日本海軍 陽炎型駆逐艦 時津風 (新装備付)
「日本海軍 陽炎型駆逐艦 時津風 (新装備付) (プラモデル) (ピットロード 1/700 スカイウェーブ W シリーズ No.SPW033 )」です
●帝国海軍の甲型駆逐艦「陽炎型」の10番艦「時津風」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●ピットロード社製「日本海軍 陽炎型駆逐艦 陽炎 (フルハル仕様)」に、同社「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」をセットしたスペシャルバージョンとなっています
・ 両キットを単品で揃えるよりも価格的にお得な内容となっています
●「時津風」の同型艦となる「初風」「雪風」「天津風」「浦風」「磯風」「浜風」「谷風」の艦名表示のデカールも付属、選択して作製することができます
【 「日本海軍 陽炎型駆逐艦 時津風 (新装備付)」のキット内容について 】
●「陽炎型」駆逐艦の10番艦「時津風」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●ピットロード社が長年培ってきた艦船モデル技術により駆逐艦「時津風」をシャープなモールドで再現、新金型で造形された「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」のパーツに置き換えることで、より細かなディテールを再現可能な内容となっています
・ 組立説明書内には「時津風」への新パーツの取り付け指示が記載されています
●艦体喫水線までの洋上モデルと、艦底部を含めたフルハルモデルとを選択して組立てる事が可能です
●太平洋戦争開戦後の「時津風」は、逐次対空兵装の増設が行なわれており、キットは艦橋前に対空機銃が設けられながらも、第2番主砲塔がまだ残されている1943年の状態を再現しています
●「駆逐艦 時津風」の船体部は、上甲板と船体とをそれぞれ一体成型のパーツで再現
・ 艦首の錨鎖甲板部は別パーツです
・ 中央構造物と後部構造物は、船体パーツに一体成型されています
●船体部は、喫水線部分までが再現されており、セットされている船底パーツを使うことでウォーターラインモデル、フルハルモデルを選択して作成することができます
・ 船体側面の舷窓がモールドされています
・ 船底部は、 洋上モデルとしての船体下を塞ぐ平らな船底パーツと、フルハルモデル用の船底が再現されたパーツが付属、選択して使用します
・ ビルジキール、舵、推進軸、プロペラ(スクリュー)などは別パーツ化して再現しています
●甲板上には、中央構造物、後部構造物、主砲塔台座、魚雷発射管などの主要構造物の他、リノリウム押さえ、滑り止め、魚雷運搬用レール、ボラード、アンカーチェーンなどのディテールがモールドで再現されています
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「魚雷発射管」「煙突部」「中央予備魚雷格納庫」「探照灯台」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「駆逐艦 時津風」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋の主要部分は、5パーツで構成、トップの方位盤、測距儀などは別パーツとなっています
・ 艦橋の窓、艦橋下部の舷窓、扉などのディテールがモールドで再現されています
・ 艦橋前部の機銃座は下部の支柱も含めて一体成型のパーツで再現
・ 艦橋に装備された「25mm連装機銃」(×1)は別パーツ化
●メインマスト、後檣
・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、それぞれ前後に分割したパーツ構成となっています
● 第1煙突・第2煙突
・ 煙突は左右に分割したパーツ構成で、トップ部は別パーツとなります
・ 蒸気捨管、缶通風筒、排気筒は別パーツ化されています
●中央予備魚雷格納庫
・ 予備魚雷格納庫は左右に分かれており、それぞれ一体成型の1パーツで再現しています
●探照灯台
・ 探照灯台はブルワーク部と台座部分とで構成され、台座部分は左右に分割したパーツで再現しています
・ 台座には、扉、梯子が繊細なモールドで再現されています
・ 探照灯台に装備される「90cm探照灯」(×1)、方位測定器(×1)は別パーツ化されています
●機銃座
・ 船体中央の機銃座は、支柱部分も含めて一体成型のパーツで再現されています
・ 機銃座に装備する「25mm 3連装機銃」(×2)は別パーツで再現しています
●主砲塔部 「50口径 3年式 12.7cm連装砲 C型」 ×3
・ 砲塔は本体部分と砲身部分とで分割され、砲身部は1本ずつ独立したパーツで再現しています
・ 砲身パーツには防水カバーが再現
・ 砲塔本体部分はスライド金型を使用して、フレーム、窓、通風孔、照準口などのディテールが細かく再現されています
●4連装魚雷発射管 「92式 61cm 4連装魚雷発射管」 ×2
・ 魚雷発射管は、4連装状に一体成型した発射管と、シールド部とに分割したパーツで構成されています
・ 魚雷本体もパーツ化
・ シールド部はスライド金型を使用して、フレーム、扉、窓、通風孔などのディテールが細かく再現されています
●対空機銃 「25mm 3連装機銃」 ×2、「25mm連装機銃」 ×1
・ 機銃は、3連装状もしくは連装状に一体成型した銃身部と機銃架の2パーツで構成されています
