日本駆逐艦 天津風
「日本駆逐艦 天津風 (プラモデル) (アオシマ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.458 )」です
●日本海軍の甲型駆逐艦「陽炎型」の9番艦「天津風」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●日本海軍が艦隊駆逐艦の理想形として建造した陽炎型駆逐艦の9番艦「天津風」を再現、主砲を背負い式に配置し、強力な魚雷兵装を装備した「天津風」の勇猛なシルエットを再現した内容となっています
●アオシマ社製「日本駆逐艦 陽炎 1941」をベースに、「天津風」を再現するために、新規デカールを追加したバリエーションキットとなります
【 「日本駆逐艦 天津風」のキット内容について 】
●日本海軍の甲型駆逐艦「陽炎型」の9番艦「天津風」を再現したプラスチックモデル組立キットです
●シャープなモールドとスケール感に沿った抑えたパーツ構成により駆逐艦「天津風」を再現、ディテールにこだわりながらもコレクション性も考慮し、バランスのとれた艦船モデルとなっています
●駆逐艦「天津風」は太平洋戦争中に対空兵装を中心に改装が行われており、キットは艦橋前に機銃座を増設した1943年頃の状態を再現しています
●喫水線から上の部分を再現した洋上モデルです
●「天津風」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」の各ブロックごとに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は、喫水線ラインで上下に分割したパーツ構成となっています
・ 船底部は、 洋上モデルとしての船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板は、鎖錨甲板と、船体に一体成型となった上甲板とで構成
・ 甲板上には、中央構造物、後部構造物、主砲塔台座、魚雷発射管台座などの基本構造の他、リノリウム押さえ、滑り止め、魚雷運搬用レール、ボラード、アンカーチェーンなどのディテールを繊細なモールドで再現しています
「天津風」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋部分は上下に分割したブロックで構成、上部は2層、下部は各パネルを箱組み状に貼り合わせて作製します
・ 艦橋トップの方位盤、測距儀などは別パーツ化して再現しています
・ 艦橋窓枠は、窓の部分を一段凹んだ状態で再現し立体感を演出しています
・ 艦橋下部の舷窓、扉などのディテールは繊細な凹凸あるモールドで再現
●メインマスト、後檣
・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、それぞれ前後に分割したパーツで再現
● 第1煙突・第2煙突
・ 煙突は左右に分割したパーツ構成で、トップ部は別パーツ化して再現しています
・ 蒸気捨管、缶通風筒、排気筒は煙突とは別パーツ化して再現しています
●主砲塔 「50口径 3年式 12.7cm連装砲 C型」 ×3 (「小型艇兵装セット」ランナー)
・ 砲塔は本体部分と砲身部分とに分割したパーツ構成で、砲身は連装状に一体成型のパーツで再現しています
・ 砲身部分には防水カバーを彫刻で再現しています
●魚雷発射管 「92式 61cm 4連装魚雷発射管」 ×2 (「小型艇兵装セット」ランナー)
・ 魚雷発射管は一体成型のパーツで再現
●対空機銃 「25mm 3連装機銃」 ×2、「25mm連装機銃」 ×1 (「小型艇兵装セット」ランナー)
・ 機銃は一体成型のパーツで再現しています
●内火艇、カッター及びボートダビッド (「小型艇兵装セット」ランナー)
・ 7.5m内火艇 ×2
・ 7.5mカッター ×2
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 錨
・ 方位測定器
・ 探照灯
・ 爆雷投射器
・ パラベーン
・ 前部・後部スキッドビーム
・ 予備魚雷格納庫
・ 艦尾旗竿
などをセットしています
●静岡模型教材協同組合「小艦艇兵装セット」のランナー1枚が付属、主砲、機銃、魚雷発射管などは同ランナーのパーツを使用します
<セット内容>
・ 89式 12.7cm連装高角砲 ×1
・ 3年式 12.7cm単装砲 ×1
・ 3年式 12.7cm連装砲 B型 ×3
・ 3年式 12.7cm連装砲 C/D型 ×3
・ 14cm単装砲 (潜水艦用) ×2
・ 10cm高角砲 (潜水艦用) ×2
・ 8センチ高角砲 ×2
・ 96式 25mm3連装機銃 ×5
・ 96式 25mm連装機銃 ×3
・ 92式 4連装魚雷発射管 ×2
・ 90式 3連装魚雷発射管 ×2
・ 12年式 3連装魚雷発射管 ×3
・ 70cm探照灯 ×1
・ 94式爆雷投射器 ×2
・ パラベーン ×2
・ 10m特型運貨船 ×1
