海上自衛隊 護衛艦 DD-161 あきづき (初代) 就役時 (エッチング付限定版)
「海上自衛隊 護衛艦 DD-161 あきづき (初代) 就役時 (エッチング付限定版) (プラモデル) (ピットロード 1/350 スカイウェーブ JB シリーズ No.JB014E )」です
●1960年に就役した海上自衛隊の護衛艦、初代「あきづき型」のネームシップ、「DD-161 あきづき」を1/350スケールで再現したプラスチックモデル組み立てキット
●「オランダ坂」と言われるスロープを船体後半に持つ初期護衛艦3型式のラストを飾り、当時の海上自衛隊の護衛艦では最大かつ最強の存在となった「DD-161 あきづき (初代)」を再現、大型の船体を活かして主砲、雷装、そして対潜兵装をバランス良く配置し、独特の形状の艦橋を持った黎明期の海上自衛隊の国産護衛艦を象徴するシルエットを再現した内容となっています
●ピットロード社製「海上自衛隊 護衛艦 DD-161 あきづき (初代) 就役時」と同キット用の専用のエッチングパーツをセットした限定バージョンです
【 「海上自衛隊 護衛艦 DD-161 あきづき (初代) 就役時 (エッチング付限定版)」のキット内容について 】
●海上自衛隊の護衛艦、初代「あきづき型」の1番艦「DD-161 あきづき」を再現したプラスチックモデル組み立てキットです
●海上自衛隊の艦艇を積極的にモデル化してきたピットロード社のリサーチ力と、実艦への深い造詣により「DD-161 あきづき (初代)」を再現、ビックスケールの解像度を活かしてその造りとディテールとを細かく再現した内容となっています
●また、独特の艦橋構造物や速射砲の台座部分などはスライド金型を使用してその形状を再現、確実に形となるように工夫され、窓や防水扉などのディテールをエッジが立ったモールドにより再現しています
●「DD-161 あきづき (初代)」は、数度の改装が行われており、本キットでは爆雷投下軌条などを装備した竣工時の姿を再現していますす
●喫水線以下も再現されたフルハルモデルと、喫水線までを再現した洋上モデルとを選択して製作することができます
●「DD-161 あきづき (初代)」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立て、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は上下に分割したパーツで再現
・ 船体は舷窓のないフラットな状態の舷側を再現しています
・ 船体パーツ内側には歪みを防ぐ桁を一体成型しています
・ 船底部は、 洋上モデルとしての船体下を塞ぐ平らな船底パーツと、フルハルモデル用の船底を再現したパーツが付属、選択して使用します
・ フルハルモデル用の推進軸、スクリュー、舵、ソナーを別パーツ化して再現しています
●上甲板は全通状に一体成型となったパーツで再現
・ 上甲板には、主砲台座、魚雷発射管台座、波除けなどの基本躯体の他に、アンカーチェーン、昇降口などのディテールがモールドで再現しています
・ 甲板の歩行帯はデカールで再現
「DD-161 あきづき (初代)」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 旗艦設備を搭載するため、以前の型式より大型になった艦橋部は、箱型の下部構造物に半円形の前面を持つ羅針艦橋部を組み合わせた姿で再現しています
・ 下部構造物は前面パネルと本体との2パーツで構成、スライド金型により窓、防水扉、配管などをモールドで再現しています
・ 艦橋後部の通気口、ラッタルは別パーツ化して再現
・ 羅針艦橋は2層で構成、トップのレーダーなどは別パーツとなっています
・ 艦橋窓枠は、窓の部分を開口した状態で再現しています
・ 艦橋に装備する、「Mk.57射撃指揮装置」(×1)、「双眼鏡」(×2)、「救命浮環」(×3)、「探照灯」(×2)などを別パーツ化
●メインマスト
・ メインマストは4脚檣型で、左右に分割したパーツで構成
・ フラット、ヤード、トップは別パーツ化して再現
・ マストに装備する、「OPS-1対空レーダー(×1)」、「OPS-5対水上レーダー(×1)」は別パーツにて再現しています
●後檣
・ 後檣は3脚檣型で、トップは単檣型です
・ 3脚檣型の部分は前後に分割したパーツ構成で、トップの単檣は一体成型となったパーツで再現しています
・ フラット及びアンテナ類は別パーツ化しています
● 第1煙突・第2煙突
・ 煙突は左右分割のパーツで再現、ファンネルキャップは別パーツ化しています
・ 煙突側面のダクトや補助ボイラー用小煙突なども別パーツにて再現
●探照灯台座
・ 探照灯台座は一体成型で再現、装備する「探照灯」(×1)が別パーツ化
●射撃指揮装置台座
・ 射撃指揮装置台座は上下に分割したパーツで再現
