日本海軍 陽炎型駆逐艦 野分 (新装備付)
「日本海軍 陽炎型駆逐艦 野分 (新装備付) (プラモデル) (ピットロード 1/700 スカイウェーブ W シリーズ No.SPW036 )」です
●日本海軍の甲型駆逐艦「陽炎型」の15番艦「野分」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●ピットロード社製「日本海軍駆逐艦 雪風」のキットに、同社「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5) 」をセットした特別バージョンとなっています
・ 両キットを単品で揃えるよりも価格的にお得な内容となっています
●「野分」の同型艦となる「舞風」「嵐」「萩風」「秋雲」の艦名表示のデカールも付属、選択して作製することができます
・ 「日本海軍 陽炎型駆逐艦 天津風 (新装備付)」との違いは、「日本海軍 陽炎型駆逐艦 天津風 (新装備付)」では主砲塔を3基装備しているのに対して、本キットでは第2主砲塔を撤去して機銃座とした太平洋戦争後期における対空兵装を強化した姿が再現されている点にあります
【 「日本海軍 陽炎型駆逐艦 野分 (新装備付)」のキット内容について 】
●「陽炎型」駆逐艦の15番艦「野分」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ピットロード社が長年培ってきた艦船モデル技術により駆逐艦「野分」をシャープなモールドで再現、新金型で造形された「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5) 」のパーツに置き換えることで、より細かなディテールが表現可能な内容となっています
・ 組立説明書内には「野分」への新パーツの取り付け指示が記載されています
●艦体喫水線までの洋上モデルと、艦底部を含めたフルハルモデルとを選択して組立てる事が可能です
●太平洋戦争開戦後の「野分」は、逐次対空兵装の増設が行なわれており、第2主砲塔を撤去して機銃座として、単装機銃も増設された1944年の状態を再現しています
●「野分」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立て、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●「野分」は、上甲板と船体とを一体成型としたパーツ構成で再現
・ 艦首の錨鎖甲板部は、船体とは別パーツ化しています
・ 中央構造物と後部構造物は、船体パーツに一体成型しています
●船体部は、喫水線部分までを再現しています
・ 船体側面の舷窓をモールドで再現
・ 船底部は、 洋上モデルとしての船体下を塞ぐ平らな船底パーツと、フルハルモデル用の船底が再現されたパーツが付属、選択して使用します
・ ビルジキール、舵、推進軸、プロペラ(スクリュー)などは別パーツ化して再現しています
●甲板上には、中央構造物、後部構造物、主砲塔台座、魚雷発射管などの基本躯体の他に、リノリウム押さえ、滑り止め、魚雷運搬用レール、ボラード、アンカーチェーンなどのディテールを繊細なモールドで再現しています
「駆逐艦 野分」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋の主要部分は、上下のブロックで構成しています
・ 下部のブロックは箱組み状に各パネルを貼り合わせて組み立てます
・ 上部のブロックは、2層のパーツで構成
・ 艦橋窓枠は、窓の部分を一段凹んだ状態で再現し立体感を演出しています
・ 艦橋下部の舷窓、扉などのディテールは微細な凹凸あるモールドで再現
・ 艦橋に装備する、「測距儀」(×1)、「25mm連装機銃」(×1)が別パーツ化
●メインマスト、後檣
・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、それぞれ前後に分割したパーツ構成となっています
・ メインマストに装備する、「22号電探」(×1)、後檣に装備する「13号電探」(×1)を別パーツにて再現
