朱塗りのお椀を彷彿させる独特の形状をで再現した内容となっています【 「黒田官兵衛」について 】
●「黒田官兵衛」は、1546年に播磨の国の領主「小寺政職」の家臣だった「黒田職隆」の嫡男として姫路城で誕生しました
●1567年には家督を継ぎ、小寺家家老を命じられ姫路城城主となりました
●さらに、「小寺政職」の姪にあたる志方城主「櫛橋伊定」の娘の光姫を正室に迎え、これにより前に櫛橋伊定」より「合子形兜(ごうすなりかぶと)」が贈られましたが、蓋付きのお椀の形のことを「合子形(ごうずなり)」と言い、以後「黒田官兵衛」愛用の兜となりました
●1575年、「織田信長」の才能を高く評価していた「黒田官兵衛」は、主君にも勧めてその勢力下に入り、更に「羽柴秀吉」に姫路城を献上、秀吉の軍師として活躍することとなります
●鳥取城の兵糧攻め、備中高松城の水攻め、中国大返し、賤ヶ岳の戦い、四国攻め、九州征伐などで名軍師として多くの戦功を挙げます
●1589年には、家督を嫡男「黒田長政」に譲って隠居し、「如水(じょすい)」と改名しましたが、その後も秀吉の側近として仕え、秀吉の死後は「黒田家」は「徳川家康」に従うようになります
●1600年の関ヶ原の戦いでは、「黒田長政」が家康の勝利に大きく貢献、筑前国52万3千石が与えられ、如水と長政は九州福岡へと移りました
●如水は福岡城の築城に着手したあと、その完成を見ずに1604年、59歳で波乱の生涯を閉じたのです
・ このとき如水の兜は家臣の「栗山利安」に譲られています
●この如水の兜は、朱を混ぜた漆を表面に塗った合子形兜は「如水の赤合子(あかこうず)」と呼ばれ、戦場で敵に恐れられました【 「黒田官兵衛 (朱漆塗合子形兜)」のキット内容について 】
●この戦国時代の武将「黒田官兵衛」が着用した兜を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●「黒田官兵衛」が着用した兜「赤合子(あかこうず)」を1/4スケールで再現、赤の成型色パーツ、メッキパーツ、紐などの質感を活かしてその形状を再現した内容となっています
●「赤合子(あかこうず)」の兜は、「頭当て」「錣」「兜」の3ブロックで構成されています
●「頭当て」は1パーツで構成され、周囲に開けられた穴に紐を通します
●「錣」は左右分割式で、表面部分の「飾り」(×102)は個別にパーツ化されています
●「兜」は、本体と兜上部、前立ての3パーツで構成
・ 「前立て」はメッキパーツで、「黒田家」の家紋が再現されています
●ディスプレイ用の飾り台とベース、ネームプレート、敷布が付属しています
●完成時サイズ : 奥行き105×幅73×高さ78mm
●成型色
・ 兜本体、ベース : 赤色
・ 兜の飾り : 黒色
・ 前立て、ネームプレート : メッキ(真鍮色)
・ 飾り台 : ライトサンド【 「黒田官兵衛 (朱漆塗合子形兜)」のパッケージ内容 】
・ 兜(赤合子) ×1
・ 飾り台 ×1
・ ベース ×1
・ ネームプレート ×1
・ 敷布 ×1
●2014年 一部新金型