日本海軍 戦艦 長門 開戦時
「日本海軍 戦艦 長門 開戦時 (プラモデル) (フジミ 1/500 艦船モデル No.610061 )」です
●太平洋戦争時における帝国海軍の戦艦「長門」を1/500スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット
●国民から最も親しまれ、太平洋戦争開戦時には連合艦隊旗艦として作戦行動に当たった戦艦「長門」を再現、日本戦艦特有の積み上げ式の艦橋と、他の日本戦艦とは異なる先鋭的な艦首デザイン、迫力の主砲、そして複雑な形状の後檣と探照灯台座のトラス構造など、その威厳を持った姿が表現された内容となっています【 「日本海軍 戦艦 長門 開戦時」のキット内容について 】
●帝国海軍の「戦艦 長門」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●「戦艦 長門」の先鋭的な船体形状、積み上げ式の艦橋構造物、煙突周りの探照灯台座などのトラス構造物、そして甲板上の各種構造物が、艦船モデルとして程良い大きさと適度な情報量によって、ディテール感豊かに表現された内容となっています
●「戦艦 長門」は2度に渡る大規模な改修と、太平洋戦争時には対空兵装を中心に数々の改装を繰り返しており、本キットでは太平洋戦争開戦時の姿が再現されています
●艦体喫水線以下も再現されたフルハルモデルです
●「戦艦 長門」の船体部は左右分割式で、これに上甲板、上部構造物、各艤装類を取り付ける構成となっています
●船体部には、長船首楼甲板側面部(副砲のデッキ部分)が一体成型され、細部では舷側の舷窓、舷外電路、アンカーレセス、フェアリーダー、梯子などが再現されています
・ 船体側面には鋼板継ぎ目がモールドで再現
・ ビルジキールが一体成型されています
・ 船体の歪みを防ぐ桁のパーツが多数付属
・ 艦底部の推進軸(4軸)、スクリュー、舵がパーツ化
●上甲板は長船首楼甲板部、後部甲板、航空機作業甲板の3分割式となっています
・ 甲板上には、主砲塔台座、各ブルワーク、木甲板表現、後部の航空機作業甲板のリノリウム表現などの基本躯体の他、ボラード、昇降口、天窓、航空機軌条、ボート架台、錨見台などの細かなディテールが再現
●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「煙突部」「後部構造物」「カタパルト部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます
「戦艦 長門」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
・ 艦橋は艦橋下部構造物を含めて11層で構成され、トップには射撃指揮所は別パーツとなっています
・ 艦橋構造物の各艦橋の窓の部分はクリアーパーツとなります
・ 艦橋下部構造物には、扉、梯子、舷窓などがモールド
・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱(6本)が別パーツ化されています
・ 艦橋部分を構成する、「4.5m測距儀」(×2)、「25mm連装機銃」(×6)、「12.7cm連装高角砲」(×2)、「60cm探照灯」(×4)などがパーツ化、探照灯はクリアーパーツとなっています
● 煙突
・ 本体部分は左右分割式で、上部の雨水カバー金網、内部の整流板は別パーツとなっています
・ 雨水カバー金網は開口処理されています
・ 煙突の梯子部分は別パーツとなっています
・ 煙突部の各副管は、別パーツにて再現
・ 煙突部の探照灯及び機銃台座は、ブロックごとにパーツ化されています
・ 探照灯台座の支柱部分は一体成型で、シャープなモールドによりトラス構造を再現、各トラスは側面部も含めて開口処理されています
・ 「110cm探照灯」(×6)、「25mm連装機銃」(×4)が付属、探照灯はクリアーパーツとなっています
●高角砲指揮所
・ 艦体中央部の高角砲指揮所は、台座部分が上下2分割式で、高射装置の台座は別パーツとなっています
・ 「94式高射装置」(×2)、「観測鏡」(×2)は別パーツにて再現
●後部艦橋
・ 後部艦橋は6層で構成されています
・ 後部予備指揮所の窓枠はクリアーパーツです
・ 艦橋後部には扉などがモールドされています
・ 「高射装置」(×2)、「主砲予備方位盤」(×1)、「12.7cm連装高角砲」(×2)などがパーツ化されています
●後檣
・ 後檣は1本の単檣で、中央部のクロスツリーは別パーツ化されています
・ クロスツリー下部の支柱もパーツ化され、特徴的な後檣の造りを再現
●カタパルト「呉式 2号5型射出機」 ×1
・ カタパルトは一体成型のパーツで、スライド金型により側面のトラス構造と上部のディテールとが再現されています
●主砲塔部「45口径 3年式 40cm連装砲」 ×4
・ 主砲塔は上下2分割式で、梯子や砲身キャンバス受けなどがモールドで再現されています
・ 測距儀は別パーツとなっています
・ 砲身部分は1本づつの分割式で、スライド式金型により砲口が開口処理済み、防水布が再現されています
・ 主砲塔は、基部に内臓させるポリキャップにより旋回可動式、各砲身は嵌め込み式により上下可動式です
●副砲「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×18
・ 副砲は、砲塔部分と砲身部とで構成され、砲身基部には防水布が再現されています
●高角砲「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4