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 7mカッター ×2
・ 7.5m内火艇 ×2
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 錨
・ 爆雷装填台
・ 爆雷用ダビット
・ 爆雷発射機
・ 爆雷投下軌条
・ 艦尾、艦首旗竿
・ スキッドビーム
・ リール
・ 予備魚雷装填装置
などがセットされています
●付属の新装備セット主要パーツ内容 (ピットロード社製「新WW2 日本海軍艦船装備セット (5)」)
・ 3年式 12.7cm連装砲 C/D型 ×3
・ 92式 4連装魚雷発射管 ×2
・ 96式 25mm 3連装機銃 ×5
・ 96式 25mm連装機銃 ×2
・ 魚雷次発装填装置 ×1
・ 爆雷投下軌条 ×2
・ 爆雷装填台 ×2
・ 94式爆雷投射機 ×2
・ 90cm探照灯 ×2
・ 7mカッター ×2
・ 7.5m内火艇 ×2
・ ラジアル型ボートダビット ×4
・ ラフィング型ボートダビット ×4
・ 汎用ダビット ×3
・ アンカー(小) ×2
などが含まれています
●フルハルモデル用のディスプレイスタンドが付属しています
●艦尾の軍艦旗、艦首の日章旗、駆逐隊番号、煙突の白線、舷側部の艦名表示(「時津風」「初風」「雪風」「天津風」「浦風」「磯風」「浜風」「谷風」)などを再現したデカールが付属
【 「日本海軍 陽炎型駆逐艦 時津風 (新装備付)」のパッケージ内容 】
・ 日本海軍 駆逐艦 時津風 ×1 (同型艦「初風」「雪風」「天津風」「浦風」「磯風」「浜風」「谷風」製作可能)
・ 新WW2 日本海軍艦船装備セット (5) ×1
・ デカールシート ×1枚
・ ディスプレイスタンド ×1
●スポット生産品
【 駆逐艦「陽炎型」について 】
●帝国海軍は艦隊型の1600tクラスの駆逐艦「特型」を1928年に竣工、同艦は従来の駆逐艦の1.5倍もの攻撃力を誇り、その艦形と武装配置は以後の駆逐艦のスタンダードとなりました
●しかし、ロンドン軍縮会議により駆逐艦のような補助艦艇の保有にも制限が加えられるようになり、「特型」以後の「初春型」「白露型」などは排水量と比べ過大な武装を装備した結果、建造後に欠点が発見されてしまうような艦となってしまいます
●1936年、日本は軍縮条約から脱退、これにより排水量の制限を受けずに艦の建造ができるようになり、2000tクラスの駆逐艦である「陽炎型」が建造されることになります
●「陽炎型」は、その前の型式の駆逐艦「朝潮型」と同じ武装を装備しながら、船体強度が充分に確保され、航続距離も増大し、帝国海軍が望んだ理想的性能を持つ艦隊型駆逐艦となりました
●「陽炎型駆逐艦」は、「12.7cm 連装砲」を3基搭載、魚雷兵装は「4連装式 61cm 魚雷発射管」を2基搭載、また魚雷の次発装填装置も装備しており、魚雷を2装射する能力を持っているのが特徴でした
・ 他国の駆逐艦は、装填している魚雷を発射するのみで、戦闘中に次発装填はできませんでした
●この「61cm 魚雷発射管」は、長射程、大威力の「酸素魚雷」を装備しており、駆逐艦で構成される水雷戦隊による魚雷の一斉装射は、敵の艦隊に対して極めて脅威となるものと思われました
・ 実際、ソロモン海での夜戦において、アメリカの巡洋艦は「酸素魚雷」を1発被弾しただけで戦闘不能となるダメージを受けています
●「陽炎型」駆逐艦は、1939年に1番艦の「陽炎」が竣工、最終艦となる「秋雲」が1941に竣工するまでに合計19隻が建造されています
●同駆逐艦は、当時の最新鋭の駆逐艦として常に最前線に投入され、連合軍艦艇と交戦、特にガダルカナル島沖で行なわれたソロモン海の戦いではその性能を発揮して多くの敵艦を撃破もしくは撃沈しました
●しかし、その分、同艦の損傷も多く、8番艦「雪風」以外は全艦戦没しています
【 「駆逐艦 時津風」について 】
●駆逐艦「時津風」は、「陽炎型」駆逐艦の10番艦として建造され、1940年12月に竣工しました
●太平洋戦争が開戦すると、駆逐艦「時津風」は南方へと進出し、フィリピン、インドネシア方面の攻略作戦に参加します
●1942年6月のミッドウェー海戦では、攻略艦隊の護衛として参加、その後は空母などの大型艦艇の護衛任務に従事します
●1942年8月、日米の戦いの焦点がソロモン海域に移ると駆逐艦「時津風」も同方面に進出、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦では空母機動部隊の直衛として活動しました
●1943年1月、駆逐艦「時津風」はガダルカナル島への輸送任務に参加、この際にアメリカの魚雷艇群と交戦し、駆逐艦「時津風」は魚雷艇2隻の撃沈を記録しています
●1942年2月、ガダルカナル島からの陸軍部隊の撤退が決定され、日本陸海軍はその背後となるニューギニア東部の防御を固める方針を採ります
●この方針に沿ってニューギニア東部の要衝「ラエ」に陸軍部隊を増強するために輸送船団が編成され、駆逐艦「時津風」はその護衛に任ぜられます
●輸送船団は、戦闘機による空からの援護も受けていましたが、日本軍の行動を察知したアメリカ軍は航空機による爆撃を行いました
●この航空攻撃は戦闘機も伴っていたため、船団の護衛に当たる味方の戦闘機はその迎撃で手一杯で、爆撃機による爆撃を許してしまいます
●アメリカ軍機は、この大戦で初めて反跳爆撃を実行、その爆弾によって駆逐艦「時津風」も被弾して大破、総員退艦の後にその身を波間に消したのでした