日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 (フルハルモデル)
「日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 (フルハルモデル) (プラモデル) (フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.037 )」です
●太平洋戦争時における日本海軍の軽巡洋艦「矢矧」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●1945年4月の「天一号作戦」時において、戦艦「大和」に随伴して沖縄へと向かった軽巡洋艦「矢矧」を再現、対空兵装を増強した勇壮な姿を再現した内容となっています
●フジミ社製「日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 昭和20(1945)年」のキットをベースにしたフルハルバージョン、「日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 昭和20(1945)年」のキットから専用のエッチングパーツを省き、フルハル用の艦底部とディスプレイ用の台座を新規にセットしています
【 「日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 (フルハルモデル) (フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.037)」のキット内容について 】
●日本海軍の軽巡洋艦「阿賀野型」の3番艦「矢矧」を再現したプラスチックモデル組立キットです
●フジミ社「特シリーズ」のフォーマットと最新の考証に基づき軽巡洋艦「矢矧」を再現、細分化したパーツとパーツ上に施された繊細なモールドで「矢矧」の細部再現に重きを置いた内容となっています
●マストや探照灯台座などのトラス構造物はスライド金型を用いて鉄骨の間をヌケた状態で再現、煙突の各管は個別にパーツ化、そして航空機作業甲板は下部の梁構造も再現しており、新鋭艦ながらも重巡洋艦なみの構造となった軽巡洋艦「矢矧」を表情豊かに再現しています
●軽巡洋艦「矢矧」は、単装機銃などの対空兵装を増強した最終時の姿を再現しています
●喫水線以下の部分も再現したフルハルモデルです
●「日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 昭和20(1945)年」の船体パーツを基準にして「艦底部」を再現したパーツをセット、スクリュー部までも再現したフルハルモデルとなっています
軽巡洋艦 矢矧 全体構造
●「矢矧」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は船体上部と船底部の上下に分割したパーツ構成
・ 左右の舷側を合わせる際に船体に歪みが生じないよう、間に5本の「桁」を挟み込んで組み立てます
・ 船体には、舷窓、舷外電路、塵捨て管、ホースパイプ、フェアリーダーなどのディテールを繊細なモールドで再現しています
●船底部
・ 艦底には4基の「スクリュー」を別パーツで再現、「推進軸」も含め1基あたり3パーツに分割して再現しています
・ 「舵」は一体成型のパーツで再現しています
・ 洋上モデルに再現用の船体下を塞ぐ平らな船底パーツも付属しています
●上甲板は、鎖錨甲板、中央甲板、後部甲板の3パーツで構成
・ 上甲板上には、主砲塔台座やカタパルト台座などの基本構造の他に、滑り止めパターン、リノリウム貼り表現、リール、ボラード、ウインチ、昇降口、アンカーチェーンなどを繊細ながら強弱をつけたモールドで再現しています
「矢矧」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 「艦橋」は4層に分割して構成、トップの「測距儀」「方位盤」は別パーツ化しています
・ 「艦橋窓枠」は、「窓ガラス」の部分を一段凹んだ状態で再現し、立体感を演出しています
・ 艦橋部分に装備する、「21号電探」(×1)、「22号電探」(×2)、「方位測定器」(×1)、「1.5m測距儀」(×1)、「探照灯」(×2)、「ループアンテナ」などを別パーツ化しています
●前部構造物
・ 「前部構造物」は台座状の一体成型化したパーツで再現、これに各甲板、機銃座などを取り付けて作製します
・ 「前部構造物」には、スライド金型を使用して「窓」「扉」「梯子」などのディテールを微細なモールドで再現
・ 「前部構造物」に装備する、「25mm 3連装機銃」(×2)、「射撃装置」(×1)、「パラベーン」(×2)などを別パーツ化
●メインマスト
・ 「メインマスト」は下部は三脚檣型、上部は単檣型で、三脚檣部分、フラット、単檣部分の3パーツで再現しています
・ 下部の三脚檣部分はスライド金型を使用してトラス構造を再現
・ 「メインマスト」に装備する、「13号電探」(×1)を別パーツ化
●煙突
・ 「煙突」は左右に分割したパーツで再現、トップの雨水カバー部は別パーツとなっています
