日本海軍 駆逐艦 島風 最終時
「日本海軍 駆逐艦 島風 最終時 (プラモデル) (ハセガワ 1/350 Z帯 No.Z029 )」です
●太平洋戦争時における日本海軍の丙型駆逐艦「島風」を1/350スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●艦隊型駆逐艦として最高峰の性能を目指した丙型駆逐艦「島風」を再現、日本海軍トップクラスの速度性能を実現するためのスマートな船体に、15射線という強力な魚雷兵装を備えた、力強いシルエットを再現した内容となっています
【 「日本海軍 駆逐艦 島風 最終時」のキット内容について 】
●日本海軍の丙型駆逐艦「島風」を再現したプラスチックモデル組立キットです
●ハセガワ社が培った1/350スケールのディテール表現力と、同社からの新提案となった1/450スケールの作りやすさを融合、ビックスケールならではの高い解像度を活かしながら、モールドを主体にした細部ディテールの再現で、艦船模型としての細かな構造と作りやすさとを両立した内容となっています
●艦橋や砲塔などは一体成型を多用してパーツ数を抑えながら、ハセガワ社らしい繊細で強弱を付けたモールドにより、船体だけではなく、上部構造物の鋼板の合わせ目、砲塔や魚雷発射管の表面の細部、甲板の滑り止めパターンなどの細かなディテールを再現、また艦橋下部の遮風装置等もシャープなラインで形作られており、当時の最先端技術によって建造された駆逐艦「島風」の全体構造と、駆逐艦ならではの細部ディテールをじっくりと堪能することができるでしょう
●また、リノリウム貼り甲板や煙突のトップなど、塗装色の異なる部分に合わせてパーツを分割、塗装しやすさにも配慮した内容となっています
●「島風」は竣工後、戦訓により対空兵装の増強を随時行っており、本キットでは艦橋前に機銃座を増設し、単装機銃を装備した最終時の姿を再現しています
●艦体喫水線から下の部分も再現したフルハルモデルです
・ 船体は喫水線のラインで上下に分割していますから、喫水線から上の部分を再現した洋上モデルとしても作製することができます(平らな形状の船底パーツは付属していません)
●「島風」は「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は、喫水線のラインで上下に分割したパーツ構成となっています
・ 船体上部は、本体と艦尾の2パーツで構成
・ 船体には「舷窓」「舷外電路」「梯子」「ボラード」「フェアリーダー」などのディテールをモールドで再現しています
・ 舷側部には、鋼板のパネルの段差を繊細な凸ラインのモールドで再現
・ 船底は一体成型のパーツで再現、船底にも鋼板のパネルの段差を凸ラインのモールドで再現しています
・ 「ビルジキール」は別パーツ化
・ 船底の「スクリュー」(×2)、「舵」(×1)、「推進軸」(×2)などを別パーツ化、「スクリュー」はゴールドメッキを施したパーツとなっています
●上甲板は、「錨鎖甲板」「船首楼甲板」「後部甲板」「最後部甲板」の4パーツで構成
・ 「中央甲板」は船体パーツに一体成型化しています
・ 「錨鎖甲板」「中央甲板」「最後部甲板」には、滑り止めパターンの他に、「波除け」「アンカーチェーン」「魚雷運搬軌条」などのディテールを繊細なモールドで再現しています
・ 「船首楼甲板」「後部甲板」はリノリウム貼りの表現として、「リノリウム押さえ」を凸ラインのモールドで再現しています
・ 「船首楼甲板」「後部甲板」はリノリウム貼りに合わせてブラウンの成型色パーツとなっており、甲板上ののディテール類は、塗装に配慮し別パーツ化しています
「島風」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋部分は3層に分割したパーツ構成、トップの「方位盤」と「測距儀」は別パーツ化しています
・ 「艦橋窓」の部分はクリアパーツとなっており、「窓ガラス」の部分を一段凹んだ状態で再現、立体感を演出しています
・ 「艦橋窓枠」を再現したデカールが付属しています
・ 艦橋の下部構造物はスライド金型を使用して「窓」「扉」「手摺り兼足掛け」などのディテールをモールドで再現
・ 艦橋下部構造物表面には、鋼板パネルの段差を繊細な凸ラインのモールドで再現しています
・ 艦橋前部の「遮風装置」は、艦橋下部構造物に一体成型化
・ 艦橋内部も再現しており、「双眼鏡」(×6)、「羅針盤」(×3)を別パーツ化
・ 艦橋前部の機銃座は一体成型のパーツで再現、機銃の「弾薬箱」をモールドで再現しています
・ 艦橋部に装備する、「25mm連装機銃」(×1)、「探照灯管制機」(×1)、「双眼鏡」(×2)を別パーツ化しています
●メインマスト、後檣
・ メインマストと後檣は三脚檣型で、前後に分割したパーツ構成となっています
