日本海軍 戦艦 三笠 日本海海戦 1905 w/東郷平八郎&秋山真之フィギュア
「日本海軍 戦艦 三笠 日本海海戦 1905 w/東郷平八郎&秋山真之フィギュア (プラモデル) (ハセガワ 1/350 Z帯 No.40090 )」です
●日露戦争時における日本海軍の戦艦「三笠」を1/350スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●連合艦隊旗艦として艦隊の先頭に位置してロシア艦隊と交戦した戦艦「三笠」を再現、船体の前後に主砲、側面に副砲等を配置し、当時世界最強を誇った威厳のあるシルエットを再現した内容となっています
●ハセガワ社製「日本海軍戦艦 三笠 日本海海戦」に、連合艦隊司令長官「東郷平八郎」と、作戦担当参謀「秋山真之」のメタル製54mmフィギュアを追加したスポット生産品です
【 「日本海軍 戦艦 三笠 日本海海戦 1905 w/東郷平八郎&秋山真之フィギュア」のキット内容について 】
●日本海軍の戦艦「三笠」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●国家の存亡を掛けた日本海海戦において重要な役割を果たし、日本海軍の一時代を築いた「戦艦 三笠」を再現、背の低い艦橋に高いマスト、各種砲が並んだ舷側部などの特徴的なレイアウトを捉えながら、ビックスケールならではの解像度の高さで、「戦艦 三笠」のディテールをきめ細やかに再現した内容となっています
●当時の戦艦は太平洋戦争時の戦艦と比べるとかなり小振りですので、本キットは艦船のフルハルモデルとして適度な大きさとなっており、完成後の大きさから感じる迫力と船体上のディテール再現とのバランスを両立した好キットです
●また、ディテール再現もパーツ上のモールドを中心としたものですので、1/350スケールの艦船モデルとしてはパーツ数が少なく、艦船モデル初心者から、本キットをベースにディテールアップパーツを付加してさらに拘って作りたいベテランモデラーに至るまで、様々な模型作りのスタンスに対応するものと思います
●戦艦「三笠」は喫水線以下の部分も再現したフルハルモデルです
●連合艦隊司令長官「東郷平八郎」と、作戦担当参謀「秋山真之」を再現した、54mmサイズのメタル製フィギュアが付属しています(身長が約54mmの大きさとなります)
●「三笠」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」を、それぞれブロック化して分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物、艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は、船底部も含めて左右に分割したパーツで構成
・ 左右のパーツの張り合わせする際、接着の際の歪みを防ぐため「桁パーツ」を挟んで組み立てるようになっています
・ 船体には、副砲開口部とビルジキールなどを一体成型化、舷側の舷窓、艦尾の扉、梯子、アンカーレセスなどのディテールを再現しています
・ 舷側の鋼板の継ぎ目を繊細な凸ラインで再現
・ 舷窓上部には雨樋を微細な凸モールドで再現しています
・ 船体下部の推進軸、スクリュー、舵を別パーツ化して再現しています
・ 船体下部側面の魚雷発射管はモールドで再現しています
●上甲板は、艦首、中央部、艦尾に3分割したパーツで構成
・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本構造の他、アンカー導板、昇降口、採光用窓などのディテールをモールドで再現
・ フェアリーダー、ボラード、ケーブルホルダー、キャプスタンなどは別パーツ化して再現しています
「三笠」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋は、上部と下部の2層のブロックと、それを繋ぐデッキ部とで構成しています
