鶴ヶ城
「鶴ヶ城 (プラモデル) (童友社 JOY JOY コレクション名城 No.JJ-005 )」です
●会津若松の地に建つ「鶴ヶ城」を1/460スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット
●5層で構成された天守閣を持つ「鶴ヶ城」を再現、天守閣部分の石垣をはじめ、櫓門などの本丸の一部も表現された内容となっています
【 「鶴ヶ城」について 】
●「鶴ヶ城」は磐梯山の長く裾を引く山麓の一角となる会津若松に築かれた城です
●この「鶴ヶ城」は、1384年に「葦名直盛」によって築かれた「黒川城」が前身で、その後「伊達政宗」、続いて天正18年に「蒲生氏郷」が入城して名称を「鶴ヶ城」と改めました
●1598年、「上杉景勝」が入城し、1627年に「加藤嘉明」に替わり、戦国時代に勇名を馳せた武将が相次いで城主となりましたが、1643年3代将軍「徳川家光」の弟、「保科正之」がこの地に封ぜられて以来、子孫の会津松平氏の居城として明治を迎えるという歴史を辿ります
●「鶴ヶ城」を最も有名にしたのは、戦国時代から200年以上経った戊辰戦争時でした
・ この「鶴ヶ城」を主城とした会津藩は、上記のように親藩となる会津松平家が君主となっており、幕末には京都の治安を担当、倒幕派との小競り合いを繰り返していました
・ 戊辰戦争が開始されると戦いは会津藩へと迫り、会津藩は「白虎隊」などの部隊を編成し、これに備えました
・ 新政府軍は、会津藩に容赦ない攻撃を加えましたが、会津藩の兵は「鶴ヶ城」へ篭城してこれに対抗、「鶴ヶ城」は攻撃に耐え、1ヶ月間の篭城戦の末に会津藩は降伏したのでした
●戊辰戦争後、「鶴ヶ城」は明治政府へ移管、幕藩体制の象徴であった城は多くが取り壊され、「鶴ヶ城」も明治6年に廃城となります
●「鶴ヶ城」は、昭和41年に往時の姿そのままに再建、5層白亜の壮大な天守閣は、白虎隊の名や会津若松のシンボルとして栄光と誇りを永く後世に伝える存在となっているのです
【 「鶴ヶ城」のキット内容について 】
●この「鶴ヶ城」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●手軽に城模型を楽しむことを主眼にパーツ数を抑えて「鶴ヶ城」を再現、城の中心となる本丸の大天守、小天守をはじめとする周辺部分を小ジオラマ化して再現した内容となっています
●ランナーごとにプラスチック成型色を変え、色分けされたパーツ構成となっていますので、塗装なしでも実際の建物に近いカラーリングで組立てることができます
●「鶴ヶ城」は、「天守閣」「走長屋」「櫓門」「ベース」の4つのブロックで構成されています
【 天守閣 】
●5層式の「天守閣」は、最上層から最下層までを一体成型したパネルを箱組み状に貼り合わせて作製、これに各層の屋根を取り付けて完成させます
・ 天守閣の各層の窓、銃眼が開口済み
・ 最上層の窓には手摺りがモールドされています
・ 屋根は、実際の屋根の構造に沿ってブロックごと、もしくは各層ごとにパーツ化、最上層の屋根は入母屋作りの形状が一体成型のパーツで再現されています
・ 最上部の鯱は別パーツ化
【 走長屋 】
●走長屋は各パネルを箱組み状に貼り合わせて作製した壁面に、一体成型で再現された屋根パーツを取り付けて作製します
・ 壁面には窓が凹モールドで再現されています
・ 屋根は、入母屋作りを再現
【 櫓 門 】
●櫓門は、各パネルを箱組み状に貼り合わせて作製した壁面に一体成型で再現された屋根パーツを取り付けて作製します
・ 壁面下部には、板張りの構造が凸モールドで再現されています
・ 屋根は、入母屋作りを再現
【 ベース 】
●ベースには、天守閣、走長屋、櫓門の土台となる石垣、入り口となる虎口、本丸の石垣の一部などが、ベースパーツに一体成型して再現されています
・ 各石垣は、石垣の隙間部分が凹モールドで再現、石垣は各石によって形状が異なり、表面部がフラットな状態となっています
・本丸部分は、二の丸部分(堀)から若干高くなっており、本丸に上る虎口が再現されています
●「鶴ヶ城」のネームプレートが付属
●芝生などの草地を再現するためのカラーパウダーが付属しています
●「鶴ヶ城」の成型色
・ 建物の壁面 : ホワイト
・ 屋根 : ダークグレー
・ ベース(石垣を含む) : グリーングレー
●「鶴ヶ城」の大きさ
・ 長さ175mm× 幅115mm× 高さ90mm
【 「鶴ヶ城」のパッケージ内容 】
・ 鶴ヶ城 ×1
・ カラーパウダー(グリーン) ×1袋