● 第1煙突・第2煙突
・ 煙突は左右に分割したパーツ構成で、トップ部は別パーツとなっています
・ 蒸気捨管、缶通風筒、排気筒は別パーツ化しています
●中央予備魚雷格納庫
・ 予備魚雷格納庫は左右に分かれて配置しており、それぞれ一体成型のパーツで構成しています
●探照灯台
・ 探照灯台はブルワーク部と台座部分とで構成、台座部分は左右に分割したパーツで再現しています
・ 台座には、扉、梯子を繊細なモールドで再現
・ 探照灯台に装備する、「90cm探照灯」(×1)、方位測定器(×1)は別パーツ化しています
●中央機銃座
・ 船体中央の機銃座は、一体成型のパーツで再現
・ 機銃座に装備する、「25mm3連装機銃」(×2)を別パーツ化しています
●後部機銃座
・ 第2番主砲塔を撤去した部分に増設した機銃座は、各スポンソンごとにパーツ化
・ 機銃座に装備する、「25mm3連装機銃」(×2)が別パーツにて再現
●主砲塔部 「50口径 3年式 12.7cm連装砲 C型」 ×2
・ 砲塔は本体部分と砲身部分とに分割しており、砲身部分は1本ずつに独立したパーツとなっています
・ 砲身部分には防水カバーを彫刻で再現
・ 本体部分はスライド金型により、フレーム、窓、通風孔、照準口などのディテールを細かく再現しています
●4連装魚雷発射管 「92式 61cm 4連装魚雷発射管」 ×2
・ 魚雷発射管は、4連装状に一体成型した発射管と、シールド部とで構成しています
・ 魚雷本体もパーツ化
・ シールド部はスライド金型により、フレーム、扉、窓、通風孔などのディテールを細かく再現しています
●対空機銃 「25mm 3連装機銃」 ×4、「25mm連装機銃」 ×1、「25mm単装機銃」 ×12
・ 3連装及び連装機銃は、3連装状及び連装状に一体成型した銃身部と機銃架の2パーツで構成
・ 単装機銃は一体成型となったパーツで再現しています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 7m カッター ×1
・ 7.5m 内火艇 ×1
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 錨
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 爆雷装填台
・ 爆雷用ダビット
・ 爆雷発射機
・ 爆雷投下軌条
・ スキッドビーム
・ リール
などをセットしています
●付属の新装備セット主要パーツ内容 (ピットロード社製「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5) 」)
・ 3年式 12.7cm連装砲 C/D型 ×3
・ 92式 4連装魚雷発射管 ×2
・ 96式 25mm 3連装機銃 ×5
・ 96式 25mm連装機銃 ×2
・ 魚雷次発装填装置 ×1
・ 爆雷投下軌条 ×2
・ 爆雷装填台 ×2
・ 94式爆雷投射機 ×2
・ 90cm探照灯 ×2
・ 7mカッター ×2
・ 7.5m内火艇 ×2
・ ラジアル型ボートダビット ×4
・ ラフィング型ボートダビット ×4
・ 汎用ダビット ×3
・ アンカー(小) ×2
などが含まれています
●フルハルモデル用のディスプレイスタンドが付属しています
●艦尾の軍艦旗、艦首の日章旗、駆逐隊番号、煙突の白線、舷側部の艦名表示(「野分」「舞風」「嵐」「萩風」「秋雲」)などを再現したデカールが付属
【 「日本海軍 陽炎型駆逐艦 野分 (新装備付)」のパッケージ内容 】
・ 駆逐艦 野分 ×1 (同型艦「舞風」「嵐」「萩風」「秋雲」を製作可能)
・ 「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5) 」 ×1
・ デカールシート ×1
・ ディスプレイスタンド ×1
・ 組立て説明書 ×1
●スポット生産品
【 駆逐艦「陽炎型」ついて 】
