九七式中戦車 チハ 初期生産型
「九七式中戦車 チハ 初期生産型 (プラモデル) (ドラゴン 1/72 ARMOR PRO (アーマープロ) No.7395 )」です
●「九七式中戦車 チハ 初期生産型」を1/72スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●日中戦争から太平洋戦争を通じて帝国陸軍で広く使用された「97式中戦車」を再現したキットです【 「97式中戦車」について 】
●「97式中戦車」は「89式中戦車」の後継車輌として1936年から開発が始められます
●開発にあたって2案が検討され、「89式中戦車」の拡大性能向上型である「チハ」、「95式軽戦車」を大型化し、「89式中戦車」よりも軽量な「チニ」が試作されました
●「チハ」は「89式中戦車」よりも機動力や装甲が勝っており、用兵側では同車が支持されましたが、軍部側は生産コストが安く、数を揃えることができる「チニ」の方が評価されていました
●この試作車を検討中に「盧溝橋事件」が発生、これにより「日中戦争」に突入し、予算上の余裕ができた帝国陸軍は「チハ」を採用することを決定、これが「97式中戦車」として制式化されることとなります
●「97式中戦車」は、主砲として「97式 57mm戦車砲」を搭載、砲塔後部と車体前部に「97式 重機関銃」を装備しています
●防御力は最大装甲が25mmと、小口径対戦車火器に耐える程度で、開発時には用兵側からより厚い装甲を求められましたが、機動力の確保と船舶輸送による重量制限(船舶のクレーンの能力)などから却下されました
●「97式中戦車」は、1939年の「ノモンハン事件」が初陣となり、同戦においてソ連軍の軽戦車と対峙しましたが、ソ連戦車などが装備する「45mm戦車砲」は易々と同車の装甲を貫通するのに対して主砲の「97式 57mm戦車砲」は装甲貫通能力に乏しく、甚大な損害を受け、戦線から引き揚げられます
・ 同車は開発当時から歩兵の支援車輌として位置付けられ、戦車戦はほとんど考慮されていませんでした
・ 主砲の「97式 57mm戦車砲」は、砲手が照準器を覗きながら片手で装填できるように設計された小型砲で、装薬、炸薬共に少なく、短射程の火砲です
●この戦いの戦訓からより装甲貫通能力の高い「47mm戦車砲」の開発が開始されましたが、その開発ピッチは遅く、また装甲の強化などは図られずにそのままの状態で太平洋戦争に突入したのでした
・ これは、当時の日本の工業力の関係と、帝国陸軍内における精神力中心主義による客観的判断の鈍さによるものと想像されます
●太平洋戦争では、「97式中戦車」は南方への侵攻作戦に参加、マレー、ジャワ島などにおいて戦車の持つ機動力によって敵戦線奥深くに浸透、敵部隊を混乱に陥れ、日本版の電撃戦を展開する原動力となりました
●この日本軍が活躍を続ける同時期に、連合軍側には新型戦車の「M3 軽戦車」が配備されるようになり、軽戦車(「97式中戦車」の15tに対して「M3 軽戦車」は13t)でありながら同車の装甲防御力は「97式中戦車」を凌駕、戦車戦において大いに苦戦しますが、大勢は日本軍側が圧倒的に有利な状況でしたので、帝国陸軍ではそれほどの問題としていませんでした
●しかし、前線部隊ではこの状況に危機感を持っており、捕獲した「M3 軽戦車」に対して射撃テストを実施、その前面装甲に対しては全くの無力であることが判明し、その結果、側面を近距離において集中射撃することにより対処しています
・ また、苦肉の策として進撃時には捕獲した「M3 軽戦車」を先頭に立てるという戦法も採られました
●ところが、連合軍の反攻が始まると、「97式中戦車」の能力不足が露呈、前述の「M3 軽戦車」よりも遥かに強力な「M4 中戦車」が登場し始めると、「97式中戦車」の装甲は敵の砲弾を防ぐには余りに脆弱で、搭載する主砲は無力に等しいものでした