・ 雨水カバー部は開口しており、内部の整風板も別パーツ化して再現しています
・ 「煙突」の各「蒸気捨て管」は1本ずつ個別にパーツ化しています
●後檣
・ 「後檣」は2段式の単檣で、下部、クロスツリー、上部の3パーツで再現
・ 「飛行機揚収用クレーン」は別パーツ化して再現、一体成型のパーツとなっており、トラスを凹凸をつけたモールドで再現しています
・ マストに装備する「探照灯」(×1)を別パーツ化、「探照灯」はクリアパーツで再現しています
●探照灯台座
・ 「探照灯台座」は一体成型のパーツで再現、トラス構造はヌケた状態で開口しています
・ 台座上に装備する、「探照灯」(×1)を別パーツ化、「探照灯」はクリアパーツで再現しています
●高射装置台座
・ 「高射装置台座」は一体成型のパーツで再現
・ 「高射装置台座」に装備する、「94式高射装置」(×各1)、「測距儀」(×各1)を別パーツ化
●航空機作業甲板
・ 「航空機作業甲板」は一体成型のパーツで再現
・ 「航空機作業甲板」上の滑り止めパターン、航空機運搬軌条、甲板下部の桁などをモールドで再現しています
・ 「航空機作業甲板」に装備する、「格納所」(×1)、「25mm 3連装機銃」(×4)、「補用フロート」(×2)などを別パーツ化
●後部艦橋
・ 「後部艦橋」は、機銃座を含めた一体成型のパーツで再現、スライド金型を使用して「窓」を繊細なモールドで再現しています
・ 「後部艦橋」に装備する、「25mm 3連装機銃」(×2)、「測距儀」(×1)などを別パーツ化
●カタパルト 「呉式2号5型射出機」
・ 「呉式2号5型射出機」は一体成型のパーツで再現、側面のトラス構造を凹凸をつけたモールドで再現しています
●主砲塔 「50口径 41式 15cm連装砲」 ×3
・ 「砲塔」は上下に分割したパーツで再現、これに1本ずつ個別にパーツ化した「砲身」を取り付けて作製します
・ 「砲身」には基部の防水布をモールドで再現
・ 「砲塔」にはスライド金型を使用して側面の「窓」「パネルライン」などをモールドで再現
・ 「測距儀」「空中線支柱」を別パーツ化しています
●高角砲 「60口径 98式 8cm連装高角砲」 ×2
・ 「高角砲」はシールドと、連装状に一体成型となった砲身の2パーツで再現
・ 「高角砲」のスポンソンは1パーツで再現しています
●魚雷発射管 「92式 61cm 4連装発射管」 ×2
・ 「魚雷発射管」はシールド部と4連装状に一体成型となった発射管本体との2パーツで再現
・ 「魚雷発射管」のシールド部には、スライド金型を使用して「扉」などをモールドにて再現しています
・ 「予備魚雷装填装置」は個別にパーツ化しています
●対空機銃 「25mm3連装機銃」×10、「25mm単装機銃」×27
・ 各機銃は一体成型のパーツで再現
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 11m内火艇 ×1
・ 12m内火ランチ ×1
・ 9m内火艇 ×1
・ 9mカッター ×2
●艦載機
・ 「零式3座水上偵察機」(クリア成型) ×2
が付属しています
・ 「零式3座水上偵察機」は機体全体、プロペラ、フロートで4分割したパーツ構成となっています
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 菊花紋章
・ 錨
・ ケーブルホルダー
・ 艦首、艦尾旗竿
・ ラッタル
・ 爆雷投下軌条
・ 爆雷用ダビット
・ 航空機運搬台車
・ 係船桁
などを独立したパーツ化をしてセットしています
台座
●完成後に見栄え良く飾ることができるディスプレイ用の円形の飾り台を2個セット、「軽巡洋艦 矢矧」の前後2箇所に配置して完成した艦体をそのまま載せてディスプレイすることができます
・ 飾り台はプラスチック製のパーツ、円形の台座部分にYの字型の飾り脚を取り付けるパーツ構成となっています
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マーク、「菊水作戦時」の識別帯などを再現したデカールが付属しています
●2017年 艦底部など一部新金型 (フジミ社製「日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 昭和20(1945)年」をベースとしたフルハルバージョン)」
【 「日本海軍 軽巡洋艦 矢矧 昭和20(1945)年 (フジミ 1/700 特シリーズ No.093)」のパッケージ内容 】
・ 軽巡洋艦 矢矧 (最終時) ×1
・ 零式3座水上偵察機 ×2
・ デカールシート ×1
・ 組立て説明書 ×2
【 「軽巡洋艦 阿賀野型」について 】
●第1次世界大戦後、日本海軍は軽巡洋艦として「天龍型」を2隻建造、その後この「天龍型」を拡大した形で「球磨型」「長良型」「川内型」と14隻の5500tクラスの軽巡洋艦を次々と建造しました
●この建造の結果、水雷戦隊旗艦としての軽巡洋艦の隻数をほぼ満たすようになり、その後しばらくは軽巡洋艦の建造は行われなくなります
・ 軽巡洋艦「夕張」は、正式には大型駆逐艦として区分されており、実験艦の意味合いが強い艦でした