●日本海軍は艦隊型の1600tクラスの駆逐艦「特型」を1928年に竣工、同艦は従来の駆逐艦の1.5倍もの攻撃力を誇り、その艦形と武装配置は以後の駆逐艦のスタンダードとなりました
●しかし、ロンドン軍縮会議により駆逐艦のような補助艦艇の保有にも制限が加えられるようになり、「特型」以後の「初春型」「白露型」などは排水量と比べ過大な武装を装備した結果、建造後にトップヘビーなどの欠点が露呈してしまう艦となってしまいます
●1936年、日本は軍縮条約から脱退、これにより排水量の制限を受けずに艦の建造ができるようになり、2000tクラスの駆逐艦である「陽炎型」を建造しました
●「陽炎型」は、その前の型式の駆逐艦「朝潮型」と同じ武装を装備しながら、船体強度を充分に確保、航続距離も増大し、日本海軍が望んだ理想的性能を持つ艦隊型駆逐艦となりました
●「陽炎型」は、「12.7cm 連装砲」を3基搭載、魚雷兵装は「4連装式 61cm 魚雷発射管」を2基搭載、また魚雷の次発装填装置も装備しており、魚雷を2装射する能力を持っているのが特徴でした
・ 他国の駆逐艦は、装填している魚雷を発射するのみで、戦闘中に次発装填はできませんでした
●この「61cm 魚雷発射管」は、長射程、大威力の「酸素魚雷」を装備しており、駆逐艦で編成が行われる水雷戦隊による魚雷の一斉装射は、敵の艦隊に対して極めて脅威となるものと思われました
・ 実際、ソロモン海での夜戦において、アメリカの巡洋艦は「酸素魚雷」を1発被弾しただけで戦闘不能となるダメージを受けています
●「陽炎型」駆逐艦は、1939年に1番艦の「陽炎」が竣工、最終艦となる「秋雲」が1941に竣工するまでに合計19隻を建造しました
●同駆逐艦は、当時の最新鋭の駆逐艦として常に最前線に投入、連合軍艦艇と交戦し、特にガダルカナル島沖で行なわれたソロモン海の戦いではその性能を発揮して多くの敵艦を撃破もしくは撃沈しました
●しかし、その分、同艦の損傷も多く、8番艦「雪風」以外は全艦戦没したのです
【 「駆逐艦 野分」について 】
●駆逐艦「野分」は、「陽炎型」駆逐艦の15番艦として1941年4月に竣工しました
●太平洋戦争開戦後、「野分」は南方の攻略作戦に参加、1942年2月にはインドネシア方面に展開して、オーストラリア方面に離脱する連合軍艦艇の捕捉に従事し、戦果を挙げました
●1942年6月、「野分」はミッドウェー海戦において空母機動部隊の直衛艦として参加、日本軍側は空母4隻を失い、「野分」はその乗員の救助に奔走しました
●1942年8月、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸を開始し、「野分」は同島を含むソロモン海域へと移動、第2次ソロモン海戦に参加しています
●続いて「野分」は、ガダルカナル島への輸送任務及び護衛任務に従事、1942年10月には、南太平洋海戦に参加しました
●1942年12月、「野分」はガダルカナル島への輸送任務中に航空攻撃を受けて爆弾1発を被弾、航行不能となる損害を受けます
●「野分」は僚艦に曳航されてトラック島へと避難、応急修理を受けた後、内地へと帰還しました
●1943年7月、修理が完了した「野分」はトラック島に進出して輸送船団の護衛任務に就きます
●1944年2月、トラック島に対してアメリカ機動部隊の大空襲が行われ、多くの艦が損害を受けましたが、「野分」は何とか離脱に成功します
●1944年10月、日本海軍がその水上戦力の総力を持って挑んだレイテ沖海戦が発生、「野分」はその主力となる「栗田艦隊」に編入され、レイテ島目指して突き進みました
●「栗田艦隊」は、途中アメリカ軍機による空襲を受けながらレイテ島沖に到達、護衛空母からなるアメリカ機動部隊に遭遇して交戦します
●「野分」は魚雷を掃射しながらアメリカ艦隊に肉薄しましたが、空母艦載機を含めたアメリカ艦隊の必死の反撃により損傷艦が続出、「野分」は大破した重巡洋艦「筑摩」の乗員救助へと向かいます
●しかし、この救助任務により「野分」は「栗田艦隊」から離れていたため、機動部隊の救援として駆けつけたアメリカ艦隊によって捕捉、「野分」は砲雷撃を受けて大破し、その姿を波間に消したのでした