・ 高角砲は、シールド部分、シールド側面、連装式に一体成型された砲身、上部の平衡器とで構成されています
●対空機銃「25mm 連装機銃」 ×10
・ 機銃は、連装式に一体成型された銃身部と銃架とで構成
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 17m内火艇 ×2
・ 11m内火艇 ×1
・ 12m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×7
●艦載機として
・ 「95式2号 水上偵察機」(×2)が付属しています
・ 艦載機は、胴体、上部翼、メインフロート、予備フロート、プロペラのパーツ構成です
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦首、艦尾旗竿
・ 錨、副錨
・ 菊花紋章
・ クレーン
・ ケーブルホルダー
・ キャプスタン
・ パラベーン
・ 巻き上げ機
・ ラッタル
・ ボラードの一部
・ 舷悌
・ 塵芥投棄管
・ 応急舵
・ 係船桁
などがセットされています
●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークなどを再現したデカールが付属しています
●フルハルモデル用のディスプレイスタンドが付属しています
●新規パッケージ、価格改定アイテム
--------------------------------------------------------【 「戦艦 長門」について 】
●帝国海軍は、日露戦争においてその海軍力によりロシア海軍を破ると、大艦巨砲主義に基づいた海軍戦力の拡大を図るようになります
●第1次世界大戦では日本は連合軍国側として参戦、国としての損害は無い状態で戦勝国となり、軍需景気に支えられ、海軍力の増強に拍車が掛かります
●第1次世界大戦後の1920年に計画されたのが通称「88艦隊」で、艦齢8年未満の8隻の戦艦と8隻の巡洋戦艦を保有するというものでした
●この計画は、建造が開始されていた「長門型」戦艦の「長門」、「陸奥」を始めとするものでしたが、1921年に「ワシントン軍縮会議」が開催、その前の1920年に「長門」は竣工していましたが、「陸奥」は竣工前であり、削減対象となるのを防ぐために建造が急がれ、1921年に竣工させています
●この「ワシントン軍縮会議」により主力艦の保有制限が設けられ、完成していた「長門」、「陸奥」はからくも保有が認められましたが、「88艦隊」計画により建造中の他の艦は建造中止、もしくは異なる艦種へと変更されました
●新造時の「長門」は、当時の列強の最強力艦と同等もしくはそれ以上の火力を誇り、防御力、速力共に優秀で、世界最強の能力を持っていました
●しかし、当時の建造技術は急速に発展、これに追従する形で1925年と、1932年から1934年にかけての2回に渡り大規模な近代化改装が行なわれており、新造時にはシンプルな構造だった上部構造物は艦橋を中心として大幅に形状が改められ、日本戦艦特有の積み上げ式の艦橋構造物(パゴダマストとも呼ばれます)と1本式の大型煙突、そして探照灯台座部分を中心にトラス構造物が設けられた荘厳さを感じる姿へと変貌しています
●この「長門」は、世界における最強戦艦「ビックセブン」の1艦として世界から認知され、当時の帝国海軍中の最強艦として、大艦巨砲主義が常識化していた国民の間では絶大な人気を誇りました
・ 「長門」を大幅に凌ぐ能力を持つ戦艦「大和型」は、国民へは完全に秘密とされ、その存在を知る人はほとんど居ませんでした
●「長門」は就役直後から連合艦隊旗艦とされ、各式典などに参加、太平洋戦争の開戦時には連合艦隊司令長官「山本五十六」大将の乗艦の元、真珠湾攻撃艦隊などの指揮が執られました
●しかし、「長門」自体は、艦隊決戦用の「主力艦隊」として内地で温存されており、1942年2月には新たに就役した戦艦「大和」に連合艦隊旗艦の座を譲り渡しています
●1942年5月に空母「ホーネット」から飛び立った「B-25」爆撃機が日本本土を初空襲、この爆撃は小規模なもので、損害は軽微でしたが、軍部に与えた衝撃は大きいものでした
●そこで、哨戒ラインを前進するためと、敵主力艦隊を殲滅するために「ミッドウェー」攻略作戦が実行、「長門」も主力部隊の一員として出撃しますが、先鋒となった空母機動部隊が壊滅、帝国海軍は敗退してしまいます
●1942年8月、アメリカ軍が南太平洋のガダルカナル島に上陸、以後このソロモン海域を巡って両軍の死闘が繰り広げられました
●帝国海軍の内部では、主力艦隊同士の一大海戦により戦争の雌雄を決めるという思想が根強く、強力な攻撃力を持つ「長門」は温存策が採られ、ソロモン海域の戦いに参加することはなく、内地を中心とした後方に留まります
・ アメリカ海軍は新鋭戦艦である「ノースカロライナ級」や「サウスダコタ級」を同地に派遣して、機動部隊の護衛や、夜戦に投入するなど奮戦を繰り広げたのとは対照的です
●その後、「長門」は1944年6月の「マリアナ沖海戦」、1944年10月の「レイテ沖海戦」に参加、「レイテ沖海戦」ではアメリカの護衛空母を撃沈するなどの活躍を見せます
●しかし、「レイテ沖海戦」後は、日本本土での燃料事情が悪化し、重油を大量に消費する戦艦の出撃は出来なくなるようになり、横須賀沖に繋留、浮き砲台として利用されました
●1945年7月には空襲によって中破しましたが、そのまま終戦を迎えます
●「長門」は、帝国海軍の象徴として戦争を生き抜きましたが、アメリカ軍によって接収、1946年7月ビキニ環礁における原爆実験でその姿を消したのでした