・ 艦橋上部と下部は、各パネルを箱組み状に貼り合わせて作製します
・ 艦橋上部の窓枠は、窓の部分を一段凹んだ状態で再現し、立体感を演出しています
・ 艦橋下部の舷窓、扉などのディテールをモールドで再現しています
・ 艦橋部の各甲板には木甲板の「木目」を繊細なモールドで再現
・ 艦橋トップの指揮所には、「羅針盤」(×1)、「測距儀」(×1)を別パーツ化しています
・ 指揮所と艦橋甲板には、キャンバスで覆われた手摺りのパーツが付属、各パネルごとにパーツ化しています
・ 艦橋に装備する「7.6cm単装砲」(×4)、「探照灯」(×2)、「救命具」(×2)などを別パーツ化しています
・ ラッタルは別パーツとなっています
● 煙突
・ 本体部分は左右に分割したパーツで構成、トップのカバー部は別パーツ化しています
・ 煙突側面に設置した各「副管」は個別に別パーツ化して再現
・ 煙突下部の構造物は、各パネルを箱組み状に貼り合わせて作製します
・ 構造物側面には「舷窓」「扉」「ラッタル」などのディテールをモールドで再現
・ 構造物上の「通気口」は1本ずつパーツ化しています
●後部艦橋
・ 後部艦橋は、上部と下部の2層のブロックと、それを繋ぐデッキ部とで構成しています
・ 艦橋上部と下部は、各パネルを箱組み状に貼り合わせて作製します
・ 艦橋上部の「窓枠」は、窓の部分を一段凹んだ状態で再現し立体感を演出しています
・ 艦橋下部の「舷窓」「扉」などのディテールをモールドで再現しています
・ 艦橋部の各甲板には木甲板の「木目」を繊細なモールドで再現
・ 艦橋トップの指揮所には、「羅針盤」(×1)を別パーツ化しています
・ 指揮所と艦橋甲板には、キャンバスで覆われた手摺りのパーツが付属、各パネルごとにパーツ化しています
・ 艦橋に装備する「7.6cm単装砲」(×4)、「探照灯」(×2)、「救命具」(×2)などを別パーツ化しています
・ ラッタルは別パーツとなっています
●ボートデッキ
・ ボートデッキは支柱も含めて一体成型のパーツで再現
・ デッキ上部には滑り止めパターンをモールドで再現しています
・ ボートデッキ前後の砲郭は、独立したパーツで再現
・ ボートデッキに装備する、「7.6cm単装砲」(×8)を別パーツ化
●マスト
・ マストは単檣型で、ヤードは別パーツ化しています
・ 中央部の見張り台は左右に分割したパーツで再現、支柱部分は別パーツ化しています
・ 見張り台には、キャンバスで覆われた手摺りのパーツが付属、左右に分割したパーツで構成しています
・ マストに装備する、「探照灯」(×各1)を別パーツ化
●主砲部「40口径 30.5cm 連装砲」
・ 主砲塔は上下に分割したパーツで再現
・ 砲身は1本ずつ個別にパーツ化、完成後も上下可動とすることができます
●副砲「40口径 15.2cm単装砲」 ×14
・ 砲身、砲尾、シールドを一体成型したパーツで再現
●補助砲「40口径 7.6cm単装砲」 ×20(艦橋部などを含む)
・ 補助砲は、1パーツで再現
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 17m内火艇 ×2
・ 11m内火艇 ×1
・ 11mカッター×1
・ 9mカッター ×11
・ 8mカッター×1
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ キャットウォーク
・ 艦尾スタンウォーク
・ 防雷網
などをセットしています
●アンカーチェーンを再現するための金属チェーンが付属
●展示用のスタンドが付属しています
【 付属しているフィギュアについて 】
●連合艦隊司令長官「東郷平八郎」と、作戦担当参謀「秋山真之」を再現したメタル製54mmフィギュアが各1体付属しています
・ 「東郷平八郎」のフィギュアは、片手に双眼鏡、もう一方の手で軍刀を支え、前方を見据えて立っているポーズ
・ 「秋山真之」のフィギュアは、戦況を見つめながらそれを記述しているポーズです
