日本海軍 軽巡洋艦 北上 昭和20(1945)年
「日本海軍 軽巡洋艦 北上 昭和20(1945)年 (プラモデル) (フジミ 1/700 特シリーズ No.085 )」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の軽巡洋艦「北上」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット
●帝国海軍の艦隊運用方針と戦局の流れからその形態を大きく変動させた軽巡洋艦「北上」を再現、「回天搭載母艦」として艦尾の軌条上に「回天」を搭載し、拡張された舷側部に対空機銃を満載、主砲も高角砲へと変更した竣工時とは大きく異なる特異なシルエットを表現した内容となっています
●軽巡洋艦「北上」は、戦前から太平洋戦争における改装により「重雷装艦」~「高速輸送艦」~「回天搭載母艦」という3種の形態を経ており、本キットでは1945年における「回天搭載母艦」となった状態が再現されています
【 「日本海軍 軽巡洋艦 北上 昭和20(1945)年」のキット内容について 】
●帝国海軍の軽巡洋艦「北上」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●フジミ社「特シリーズ」のフォーマットに従い高いディテール表現力で軽巡洋艦「北上」を再現、拡大化された舷側部、特徴的な2本の軌条と8基の「回天」などの「北上」独自のレイアウト、甲板上を埋め尽くす機銃とそのブルワーク、そして弾薬箱など各種構造物が織り成す複雑な表情を細やかに表現した内容となっています
●艦体喫水線までが再現された洋上モデルです
●回天搭載母艦として拡大化された舷側の後部にカッターを装備した1944年時の状態と、カッターを撤去して機銃が装備された1945年時の状態とを選択して作製することができます
●「北上」は、上甲板及び船体部の上下分割のパーツで構成されています
・ 船体部は一体成型のパーツで構成され、舷外電路、舷窓、ホースパイプ、フェアリーダーなどのディテールが彫刻されています
・ 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属しています
●上甲板は、長船首楼甲板と後部上甲板の2分割されたパーツで再現
・ 甲板上には、リノリウム押さえ、滑り止め、高角砲と機銃のブルワーク、艦尾の軌条などの基本躯体の他、リール、ボラード、ボート架台、機銃の弾薬箱、天窓などの細かなディテールが再現されています
・ 舷側の拡大部は別パーツにて再現
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「高角砲部」「煙突部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「北上」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は4層で構成され、トップの測距儀は別パーツ化されています
・ 艦橋窓は、窓枠及び窓部分が凹凸あるモールドで再現されています
・ 艦橋の下層部(羅針艦橋より下部)は左右分割されており、窓、扉などがモールドされています
・ 上部の防空指揮所には遮風装置が再現
・ 艦橋部分を構成する、「25mm3連装機銃」(×2)などが別パーツ化
●メインマスト
・ メインマストは三脚檣型で、トップは単檣となっています
・ メインマストは、下部が3本のパーツで構成、クロスツリー、単檣部分は各1パーツにて再現
・ メインマストに装備される、「13号電探」(×1)、「22号電探」(×1)が別パーツ化されています
●後檣
・ 後檣は、クレーンと「13号電探」が一体成型されたマスト下部に、トップ部分を取り付ける構成となっています
● 煙突
・ 煙突の本体部分は左右分割のパーツ構成
・ 煙突トップの雨水カバー部は別パーツで、開口処理されています
・ 煙突内部の整風板、煙突前後の管は別パーツ化されています
●機銃座など
・ 上甲板上の機銃座、煙突台座、高角砲台座などの各上部構造物は個別にパーツ化されています
・ 高角砲のブルワークは別パーツにて再現
●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×2
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体とに分割され、砲身部分は連装した状態で一体成型のパーツとなっています
・ シールド部分には細かな彫刻でディテールが再現されています