・ 装備する、「Mk.57 射撃指揮装置」(×1)を別パーツ化しています
●速射砲台座
・ 速射砲の台座はスライド金型を用いた一体成型となったパーツで再現
・ 内側の補強板も再現しています
・ 速射砲台座に装備する「救命浮標」(×9)は別パーツ化して再現
●主砲塔部 「5インチ 54口径単装砲 Mk.39」 ×3
・ 砲塔は砲身と砲塔との2パーツで構成
・ 砲塔はスライド金型により側面の防水扉や前面の扉などをモールドで再現しています
●速射砲 「50口径 3インチ連装速射砲 Mk.33」 ×2
・ 砲塔は基部と砲身、レーダーの3パーツで構成
・ 1965年ごろから装備が行われたシールドのパーツが付属、装着の有無を選択できます
●対潜ロケット 「Mk.108 対潜ロケット発射機」 ×1
・ ロケット発射機は台座を含めて5パーツで構成、先端部は開口処理しています
・ ロケット発射機は、艦橋前方に配置
●対潜ロケット 「ヘッジホッグ Mk.10」 ×2
・ 発射機本体とカバーの2パーツで構成、艦橋の直前両舷に配置します
●魚雷発射管 「65式 53cm 長魚雷発射管」 ×1
・ 魚雷発射管は発射管本体とシールドとの2パーツで構成
・ シールド部の操作ハンドルがパーツ化
・ 魚雷発射管は第1煙突の直後に配置、その後方左舷に配置する予備魚雷を別パーツ化しています
●「5インチ装填演習砲」 ×1
・ 5インチ装填演習砲は砲身と砲架との2パーツで再現、探照灯台座右側に配置します
●射撃指揮装置 「Mk.57 射撃指揮装置」 ×2
・ 「Mk.57 射撃指揮装置」は本体とアンテナとの2パーツで構成、1基を艦橋上部に、もう1基を第2煙突後方の架台に配置します
●対潜兵装 「爆雷投射器 (Y砲)」 ×2
・ 爆雷投射器は一体成型のパーツで再現
●対潜兵装 「爆雷装填台」 ×2
・ 爆雷装填台は前後に分割したパーツ構成で、爆雷を装填している状態を再現しています
●対潜兵装 「爆雷投下軌条」 ×2
・ 爆雷投下軌条は左右に分割したパーツ構成で、爆雷を装填している状態を再現
●対潜兵装 「短魚雷落射機」 ×2
・ 短魚雷落射機は一体成型となったパーツで再現、落射機と装填台に装備する「短魚雷」(×8)が付属
●カッター類及びボートダビット
・ 8.5m将官艇 ×1
・ 7.9m内火艇 ×1
・ 7mカッター ×2
・ 救命浮器 ×4
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨
・ プロペラガード
・ ボラード
・ フェアリーダー
・ 通気筒
・ リール
・ ケーブルホルダー
などをセットしています
●フルハルモデル用のディスプレイスタンドが付属しています
【 付属しているエッチングパーツについて 】
●「DD-161 あきづき (初代)」をディテールアップするエッチングパーツが付属しています
・ ピットロード社製「海上自衛隊 護衛艦 あきづき型(初代)用」のエッチングパーツから手すりパーツを除いたものがセットされています
●エッチングパーツで再現しているディテールの内容は
・ 錨見台
・ プロペラガード
・ レーダー
・ マストアンテナ
・ マストのヤード
・ ラッタル
・ 防水扉
・ 梯子
・ 旗箱
・ 煙突のファンネルキャップ
・ ボートダビット
・ 救命筏のラック
・ 短魚雷装填台
・ 爆雷投下軌条
・ 爆雷装填台
など、となっています
●デカールは「DD-161 あきづき (初代)」の1隻分が付属
・ 艦首・艦尾の「日章旗」「自衛艦旗」、艦名、ハルナンバー、砲塔上の識別番号、1969年まで使用していた船体側面の大判の艦名表記などが付属しています
●「歩行帯デカール」が付属
・ 現用艦艇モデルで制作上のネックとなる「歩行帯」を別版のデカールで再現しました
・ このデカールは先に甲板を塗装し、構造物を接着する前に貼り付ける事により綺麗に「歩行帯」が再現できます
・ 事前に周囲のニスをカッターナイフで切除してから
「Mr.マークソフター」等のデカール軟着剤を併用するとフィットしやすくなります
・ 完全に乾燥させてから次の作業に移ってください
●「DD-161 あきづき (初代)」の完成時のサイズ
・ 全長 : 約337mm
【 「海上自衛隊 護衛艦 DD-161 あきづき (初代) 就役時 (エッチング付限定版)」のパッケージ内容 】
・ 護衛艦 DD-161 あきづき (初代) ×1
・ エッチングシート(真鍮製) ×2
・ ディスプレイスタンド ×1
・ デカールシート ×1
・ 組立て説明書 ×1
●スポット生産品
【 「護衛艦 初代あきづき型」について 】
●「あきづき型(初代)」は、「あやなみ型」「むらさめ型(初代)」に続いて建造が行われた、戦後4番目の国産護衛艦(当初は甲型警備艦と呼称)です