●服装は
・ 「東郷平八郎」のフィギュアは、冬季用の詰襟式の制服を着用、制帽を被った姿
・ 「秋山真之」のフィギュアは、冬季用の詰襟式の制服を着用、剣帯を制服の上から締め、参謀用のモールを付けて、制帽を被っている姿です
●服の皺の表現はスケールに沿った凹凸モールドで再現、服の縫い目などの細部は繊細なモールドで再現しています
●フィギュアは、頭部、胴体、両腕もしくは両手のパーツに分割したパーツ構成となっています
●フィギュア原型
・ 東郷平八郎 : 平野義高
・ 秋山真之 : 竹一郎
●艦尾の艦名表示、喫水線表示などを再現したデカールが付属
●軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、Z旗などを再現したペーパーシートが付属しています
・ スタンドのネームプレート用のデカールも付属
●「戦艦 三笠」の完成時のサイズ
・ 全長 : 379mm
・ 全幅 : 90.5mm
●パーツ数 : 420
【 「日本海軍 戦艦 三笠 日本海海戦 1905 w/東郷平八郎&秋山真之フィギュア」のパッケージ内容 】
・ 戦艦 三笠 (日本海海戦時) ×1
・ 東郷平八郎フィギュア (メタル製54mmサイズ) ×1
・ 秋山真之フィギュア (メタル製54mmサイズ) ×1
・ 金属製チェーン ×1
・ ディスプレイスタンド ×1
・ デカールシート ×1
・ ペーパーシート ×1
・ 組立て説明書 ×1
・ フィギュアの組立て説明書及び塗装図 ×1
●限定アイテム
【 「戦艦 三笠」について 】
●「日清戦争」の勝利により、日本は朝鮮での一定の権益を獲得しましたが、ロシア、フランス、ドイツによる、いわゆる「3国干渉」によって、講和条約で戦時賠償として獲得した遼東半島は放棄せざるを得なくなりました
●南下政策によって領土と権益の拡大を図るロシアは、「清」(当時の中国王朝)との条約を締結し、遼東半島の使用権を確保、朝鮮内での様々な権益を拡大して行きました
●これらのロシアの行動により日本国内での反ロシア感情は頂点に達し、日本海軍、陸軍内でもロシアとの開戦はやむなしという機運となります
●しかし、当時有数の海軍と膨大な兵力を持つロシアとの戦争は戦力的に無理が有り、我が国は増税の下、急激なピッチで軍備の整備を行うことになります
●日本海軍では、6隻の戦艦と6隻の装甲巡洋艦を装備する「66艦隊計画」を進め、その中核となったのが4隻の戦艦「敷島型」でした
●戦艦「三笠」は、「敷島型」の4番艦にあたり、1902年に竣工、主砲として「30.5cm砲」を4門、副砲として「15.2cm砲」を14門装備しています
●「敷島型」の他の3艦の装甲には「ハーヴェイ鋼」を使用しているのに対して、この「三笠」には高い防御力を持つ「クルップ鋼」を使用、このため「三笠」は日本海軍艦艇の中では最も強力な艦で、世界的にも最強レベルの戦艦でした
・ 当時の日本は、造船技術がまだ未熟であり、主力艦艇は外国から輸入する方法を採り、「三笠」はイギリスのヴィッカース社で建造が行われています
●「三笠」は、この高い防御力を買われ、1903年に連合艦隊の旗艦へと就役します
●1904年に日露戦争が勃発、この戦争の主役は陸上戦闘でしたが、陸上戦力の補給線となる日本海の制海権の確保が戦争の趨勢を決定する極めて重要な要素となっており、日本海軍はその任務を果たすために全力を尽くします
●当時のロシア海軍は世界有数の海軍力を保有しており、戦力は日本海軍の約2倍にもなりました
●ただし、これらの海軍戦力は、広大なロシア領内に分散配備されており、極東地域には遼東半島の旅順港の「旅順艦隊」、及びウラジオストックに配備された「分遣隊」、西ヨーロッパではバルト海に配備された「バルチック艦隊」と、黒海に配備された「黒海艦隊」が存在していました
●これらの「ロシア艦隊」が集結して日本海軍と決戦を行うとなると、戦力的に大きな隔たりがありとても勝機を見出すことができないので、日本海軍はまず「旅順艦隊」との決戦を行なうことを選択します