●当時の日本は、航空機の開発、生産に手一杯の状況で、陸上兵器の改良は後回しとなっており、後継車輌として「97式中戦車 改」を生産する程度で、「1式中戦車」、「3式中戦車」の開発は遅々として進まず、結果として「97式中戦車」は太平洋戦争の終結まで使われ続けられました
・ これは、当時の日本の工業力の限界を示すものであり、次々と戦車を強力化していく列強と対照的な現象でした
●「97式中戦車」は、「95式軽戦車」と並ぶ日本機甲部隊の中心的存在で、緒戦にかけてのその華々しい活躍と、大戦中期からの苦戦ぶりは帝国陸軍の歴史そのものであり、帝国陸軍と運命を共にしたのでした
●「97式中戦車」は、生産後期において排気ルーバーがフェンダー裏の部分に移された後期型車体が登場、ただし、この車体の生産時期には47mm砲を搭載した「97式中戦車改」に生産が移りつつあり、57mm砲を搭載した「97式中戦車」は、ほとんどが「初期生産型」となっています【 「九七式中戦車 チハ 初期生産型」について 】
●この「97式中戦車」の「初期生産型」を再現したプラスチックモデル組立キットです
●同社のディテール表現力により「97式中戦車」を再現、細かなディテールが表現されていながらも、ミニスケールモデルらしい省略、そして一体成型化が進められたパーツ構成により、作り易さが考慮されています
●総パーツ数が「60」と、少ないパーツ数で構成されており、「97式中戦車」の姿を気軽に楽しむことが可能で、ベテランモデラーから、戦車モデル初心者モデラーの人まで、幅広い方々にお勧めできる内容となっています
●ドラゴン社製「九七式中戦車 チハ 新車台 「サイパン 1944年」」のバリエーションキットで、車体上部パーツを新規に追加したものです
●砲身は、砲身基部も含めて一体成型されており、スライド式金型により砲口が開口処理されています
・ 砲尾及び薬莢受けなども砲身と一体成型となっています
●砲塔部は上下分割式で、防盾部分は別パーツとなっています
・ 下部パーツは、砲塔底板と砲塔リング部となっています
・ 砲塔後部には、機銃のマウント部がモールドされています
・ 鉢巻き式アンテナは一体成型で再現
・ 砲塔の旋回が可能です
●車長キューポラは、砲塔部とは別パーツとなっています
・ キューポラ側面のボルト部分はエッチングパーツで表現されています
・ ハッチは別パーツ(実車通りの2分割式)となっており、裏側のディテールが表現され、開閉状態が選択可能です
●機銃は、スケールに沿った表現となっており、機銃下部の切り欠けも再現されています
・ スライド式金型により銃口が開口処理済みです
●車体上部はフェンダーも含めて一体成型されており、戦闘室前面は別パーツとなっています
・ エンジンルーバー上部の防御板は別パーツにて再現
・ 帝国陸軍の星章が彫刻されています
・ マフラーは1パーツで構成
・ マフラーカバーはエッチングパーツとなっています
・ バール、シャベル、ツルハシ、ジャッキは別パーツにより立体的に表現、ジャッキの細かなディテールも再現されています
・ 前照灯は別パーツです
●車体下部は、スライド式金型によりバスタブ式に一体成型されています
・ 尾灯、牽引フックなどが、車体下部パーツにモールドで再現
・ サスペンションアームは、車体下部に一体成型
・ 上部転輪、誘導輪はそれぞれ1パーツで成型されています
・ 起動輪は左右分割式です
・ 最前部と最後部の下部転輪は一体成型で、その他の下部転輪は左右分割式で、2輪を繋ぐボギーが転輪と一体成型されています
・ 履帯は接着及び塗装が可能なDS素材によるベルト式となっています
●マフラーカバーを再現するエッチングパーツが付属しています
●マーキングは、2種類の塗装例が説明書に記載されています
・ 戦車第1連隊第3中隊 (マレー / 1941年)
・ 戦車第34連隊第4中隊 (満州 / 1945年)
●説明書の塗装例に基づく、部隊マーク、車体番号、ナンバープレートなどを再現したデカールが付属しています
・ デカールのプリントはカルトグラフ社製
●2011年 一部新金型