・ メインマストに装備する、「22号電探」(×1)を別パーツ化
・ 後檣に装備する、「13号電探」(×1)、「航海灯」(×1)を別パーツ化しています
● 第1煙突・第2煙突
・ 煙突は、左右に分割したパーツ構成で、トップ部分は別パーツ化しています
・ トップ部分には、内部の整風板をモールドで再現しており、この上部に雨水カバー金網のパーツを取り付けて煙突トップ構造を作製します
・ 煙突の副管は個別にパーツ化しています
●機銃座
・ 前部の機銃座は一体成型のパーツで再現、後部の機銃座はフラット部と左右の支柱の3パーツで再現しています
・ 機銃座には、機銃の「弾薬箱」をモールドで再現
・ 機銃座に装備する、「25mm3連装機銃」(×4)、「測距儀」(×1)、「双眼鏡」(×2)を別パーツ化
●方位測定室
・ 方位測定室は、左右及び天板の3パーツで構成
・ 表面には、鋼板パネルの段差を繊細な凸ラインのモールドで再現しています
・ 方位測定室に装備する、「方位測定器」(×1)、「探照灯」(×1)を別パーツ化しています
●後部構造物
・ 後部構造物は、左右及び天板の3パーツで構成
・ 表面には、「窓」「扉」などの他に、鋼板パネルの段差を繊細な凸ラインのモールドで再現しています
●主砲塔 「50口径 3年式 12.7cm連装砲 D型」 ×3
・ 砲塔は上下に分割したパーツ構成で、これに1本ずつに分割した砲身パーツを取り付けて作製します
・ 砲身基部には防水布をモールドで再現
・ 砲塔はスライド金型を使用して、「窓」「通気口」「フレーム」などのディテールを繊細なモールドで再現しています
・ 砲塔は、船体へと差し込んで取り付けることにより、完成後も旋回させることができます
●魚雷発射管 「零式 61cm 5連装魚雷発射管」 ×3
・ 魚雷発射管は、5連装状となった発射管とシールド部、魚雷の3パーツで再現
・ シールド部にはスライド金型を使用して「扉」「窓」「通気口」「手摺り兼足掛け」などのディテールを繊細なモールドで再現しています
・ 魚雷発射管は、船体へ差し込んで取り付けることにより、完成後も旋回可動させることができます
●対空機銃 「25mm 3連装機銃」 ×4、「25mm連装機銃」 ×1
・ 各機銃は、「銃身」「銃架」「防盾」の3パーツで構成
●対空機銃「25mm単装機銃」×14
・ 機銃は一体成型のパーツで再現
・ 単装機銃用の防弾板は、各ブロックごとにパーツ化しています
・ 単装機銃用の「弾薬箱」は個別にパーツ化
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 8m内火艇 ×2
・ 7.5mカッター ×2
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨
・ 艦首フェアリーダー
・ ケーブルホルダー
・ リール
・ ウィンチ
・ 通気筒
・ プロペラガード
・ 各種ダビット
・ 装填演習砲
・ 爆雷投下軌条
・ 爆雷装填台
・ 爆雷発射機
などをセットしています
●展示用のディスプレイスタンドが付属しています
・ スタンドの台座部分はブラックの成型色パーツ、前後の支柱はゴールドメッキを施したパーツとなります
●旗竿に掲げる軍艦旗、煙突の白色の帯、喫水表示、艦載艇の艦名表記、救命浮標などを再現したデカールが付属しています
●「日本海軍 駆逐艦 島風 最終時」の成型色
・ 船体、上部構造物、艤装類 : グレー
・ 船底など : 艦底色
・ リノリウム貼り甲板部 : ブラウン
・ 煙突のトップ、ディスプレイスタンド : ブラック
・ スクリュー、スタンドの支柱 : ゴールドメッキ
【 「日本海軍 駆逐艦 島風 最終時」のパッケージ内容 】
・ 駆逐艦 島風 ×1
・ ディスプレイスタンド ×1
・ デカールシート ×1
・ 組立て説明書 ×1
●2016年 一部新金型(ハセガワ社との共同開発となるマックスファクトリー社製「駆逐艦×艦娘 島風」のパーツを使用したバリエーションキット)
【 「駆逐艦 島風」について 】
●当初、対水雷艇用の艦艇として建造された「駆逐艦」という艦種は発展を続け、水雷艇の機能を兼ね備えた水雷駆逐艦となり、重武装化と速度性能の向上が図られました
●1920年から1922年にかけて竣工した駆逐艦「峯風型」において、日本海軍の駆逐艦は高速性能のピークに達し、その4番艦の「島風(初代)」は日本海軍の艦艇の中で最速となる、最高速度40.7ノットを記録します
●その後、日本海軍では艦艇数に勝る列強諸国に対抗するため、個々の艦艇の能力の引き上げを重要視するようになり、駆逐艦も重武装化を進めます
●1920年代後半に登場した「特型駆逐艦」は、従来の駆逐艦から兵装を1.5倍に増強した画期的な艦でした