・ 7m内火艇 ×2
・ 7mカッター ×2
・ 13号電探(A) ×1
・ 13号電探(B) ×1
・ 22号電探 ×1
・ 方位探知機アンテナ ×1
・ 2式水上戦闘機 ×1
・ 零式小型水上偵察機 ×1
・ 水上戦闘機 強風 ×1
・ 特殊攻撃機 晴嵐 ×1
・ ラジアルダビッド ×4
・ クォートラントダビッド ×8
・ アンカー(小) ×2
・ 小煙突 ×1
・ 水上偵察機など用の日の丸デカールが付属
●艦尾の海軍旗(直線タイプと、なびいているタイプの2種)再現したシールが付属
●「天津風」の艦名表示、軍艦旗を再現したデカールも付属しています
【 「日本駆逐艦 天津風」のパッケージ内容 】
・ 駆逐艦 天津風 ×1
・ 「小艦艇兵装セット」ランナー ×1
・ シールシート ×1
・ デカールシート ×2
・ 組立て説明書 ×1
●2015年 デカール替えバリエーションキット (「日本駆逐艦 陽炎 1941」をベースに「天津風」用のデカールを追加)
【 「駆逐艦 陽炎型」について 】
●日本海軍は艦隊型駆逐艦として1600tクラスの「特型駆逐艦」を1928年に竣工、同艦は従来の駆逐艦の1.5倍もの攻撃力を装備し、「特型駆逐艦」の艦形と武装配置は以後の駆逐艦のスタンダードとなりました
●しかし、ロンドン軍縮会議により駆逐艦のような補助艦艇の保有にも制限が加えられるようになり、特型駆逐艦から以後に建造された「初春型」「白露型」等の駆逐艦は排水量と釣り合いのとれない武装を詰め込んだ結果、建造後に欠点が露呈してしまいます
●1936年、日本は軍縮条約から脱退、この時以降、排水量の制限を受けずに艦艇の建造が可能となり、2000tクラスの駆逐艦である「陽炎型」の建造が行われます
●「陽炎型」は、船体強度を充分に確保しながら前型の駆逐艦「朝潮型」と同じ武装を装備、航続距離も増し、帝国海軍が望んだ理想的性能を持つ艦隊型駆逐艦として建造されます
●「陽炎型駆逐艦」は、「12.7cm 連装砲」を3基搭載、魚雷兵装は「4連装式 61cm 魚雷発射管」を2基搭載、また魚雷の次発装填装置も装備しており、魚雷を2装射する能力を有しているのが特徴でした
・ 他国の駆逐艦は、装填している魚雷を発射するのみで、戦闘中に次発装填はできませんでした
●この「61cm 魚雷発射管」は、長射程、大威力の「酸素魚雷」を発射することができ、駆逐艦で構成された水雷戦隊による魚雷の一斉装射は、敵の艦隊に対して極めて脅威になるものと思われました
・ 実際、ソロモン海での夜戦において、アメリカの巡洋艦は「酸素魚雷」を1発被弾しただけで戦闘不能となるダメージを受けています
●「陽炎型」駆逐艦は、1939年に1番艦の「陽炎」が竣工、最終艦となる「秋雲」が1941に竣工するまで合計19隻の建造が行われています
●同駆逐艦は、当時の最新鋭の駆逐艦として常に最前線に投入、連合軍艦艇と交戦、特にガダルカナル島沖で行なわれたソロモン海の戦いではその性能を発揮して多くの敵艦を撃破もしくは撃沈しました
●しかし、その分、損傷も多く、8番艦「雪風」以外は全艦戦没しています
【 「駆逐艦 天津風」について 】
●駆逐艦「天津風」は、「陽炎型」駆逐艦の9番艦として1940年10月に竣工しました
●太平洋戦争開戦後、「天津風」はフィリピン方面やインドネシア方面の攻略作戦に参加、新鋭駆逐艦らしい働きを見せます
●1942年8月にアメリカ軍がガダルカナル島に上陸を開始すると、「天津風」はソロモン海域に移動、日米双方の激戦へと投入が行われました
●特に、最大の夜戦となった第3次ソロモン海戦において「天津風」は、先陣を切って探照灯でアメリカ艦隊を照らし続けながら砲雷撃戦を展開、そのために自身も敵艦隊からの目標となって被弾、中破する損害を受けます
●しかし、「天津風」も多数の砲弾と全弾の魚雷をアメリカ艦隊に向けて放っており、駆逐艦1隻を撃沈する他、巡洋艦にも多大な損害を与えるという戦果を挙げています
●1944年1月、輸送船団の護衛に就いていた「天津風」は、南シナ海においてアメリカ潜水艦を発見、攻撃を行いますが、反撃を受けて1本の魚雷を被雷、艦橋を含む船体前部が失われてしまうという損害を受けます
●僚艦からの曳航によりサイゴンに避難した「天津風」は1944年11月まで応急修理を受け、仮設の艦首と艦橋とが取り付けられ、本来の性能とは程遠いものの、一定の戦闘能力を回復するまでになりました
●1945年3月、「天津風」は輸送船団に付き添う形で内地を目指して出航します
●しかし、この頃になると南シナ海の制空権、制海権はアメリカ軍が掌握しており、輸送船団は壊滅、「天津風」も爆弾1発を被弾し、香港へと一時的に避難しました
●「天津風」は新たに編成された輸送船団に合流して内地を目指しますが、アメリカ軍機の執拗な攻撃を受けて3発の爆弾を被弾、アモイ港へと何とか逃れることには成功したものの、機関が停止してしまいます
●ここに至って回復は絶望的と判断が行われ、自爆処分が決定、歴戦の勇者である「天津風」はその最期を遂げたのでした