日本軽巡洋艦 最上
「日本軽巡洋艦 最上 (プラモデル) (タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.359 )」です
●日本海軍の軽巡洋艦「最上」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立てキット
●15.5cm砲15門搭載の大型「軽」巡洋艦として竣工した軽巡洋艦「最上」を再現、コンパクトな艦橋とスッキリとした形状の船体による近代的なシルエットを再現した内容となっています
●「最上」は、竣工時の軽巡洋艦時から、1939年の主砲の換装による重巡洋艦時、そして1942年の改装による航空巡洋艦時という3つの形態を経ており、キットは竣工時の軽巡洋艦時の姿を再現しています
●タミヤ社製「日本重巡洋艦 三隅」の船体、上甲板、上部構造物などを含んだランナーと、「日本軽巡洋艦 熊野」の艤装類のランナーとをセット、「最上」を再現するために後檣などの新規パーツを追加したバリエーションキットです
・ 「最上型」の4隻は、最初に起工した「最上」「三隈」の2隻と、後の起工となる「熊野」「鈴谷」の2隻とは船体形状が若干異なり、この軽巡洋艦時の「最上」を再現するために「日本重巡洋艦 三隅」の船体などを使用しています
【 「日本軽巡洋艦 最上」のキット内容について 】
●日本海軍の軽巡洋艦「最上」を再現したプラスチックモデル組立てキットです
●最新の考証に基づき「軽巡洋艦」時代の「最上」を再現、タミヤらしい強弱を付けたキレのあるモールドと優れた造形力、そしてコレクション性を重視したウォーターラインシリーズのフォーマットに従いパーツの細分化をできるだけ抑えており、1/700スケールの艦船模型として極めて高品質かつバランスに優れた内容となっています
●艦体喫水線までを再現した洋上モデルです
●「軽巡洋艦 最上」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの構造物」「主砲を含めた艤装類」の各ブロックに分割した構成となっています
●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、上甲板、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます
●船体は、左右に分割したパーツで再現
・ 船体部には、舷側の「舷窓」「フェアリーダー」「副錨」などを繊細なモールドで再現しています
・ 船体部の「魚雷発射管口」は開口され、魚雷発射管設置部分の甲板、魚雷発射管を別パーツ化して再現、甲板部には予備魚雷をモールドで再現しています
・ 船体部にはカタパルト台座基部を一体成型化して再現しています
・ 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています
●上甲板は、「前部甲板」「後部甲板」「シェルター甲板部」の3パーツで構成
・ 甲板上には「主砲塔台座」「ホースパイプ」「ケーブルホルダー」「リノリウム押さえ」「滑り止め」「航空機運搬用軌条」などの基本構造の他、「アンカーチェーン」「リール」「ボラード」「パラベーン」「昇降口」などの細かなディテールを強弱を付けた丁寧なモールドで再現しています
「軽巡洋艦 最上」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています
●艦橋
・ 艦橋は6層に分割した構成
・ 艦橋トップに設置された「6m測距儀塔」「方位射撃塔」は別パーツ化されており、小粒なパーツでありながら手を抜かず、最大公約数的なフォルムで再現しています
・ 艦橋窓枠は、窓枠の部分をくっきりと際立たせた凸モールド、窓の部分を一段凹んだ状態で再現し立体感を演出しています
・ 羅針艦橋の下部前面は別パーツ化しており、操舵室、作戦室の窓を繊細な凹モールドで再現しています
・ 艦橋構造を貫くように設置された支柱は別パーツ化して再現、狭く入り組んだ場所ながら奥行きあるディテールを再現することが可能です
・ 艦橋構造両脇に設置された「91式高射装置(×2)」「4.5m高角測距儀(×2)」「缶吸気口(×2)」「60cm信号灯(×2)」は別パーツ化して再現
・ 艦橋前面には装備した「13mm連装機銃(×2)」は別パーツ化して再現しています
●前檣
・ まだ電探などが装備されていない三脚檣型の前檣を再現
・ 前檣本体を前後に分割したパーツで構成し、点滅信号灯用の張り出しを別パーツ化して再現しています
・ 前檣内部に設けられた「電探室」は前檣パーツと一体成型して再現しています
・ 前檣トップに装備された「方位測定器(×1)」を別パーツ化して再現していますが、プラスチック製パーツですのでやや大柄な表現となっています