●ところが、軍縮条約の関係から以後の駆逐艦は小型化を余儀なくされ、軍縮条約下の日本海軍の駆逐艦は小型化と「特型駆逐艦」並みの兵装という2つの目標の達成に主眼が置かれましたが、この相反する目標は達成することなく、軍縮条約脱退後にその制限を受けずに建造された駆逐艦「陽炎型」において、ようやく日本海軍が理想とした駆逐艦の性能へと達することができました
●この「陽炎型」と、続く「夕雲型」は、「甲型駆逐艦」とも呼ばれ、日本海軍の新鋭駆逐艦として太平洋戦争の最前線へと投入されています
●しかし、この「甲型駆逐艦」は重武装化を重視したことから、速度性能は追求しておらず、その最大速度は35ノット程度というものでした
●日本海軍は「甲型駆逐艦」の速度性能を問題視はしていませんでしたが、アメリカ海軍が建造している新鋭戦艦の最高速度が33ノット程度であることと、新たに37ノットクラスの駆逐艦を開発しているという情報を掴むと、速度性能を重視し、攻撃力として魚雷兵装を多数装備した究極の艦隊型駆逐艦の建造に着手します
●この究極を目指した駆逐艦は、過去に最高速度を発揮した「島風(初代)」の名を引き継ぎ、「島風(2代目)」と命名され、1941年に起工、1943年5月に竣工しました
●駆逐艦「島風」は、駆逐艦「夕雲型」を一回り大きくしたような艦影を持ち、砲火力は「12.7cm連装砲」を3基という同じ能力でしたが、魚雷兵装に関しては「61cm 5連装魚雷発射管」を3基装備するという強力なものでした(「61cm 5連装魚雷発射管」は、同艦のみの搭載となります)
●機関は、当時の駆逐艦の能力の1.5倍の出力を持つ75,000馬力を発揮する高温高圧缶を搭載、戦艦「大和」に搭載された機関の約半分にも達するハイパワーにより、「島風」は最高速度40.9ノットという記録を残しています
●駆逐艦「島風」は、駆逐艦としては充分な兵装と高速性能を示し、従来の「甲型駆逐艦」を凌駕する性能を持つ高性能駆逐艦でした
●しかし、駆逐艦「島風」の竣工は太平洋戦争中期であり、戦時にはこのようなハイスペックで高コストな艦を量産することは実質的に不可能でした
●このため、日本の建造技術の粋を結集した「島風」は1隻のみの建造に終わり、その後は戦時簡易型の駆逐艦である「松型」(「丁型駆逐艦」)と防空駆逐艦となる「秋月型」(「乙型駆逐艦」)の建造が中心となりました
【 「駆逐艦 島風」の艦歴について 】
●「島風」は1943年5月に竣工、竣工後、訓練部隊を経て、1943年7月の「キスカ撤退作戦」に参加します
●アメリカ海軍の裏を斯いたこの作戦は成功し、「島風」も任務を全う、帰還の途に就きます
●1943年9月、「島風」は南方のトラック島へと進出し、南方及び南方から内地への艦隊、もしくは船団の護衛任務に従事しています
●1944年に入ると、日米の戦いの焦点はソロモン海域からフィリピン近海へと移行、「島風」はパラオ諸島やフィリピン南方のダバオ、そしてニューギニア島北西部のビアクなどへの輸送船団の護衛の任に当たりました
●1944年6月には「マリアナ沖海戦」に参加、同年10月の「レイテ沖海戦」では水上戦力の主力である「栗田艦隊」に編入されました
●「栗田艦隊」は「レイテ島」目指してフィリピン中央部を突き進みますが、途上においてアメリカ軍航空機による空襲を受け戦艦「武蔵」が戦没、「島風」はその乗組員救助を行います
●続いて「栗田艦隊」は、護衛空母からなるアメリカ機動部隊と遭遇、これと交戦しますが、護衛艦艇による必死の防戦と緊急発進した艦載機により「栗田艦隊」は散り散りとなり、「島風」が持つ強力な魚雷兵装を発揮する機会は訪れませんでした
●フィリピンを失うことは日本の生命線を断たれることを意味しており、この「レイテ沖海戦」以後もフィリピンを巡る戦いは続き、日本陸海軍は総力を挙げてアメリカ軍を撃退する作戦行動を行います
●アメリカ軍が初めて上陸したレイテ島では、防御部隊として2個師団程度の陸軍部隊が展開していましたが、徐々にアメリカ軍の兵力が増しており、日本陸海軍は増援部隊として多くの地上部隊をレイテ島西部のオルモックへと輸送しました
●この輸送は、「レイテ島沖海戦」に敗れた結果、アメリカ軍側の制海権と制空権下で行われたために少なからず損害が発生しましたが、陸軍の戦闘機部隊による迎撃行動により、一時的に制空権は日本軍側のものとなり、多くの兵員と物資を輸送しています
●「島風」は、このオルモックへの第3次輸送任務に参加、しかし多数のアメリカ艦載機がオルモックへと襲来し、輸送船団は甚大な損害を受けてしまいました
●同艦は壮絶な空襲下にありながらも、その高速性能と操艦により直撃弾を受けることはなく、その高性能振りを発揮しましたが、機銃掃射(駆逐艦には装甲板が装備されていない)と至近弾の衝撃により多くの破口が発生して浸水、航行不能に陥ります
●僚艦は救助のために「島風」に接近を試みるものの、激しい空襲により断念、同艦は艦尾より沈下し、その栄光の生涯を閉じたのでした