●しかし、ロシア海軍側は旅順港内に引き込もって「旅順艦隊」を温存(旅順港の入り口には強固な砲台が設置されていた)、ヨーロッパ方面の艦隊をアジアへと向かわせます
●ところが、陸上戦闘の結果、旅順港は日本軍側に包囲され、地上からの砲撃が「旅順艦隊」へと届くようになりました
●旅順港内が安全な場所たりえなくなったため「旅順艦隊」は1904年8月に出港、一路ウラジオストックを目指します
●「旅順艦隊」の出撃を待ち構えていた「連合艦隊」は決戦を挑みますが、ロシア側は戦いを避けるように行動、彼我の距離が詰まらないまま遠距離での砲撃戦を展開します(黄海海戦)
●この時、「旅順艦隊」の旗艦「ツェサレーヴィチ」の艦橋に砲弾2発が着弾、装舵手が戦死して、舵が回頭状態のままとなってしまい、「旅順艦隊」は戦列を乱して大混乱となります
●この結果、多くの艦が被弾、極少数がウラジオストックに辿り着けただけで、残存艦は旅順へと逃げ戻ることになりました
●「黄海海戦」に勝利したおかげで「旅順艦隊」の脅威は半減しましたが、「連合艦隊」では日本海に向かって来る「バルチック艦隊」(バルチック艦隊と黒海艦隊とが途中で合流)に向けての訓練と、「黄海海戦」の戦訓から入念な作戦の見直しが行なわれました
●対「バルチック艦隊」対策として考案されたのが「丁字戦法」で、敵艦隊の前に横一直線状に艦を展開、敵艦隊の機先を征し、取り逃すことを防ぐことができました
●ただし、この戦法は実際の運用が難しく、絶妙なタイミングによって艦隊を動かす必要が有りました
・ 「黄海海戦」でもこの戦法が試みられましたが、敵艦隊との距離が遠かったために、効果的な結果を残すことはできませんでした
●「バルチック艦隊」は、当時締結されていた日英同盟によりスエズ運河を使えず、希望峰回りでアジアへと到達、1905年5月に対馬近海に接近します
●「三笠」は連合艦隊の旗艦として、艦隊の先頭に位置し、「バルチック艦隊」に向けて突き進み、「日本海海戦」の幕が切って落とされます
●「バルチック艦隊」との距離が8000mとなったところで、「三笠」に座乗する連合艦隊司令長官「東郷平八郎」の命により、艦隊は敵前にて回頭を開始します(「東郷ターン」と呼ばれます)
●この回頭点(単縦陣での回頭は、先頭艦が曲がる箇所を回頭点とし、この地点で各艦が回頭することで、単縦陣の隊形が維持します)を狙ってバルチック艦隊の砲撃が開始され、特に「三笠」には砲撃が集中(32発を被弾)、損害が発生しますが、防御力の高い同艦は、戦闘能力を失うことなく旗艦としての任務を果たします
●東郷ターンを行ったことで「丁字」の形が形成、連合艦隊の砲撃により、「バルチック艦隊」の各艦へと被弾が続出し、徐々に戦闘力を喪失して行きます
●「バルチック艦隊」は最初の戦闘により散り散りとなり、艦隊としての統制力を失ったまま2日間に渡る海戦でほぼ壊滅、大型艦の全てを失い、少数の小型艦のみがウラジオストックに逃れたのみでした
●この「日本海海戦」の結果は、日本側の圧勝(日本側の沈没艦は、水雷艇3隻のみ)という世界の海戦史において稀に見る結果となり、ロシア海軍は回復不可能なダメージを負い、戦艦「三笠」はその戦果に大きく貢献したのです
●「三笠」は、日露戦争終結直後の1905年9月に弾薬庫が爆発する事故が発生、多数の死傷者を出します
●修理が終わった同艦は、1908年に第1艦隊旗艦として復帰しますが、この頃には革新的な戦艦「ドレッドノート」がイギリスで竣工しており、以後この艦を基準とした「ド級艦」や「超ド級艦」が次々と登場、「三笠」は徐々に補助的な存在となって行きました
●1923年には、一旦廃艦が決定されましたが、その歴史的な役割から記念艦として横須賀港に保存されることとなりました
●しかし、太平洋戦争後の混乱時にはダンスホールへと改装され、艤装の一部が盗難されるなどの受難を受けましたが、現在では復元、往事の日本海軍を伝える唯一の現存艦として余生を過ごしています