日本海軍 白露型駆逐艦 五月雨 (新装備パーツ付)
「日本海軍 白露型駆逐艦 五月雨 (新装備パーツ付) (プラモデル) (ピットロード 1/700 スカイウェーブ W シリーズ No.SPW046 )」です
●太平洋戦争時における日本海軍の駆逐艦「白露型」の「前期型」となる6番艦「五月雨」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●ピットロード社製「日本海軍 白露型駆逐艦 白露」に、同社製「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」をセットした特別限定バージョンとなります
・ 両キットを単品で揃えるよりも価格的にお得な内容となっています
●「五月雨」の同型艦となる「夕立」「春雨」の艦名表示のデカールも付属、選択して作製することができます
【 「日本海軍 白露型駆逐艦 五月雨 (新装備パーツ付)」のキット内容について 】
●日本海軍の駆逐艦「白露型」の「前期型」となる6番艦「五月雨」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ピットロード社が長年培ってきた艦船モデル造型技術を用いて駆逐艦「五月雨」をシャープなモールドで再現、新金型で造型した「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」のパーツに置き換えることで、より細かなディテールを再現可能な内容となっています
・ 組立説明書内には「五月雨」への新パーツの取り付け指示を記載しています
●艦体喫水線までの洋上モデルと、艦底部を含めたフルハルモデルとを選択して組立てる事ができます
●太平洋戦争開戦後の「五月雨」は、逐次対空兵装の増設が行なわれており、本キットでは第2番主砲塔を撤去して機銃座とした1944年の対空兵装増強時の状態を再現しています
●「五月雨」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は、喫水線のラインで上下に分割したパーツで再現
・ 船体側面の「舷窓」をモールドで再現しています
・ 船底部は、 洋上モデル用としての船体下を塞ぐ平らな船底パーツと、フルハルモデル用の船底を再現したパーツが付属、選択して使用します
・ フルハルモデル用の「ビルジキール」「舵」「推進軸」「プロペラ(スクリュー)」などは別パーツ化して再現しています
●上甲板は、船体部分に一体成型となっており、錨鎖甲板部は別パーツ化しています
・ 甲板上には、中央構造物、後部構造物、主砲塔台座、魚雷発射管、リノリウム押さえ、滑り止めなどの基本構造の他に、「魚雷運搬用レール」「ボラード」「アンカーチェーン」などの繊細なディテールをモールドで再現しています
・ 中央構造物と後部構造物は、上甲板上に一体成型化しています
「五月雨」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋の主要部分は、各パネルを箱組み状に貼り合わせる構成となっており、トップの「方位盤」「測距儀」などは別パーツ化しています
・ 「艦橋窓枠」は、窓の部分を一段凹んだ状態で立体感を演出しています
・ 艦橋下部の「舷窓」「扉」などのディテールは凹凸あるモールドで再現しています
・ 艦橋に装備する、「25mm連装機銃」は別パーツ化
●メインマスト、後檣
・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、それぞれ前後に分割したパーツ構成です
・ メインマストに装備する、「13号電探」(×1)、「22号電探」(×1)を別パーツ化
● 第1煙突・第2煙突
・ 煙突は左右に分割したパーツ構成で、トップ部分は別パーツとなっています
・ 「蒸気捨管」「缶通風筒」「排気筒」は別パーツ化しています
●中央構造物
・ 中央構造物の下部は船体パーツと一体成型化しており、これに予備魚雷格納庫と機銃のスポンソンとが一体成型となった上部パーツを取り付ける構成となっています
・ 中央構造物に装備する、「25mm3連装機銃」(×2)、「90mm探照灯」(×1)、「方位測定器」(×1)を別パーツ化
●主砲塔 「50口径 3年式 12.7cm連装砲 C型」 ×2、
・ 砲塔は本体部分と砲身部分とに分割して再現、砲身部分は1本ずつに独立したパーツとなっています
・ 砲身基部には防水カバーをモールドで再現しています
●4連装魚雷発射管 「92式 61cm 4連装魚雷発射管」 ×2
・ 魚雷発射管は一体成型のパーツで再現(「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」の魚雷発射管は、発射管とシールドに分割したパーツで再現)
●対空機銃 「25mm3連装機銃」 ×3、「25mm連装機銃」 ×1、「25mm単装機銃」 ×8
・ 3連装機銃と連装機銃は、銃身部と機銃架の2パーツで構成
・ 単装機銃は一体成型のパーツで再現
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 7mカッター ×2
・ 7.5m内火艇 ×2
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨
・ 爆雷投射器
・ 爆雷装填台
・ 前部・後部スキッドビーム
・ リール
など