●「あきづき型(初代)」は、国産護衛艦なのですが、実際には同盟国であるアメリカが1957年会計年度予算に基づき行った「域外調達(Off Shore Procurement:OSP)」として、日本の造船所で建造が行われた「アメリカ海軍駆逐艦」でした
●当時のアメリカは同盟国に対し軍事援助と対象国の建艦技術向上を目的に、アメリカ海軍が設計した艦艇の建造を発注し、「あきづき型(初代)」も本来なら「フレッチャー級」に準じた艦型となるはずでした
・ しかし、当時の日本は既に数型式の護衛艦を建造し、造艦技術が向上していたため、アメリカの特別な支援を要することなく、日本の設計によるオリジナルな型式として建造が行われました
・ このOPSの流れから1番艦「DD-161 あきづき (初代)」は「DD-960」、2番艦「DD-162 てるづき (初代)」は「DD-961」として一旦アメリカ海軍籍となり、これをアメリカから無償供与する方式が採っています
●1960年、「あきづき型1番艦 DD-161 あきづき (初代)」は、「あやなみ型」以来の「オランダ坂」を有する艦型をもって竣工、これで「オランダ坂」という特徴を持つ海上自衛隊護衛艦の初期3型式が出揃うことになります
●初代「あきづき型」は、対潜能力を重視した対潜護衛艦「DDK」の「あやなみ型」と、対空火力を重視した対空護衛艦「DDA」の初代「むらさめ型」の両方の要素を採り入れた、汎用護衛艦「DD」の能力を持って誕生します
●この汎用護衛艦としての建造は、供与するアメリカ側の予算に余裕があったことから達成できたことであり、「あきづき型 (初代)」は「むらさめ型 (初代)」を越える、海上自衛隊初の2,000トン級護衛艦となり、基準排水量2,350トンという大きさを持つことができたため砲火力と対潜兵装を兼ね備えることができた艦でした
●さらに、その大きさを活かして旗艦設備も設けられ、「あきづき型 (初代)」は嚮導護衛艦、もしくは指揮護衛艦としての位置付けとなっています
●「あきづき型 (初代)」は、ミッドウェー級空母からの転用となる「5インチ 54口径単装砲 Mk.39」主砲を3基、「50口径 3インチ連装速射砲 Mk.33」を2基という初代「むらさめ型」と同量の砲を備え、「ヘッジホッグ Mk.10」2基、「長短魚雷」や「爆雷兵装」等の対潜兵装も「あやなみ型」と同量の装備も持ち、当時としてはスーパー護衛艦と言っても差し障りのないほどの装備を持った護衛艦と言えました
●加えて、当時まだ新鋭装備だった「Mk.108 対潜ロケット発射機」が海上自衛隊艦艇の中で初めて装備、後にこれに換えてより強力な「71式 ボフォース 4連装対潜ロケットランチャー」を装備し、当時の海上自衛隊の最強の護衛艦の地位を占めました
●武装以外でも「放射能塵洗浄装置」と呼ばれる散水装置が本格装備となり、艦内の「密閉通風循環装置」と共に冷戦下で起こり得た核戦場での行動に対応した装備を持ち、「あきづき型 (初代)」が海上自衛隊の「最後の砦」としての活動を前提に作られていた事が判ります
●また、旗艦設備としては「司令部CIC(戦闘指揮所)」を始め、多くの将官室を設けており、主だったものを大型化した艦橋構造物に収めていました
●さらに、「あきづき型(初代)」には「8.5メートル 内火艇」を「将官艇」として搭載、旧海軍の将官艇に比して大型のキャビンを有するこの艇は「ガマ蛙」の通称で親しまれていました
●「あきづき型(初代)」は、全ての兵装がバランス良く搭載された「汎用護衛艦」という艦種の祖となり、海上自衛隊の一時代を切り拓いた艦として重要な役割を果たしたのでした
【 「DD-161 あきづき (初代)」について 】
●「DD-161 あきづき (初代)」は初代「あきづき型」の1番艦として、三菱重工業長崎造船所で1960年に竣工、アメリカ海軍籍艦「DD-960」として一旦編入された後に海上自衛隊に供与、横須賀地方隊に配属が行われました
●竣工後「DD-161 あきづき (初代)」は自衛艦隊旗艦を経て、護衛艦隊旗艦としての任に就きます
●「あきづき (初代)」は護衛艦隊の旗艦として活動する他に、遠洋航海実習の旗艦としての役割も数多くこなしており、次代を担う幹部候補生の育成と共に、海外の多くの港を歴訪、友好国に対する親善訪問のシンボルとしての役割も背負っていました
●一方、兵装の進化から数度の改装が行われ、1968年には爆雷投下軌条と爆雷投射機を撤去、1978年には雷装と対潜兵装が変更、「71式 ボフォース対潜ロケット・ランチャー」及び「3連装短魚雷発射管」を装備するようになりました
●1985年、「DD-161 あきづき (初代)」は護衛艦隊旗艦の任を譲り特務艦に種別変更、横須賀地方隊に配備が行われました
●1987年には開発指導隊群へと配属、各種の試験に従事した後、旧式化のために1993年に除籍され、33年の長期に渡る使命を終えています