●1930年の「ロンドン軍縮条約」により、巡洋艦などの補助艦艇の保有制限総トン数が定められると、日本海軍は8000tクラスの大型軽巡洋艦「最上型」「利根型」の建造を開始、しかし、これらの艦は後の条約脱退を想定して、容易に主砲塔を換装できるようになっており、船体の規模は実質的に重巡洋艦に近いものとなっていました
●1930年の後半になると、5500tクラスの軽巡洋艦はさすがに旧式化が目立ち始め、1939年に立案された建造計画により、水雷戦隊用の乙型軽巡洋艦「阿賀野型」4隻と、潜水戦隊用の丙型軽巡洋艦「大淀型」2隻の建造が進められます
●「阿賀野型」は、5500tクラスからほぼ20年後に建造が行われた軽巡洋艦で、従来のデザインとは全く異なる近代的なフォルムを持ち、「15.2cm砲」を連装式に3基搭載、魚雷兵装も「4連装魚雷発射管」を2基装備し、次発装填装置も付けられた強力な武装を持っていました
●また、スマートな船体形状と、10万馬力の機関から最高速度は35ノットを発揮、水雷戦隊を率いる旗艦として申し分無い性能を誇っています
●しかし、この水雷戦隊用としての役割を重視したため、主な対空兵装は「98式 8cm連装高角砲」2基のみであり、1939年に計画された艦としては対空兵装の貧弱さが否めないのも事実でした
・ この「98式 8cm連装高角砲」は、航空母艦「大鳳」や駆逐艦「秋月型」などが装備した「98式 10cm高角砲」のスケールダウン版で、対空能力に優れた火砲でしたが、連装2基しか搭載されなかったことで航空戦となった太平洋戦争下では火力不足が明らかとなってしまいます
●「阿賀野型」は、1942年から1944年にかけて4隻を竣工、戦争後期に竣工した「酒匂」以外は最新鋭艦として第一線に投入が行われ、新鋭艦に相応しい働きを見せましたが、水上戦闘を行う機会は少なく、3艦共に戦没しています
【 「軽巡洋艦 矢矧」について 】
●軽巡洋艦「矢矧」は、「阿賀野型」の3番艦として1943年12月に竣工しました
●竣工した「矢矧」は新鋭艦として、水雷戦隊旗艦の任を受け、シンガポール方面に進出、1944年5月には機動部隊が錬成訓練を行っているフィリピン南方のタウイタウイ泊地へと移動、対潜哨戒に従事します
●1944年6月、日本海軍の機動部隊は航空決戦のためにマリアナ方面に展開するアメリカ機動部隊を目指して出撃、これにより「マリアナ沖海戦」が発生します
●「矢矧」は機動部隊の直衛艦として行動を共にしますが、日本海軍は強力なアメリカ機動部隊によって一方的な戦いを強いられてしまい、「矢矧」は対空戦闘と戦没した空母の乗員救助に奔走することになりました
●一旦、内地へと帰還した「矢矧」は、対空兵装の増強などの改修を経てフィリピン方面に移動します
●1944年10月、レイテ島にアメリカ軍が上陸を開始、日本海軍は水上戦力を中心にアメリカ艦隊との決戦を挑みます
●「矢矧」は水上戦力の主力となる「栗田艦隊」に編入、艦隊は一路レイテ島を目指しますが、潜水艦の攻撃や艦載機の空襲によって次々と隷下の艦が脱落、「矢矧」も空襲によって小破する損害を受けました
●「栗田艦隊」は、損害を受けながらもレイテ島近海へと到達、護衛空母で編成されたアメリカ機動部隊と遭遇し、激戦が始まります(「サマール沖海戦」)
●「矢矧」は、水雷戦隊を率いてアメリカ機動部隊に突進、空母から緊急発進した艦載機による攻撃を受けながらも砲雷撃を行い、駆逐艦を撃沈する戦果を挙げます
●「栗田艦隊」は、アメリカ機動部隊の撃滅を図りますが、艦載機による反撃と護衛艦艇の捨て身の行動による損害の大きさ、そして混乱した戦況から一定の戦果を挙げたものと判断して戦場からの離脱を決定、ブルネイに向けて反転します
●しかし、アメリカ軍の艦載機による攻撃は執拗で、その帰途において艦隊は僚艦「能代」を失い、「矢矧」も多くの損害を被りました
●1944年11月、「矢矧」は内地へと帰還、修理を受け、「第2水雷戦隊」の旗艦となります
●しかし、フィリピンを失ったことにより、南方からの補給路を断たれた日本は、燃料事情が大きく悪化、燃料を多く消費する大型艦は運用できなくなり、日本海軍は艦艇による組織的な作戦ができなくなってしまいます
●1945年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸を開始、日本海軍は「神風特別攻撃隊」などの航空機による体当たり攻撃を繰り返し、必死の抵抗を行います
●このような状況から、日本海軍は有力な戦闘力を擁した水上艦艇を放置したままとする訳にも行かず、燃料をかき集めて、戦艦「大和」と護衛の「第2水雷戦隊」による沖縄特攻作戦「天一号作戦」を実行します
●1945年4月、「矢矧」は駆逐艦8隻を従えて戦艦「大和」に随伴、一路沖縄に向けて突き進みます
●鹿児島と沖縄の中間地点において、艦隊はアメリカ艦載機の数派に渡る猛攻を受けます
●「矢矧」は、アメリカ軍機の最初の目標となって攻撃が集中、「矢矧」は航行不能に陥り、「大和」への追従が不可能となります
●停止状態の「矢矧」には、その後もアメリカ艦載機の攻撃が繰り返されますが、同艦は対空戦闘を繰り広げ、1時間半の激闘の後、魚雷6本、爆弾10発以上の被弾により「矢矧」は壮絶な最期を遂げたのです