●付属の新装備セット主要パーツ内容 (ピットロード社製「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」)
・ 3年式 12.7cm連装砲 C/D型 ×3
・ 92式 4連装魚雷発射管 ×2
・ 96式 25mm 3連装機銃 ×5
・ 96式 25mm連装機銃 ×2
・ 魚雷次発装填装置 ×1
・ 爆雷投下軌条 ×2
・ 爆雷装填台 ×2
・ 94式爆雷投射機 ×2
・ 90cm探照灯 ×2
・ 7mカッター ×2
・ 7.5m内火艇 ×2
・ ラジアル型 ボートダビット ×4
・ ラフィング型 ボートダビット ×4
・ 汎用ダビット ×3
・ アンカー(小) ×2
などが含まれています
●フルハルモデル用のディスプレイスタンドが付属しています
●艦尾の軍艦旗、艦首の日章旗、駆逐隊番号、煙突の白線、舷側部の艦名表示(「五月雨」「夕立」「春雨」)などを再現したデカールが付属
【 「日本海軍 白露型駆逐艦 五月雨 (新装備パーツ付)」のパッケージ内容 】
・ 駆逐艦 五月雨 (「夕立」「春雨」も製作可能) ×1
・ 「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」 ×1
・ デカールシート ×1
・ ディスプレイスタンド ×1
・ 組立て説明書 ×1
●スポット生産品
【 「駆逐艦 白露型」について 】
●日本海軍は、艦隊戦用に向けた攻撃力を持つ大型駆逐艦「特型」を1930年から次々と竣工しますが、ロンドン軍縮条約を批准後は駆逐艦にも保有制限が行なわれるようになり、制限枠を超えない範囲で有効な戦力を持つために作られたのが排水量1,400tクラスの駆逐艦「初春型」でした
●この「初春型」は、「特型」よりも一回り小さな船体となっていましたが、攻撃力は「特型」を超える(主砲の門数は少ないものの、魚雷の再装填機能を持つ)能力を持っていました
●ところが、水雷艇「友鶴」が転覆してしまうという「友鶴事件」が発生、これは武装関係の装備を、船体の規模以上に積んだために起こったもので、日本海軍の全艦艇に対して重量バランスの見直しが行なわれています
●この結果、「初春型」の装備する武装によるトップヘビーは顕著であり、同型は武装の撤去などを実施します
●「白露型」は、「初春型」の次に建造されたタイプで、武装を減らした「初春型」をベースとした改良拡大型の排水量1,600tクラスの駆逐艦です
●「友鶴事件」の教訓から、主砲の搭載門数は改造後の「初春型」と同じ5門で、船体も強度と復元性を充分に確保していました
●ただし、魚雷兵装は増強が行われ、4連装魚雷発射管を2基装備しています
●「白露型」は、1番艦の「白露」が1936年に竣工、合計10隻を建造します
●事前の計画では、「白露型」はもう10隻建造される予定でしたが、この大きさの駆逐艦では日本海軍が求める駆逐艦の攻撃力には及ばず、この10隻はキャンセルされ、その代わりに排水量2,000tクラスとなる「朝潮型」が誕生することとなりました
●なお、「白露型」は「前期型」6隻と「後期型」4隻とに分類されており、「前期型」は船体の建造中に「友鶴事件」による設計変更を受けたために、構造的に継ぎ接ぎとなっているのに対し、「後期型」では新設計によりスッキリとしたものとなっています
・ 「前期型」は艦橋下部前面が角張った形状、「後期型」は丸みが有るのが外観上の大きな違いです
●また、1942年末頃から順次、船体中央部の機銃が「25mm連装機銃」もしくは「25mm 3連装機銃」に換装、更に1943年には艦橋前部に機銃座が設けられています
【 「駆逐艦 五月雨」について 】
●駆逐艦「五月雨」は、駆逐艦「白露型」の6番艦として1937年1月に竣工しました
●太平洋戦争が開戦すると、「五月雨」はフィリピン、インドネシア方面の攻略作戦に参加します
●1942年8月、アメリカ軍がガダルカナル島に上陸を開始すると、「五月雨」は同島を含むソロモン海域へと移動します
●「五月雨」はガダルカナル島への陸軍部隊の輸送及び護衛任務に従事、10月にはガダルカナル島の飛行場への砲撃も行いました
●1942年11月、日本海軍は戦艦「金剛型」を主力にガダルカナル島の飛行場に対して挺身攻撃を実施、これを迎撃するアメリカ艦隊との間で「第3次ソロモン海戦」が発生します
●「五月雨」は、「第3次ソロモン海戦」の第1夜、第2夜に護衛として参加、アメリカ艦隊との間で激戦を繰り広げますが、幸いにも「五月雨」は大きな損害を受けず、無事帰還することができました
●ガダルカナル島からの撤退後もソロモン海域での戦いは続き、「五月雨」は輸送や護衛任務に従事します
●ただし、「五月雨」の僚艦はアメリカ軍の攻撃により次々と戦列を離れ、戦力は先細りとなります
●1943年5月、「五月雨」は一旦ソロモン海域を離れ、アリューシャン方面に移動、「キスカ撤退作戦」に参加しました
●作戦終了後、「五月雨」は再び南方に移動し、輸送及び護衛任務に従事、1943年11月には「ブーゲンビル島沖海戦」に参加し、損傷を受けますが、大事には至らずラバウルを経てトラック島へと帰還します
●その後の「五月雨」は輸送や護衛任務に従事しますが、1944年8月の輸送任務中に座礁してしまいます
●僚艦による救出作業はアメリカ軍機の攻撃もあって難航、更にアメリカ潜水艦による攻撃を受けて1本の魚雷を被雷、「五月雨」は大破する損害を受けます
●ここに至って、「五月雨」を放棄することを決定、乗組員は僚艦に移乗し、「五月雨」はその生涯を閉じたのでした