●対空機銃 「25mm3連装機銃」 ×12、「25mm単装機銃」 ×22(1944年時)、もしくは「25mm単装機銃」 ×26(1945年時)
・ 各機銃は一体成型のパーツで再現されています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 内火艇 ×1
・ 9mカッター ×1 (1945年時)
・ 9mカッター ×2 (1944年時)
・ カッター ×1 (1944年時)
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨
・ 爆雷投射機
・ パラベーン
・ ラッタル
・ 探照灯
・ 排気口
・ 方位測定器
・ 舷梯
などがセットされています
●「北上」に搭載される「回天」(×8)が付属しています
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)を再現したデカールが付属しています
【 「日本海軍 軽巡洋艦 北上 昭和20(1945)年」のパッケージ内容 】
・ 帝国海軍 軽巡洋艦 北上 (回天搭載母艦) ×1
・ デカールシート ×1
●2014年 完全新金型(高角砲、対空機銃、カッター類を除く)
【 「軽巡洋艦 北上」について 】
●1910年代後半、我が帝国海軍では水雷戦隊の旗艦として、排水量3,500tクラスの軽巡洋艦として「天龍型」を建造します
●しかし、アメリカ海軍ではより大型の軽巡洋艦「オマハ級」を建造しており、帝国海軍も「天龍型」を拡大させた排水量5,500tクラスの軽巡洋艦を続々と建造、その5,500tクラスの軽巡洋艦の最初のタイプが「球磨型」です
●軽巡洋艦「北上」は、この「球磨型」の3番艦として1921年に竣工しました
●5,500tクラスの軽巡洋艦の「長良型」「川内型」は、艦齢が古いながらもその高速性能が評価され、改装を繰り返すことにより終始水雷戦隊の旗艦としての任に就きましたが、「球磨型」は最も艦齢が古く、性能的にも劣ることから水雷戦隊の旗艦となることはなく、平時には訓練用などの2線級の艦として扱われるようになります
●戦争への気運が高まると、帝国海軍ではアメリカ海軍、イギリス海軍に対しての作戦研究が活発に行われるようになり、作戦立案時の際には、小型艦でできるだけ敵戦力を削いでから大型艦船により勝敗の決着を着ける、大艦巨砲の主力艦を軸に据えた艦隊決戦を常に念頭に置いていました
●この作戦に基づき、帝国海軍では1933年に「酸素魚雷」を開発、この「酸素魚雷」は従来の艦載用魚雷よりも3倍以上の航続距離を持ち、航跡が小さいことから発見される可能性も少なく、艦隊決戦に突入する前に敵戦力を削ぐことができる秘密兵器として認知されます
●この「酸素魚雷」の能力を最大限利用するため、魚雷を主武装として集中的に搭載する「重雷装艦」が計画され、軽巡洋艦「北上」と「球磨型」の4番艦である「大井」がその艦に選ばれました
●この「重雷装艦」への改装は1941年に実施され、舷側部を大きく拡大、この舷側部に4連装魚雷発射管10基、軽40本の魚雷が装備されています
●太平洋戦争が開戦すると、帝国海軍の思惑とは異なって戦争は航空戦が主体となり、艦隊決戦用として用意されていた「北上」「大井」は出撃する機会のないまま内地に留まります
●しかし、総力戦となった太平洋戦争では軽巡洋艦として高速性能を持つ「北上」「大井」を遊ばさせている訳にも行かず、魚雷発射管の一部を撤去、高速輸送艦としてニューギニア方面への輸送任務に従事しました
・ 輸送船よりも遥かに早い速度で航行できる「北上」「大井」は輸送任務において活躍し、特に拡大された舷側部は物資運搬に適していました
●太平洋戦争後期になると戦局は日本側に不利に傾き、1944年8月に「北上」は人間魚雷「回天」を搭載する母艦としての改装工事を受けます
●この改装では、魚雷発射管を全て撤去、艦尾には2本の軌条が設けられ、「回天」8基が搭載可能となりました
●また、対空能力も重視され、主砲は高角砲へと変更、対空機銃も数多く装備されました
●「回天搭載母艦」への改装は1945年1月に完了、ただしこの頃になると日本近海にもアメリカ機動部隊が迫るようになり、制空権もアメリカ軍が掌握、その状況下において出撃する機会は訪れず、「北上」は呉で待機したまま時が過ぎます
●1945年3月と7月に、呉に対してアメリカ艦載機による大空襲が行われ、「北上」は3月の空襲時には無傷でしたが、7月の空襲時には被弾して大破してしまいます
●「北上」は、大破した状態で終戦を迎え、1946年に長崎へと回航されて解体、その生涯を閉じたのでした