●煙突
・ 10本の煙突を2本にまとめ、高雄型などに見られる湾曲した煙突フォルムを再現
・ 煙突の本体部分は左右に分割したパーツで構成、煙突トップ部は別パーツ化し、組立後艦橋後部へもぐりこませるようにして取り付けます
・ 煙突本体には「蒸気捨管」「ジャッキステー」を強弱をつけたモールドで再現しています
・ 煙突トップ部は区分けし開口した状態となっています
●後部艦橋
・ 後部艦橋は4パーツで構成、上部の「方位射撃塔」のみを別パーツ化して再現しています
●後檣
・ 軽巡時代の背を高く設定した三脚檣型の「後檣」を再現、艦載機揚収用クレーンを併設しています
・ 後檣・クレーンは3パーツで構成、トップの「信号灯」は檣パーツと一体化して再現しています
●探照灯台座、及び探照灯
・ 前部煙突両脇に設置された「探照灯部(×2)」、煙突後部に設置された「探照灯(×1)」は独立したパーツで再現
・ 探照灯台座と「110cm探照灯」とを一体成型化したパーツで再現しています
・ 台座部分のディテールは枠状のモールドで凹凸をつけた簡素な表現となっています
●中央機銃座
・ 煙突左右に設置された「機銃甲板(×2)」は手すり(スポンソン形状で成型)を含め一体成型のパーツで再現
・ 甲板表面には鋼板模様がスケールに沿った表現で再現されていますが、「95式射撃装置」は再現されていません
・ 機銃座に装備する、「25mm連装機銃(×4)」を別パーツ化しています
●カタパルト 「呉式2号5型射出機」 ×2
・ カタパルトは一体成型のパーツで再現、側面のトラス構造をモールドで再現しています
●主砲塔 「60口径 3年式 15.5cm 3連装砲」 ×5
・ 主砲塔は、砲身、測距儀も含めて一体成型のパーツで再現、甲板部分に内蔵するポリキャップでの接合で完成後も左右に旋回させることができます
・ 「1・2・5番砲塔」と、8m測距儀を備えた「3・4番砲塔」との形状の違いを再現しています
・ 最大公約数的なディテール再現となっていますが、タミヤらしい丁寧なモールドで特徴を再現、砲身基部の防水カバーもモールド表現の違いで再現しています
●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 A1型改1」 ×4
・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との2パーツで構成、砲身部分は連装状に一体成型のパーツで再現しています
・ 船体から丸く張り出す円形の「高角砲台座」は独立したパーツとなっており、スポンソン部を含めた一体成型のパーツとなっています
●89式装填演習砲
・ 後部甲板に設置されていた「装填演習砲」を一体成型のパーツで再現しています
●対空機銃 「25mm 3連装機銃」 ×4 (中央機銃座に配置)
・ 機銃は一体成型のパーツで再現しています
●魚雷発射管 「61cm 90式 3連装魚雷発射管 1型」 ×4
・ 魚雷発射管は3連装状に一体成型のパーツで再現
●内火艇、カッター及びボートダビッド
・ 11m内火艇 ×2
・ 11m内火ランチ ×2
・ 9mカッター ×4
・ 小型カッター ×1
・ 内火艇類は一体成型のパーツで再現、ダビッドを再現したパーツもセットしています
●その他の艤装を再現したパーツとして
・ 艦尾旗竿
・ 主錨
・ 菊花紋章
・ 航空機台車
・ 航空機滑走台
などをセットしています
●艦載機として
・ 94式1号水上偵察機 ×1
・ 95式水上偵察機 ×2
を再現したパーツが付属しています
・ 「水上機」はともに、下翼を含む機体本体、上翼、フロートに分割したパーツ構成となっています
●静岡模型教材協同組合「大型艦兵装セット」のランナーが2枚付属しており、高角砲、機銃、カタパルト、内火艇、艤装類、艦載機の一部などは同ランナーのパーツを使用します
●艦尾の軍艦旗(直線タイプと、なびいているタイプの2種)を再現したペーパーシートが付属
●艦載機の日の丸マークや機体番号などを再現したデカールが付属しています
【 「日本軽巡洋艦 最上」のパッケージ内容 】
・ 軽巡洋艦 最上 ×1
・ 94式1号水上偵察機 ×1
・ 95式水上偵察機 ×2
・ 「大型艦兵装セット」ランナー ×2
・ ペーパーシート ×1
・ デカールシート ×3
・ 金属製バラスト ×1
・ 組立て説明書 ×1
●2015年 一部新金型
【 「巡洋艦 最上型」について 】
●1930年に締結されたロンドン軍縮会議の結果、「巡洋艦」「駆逐艦」などの補助艦艇の保有制限が定められ、日本海軍の重巡洋艦枠は既存の「古鷹型」「妙高型」「高雄型」で一杯となり、新たに重巡洋艦を建造することができなくなります
●また、このロンドン軍縮会議では、軽巡洋艦と重巡洋艦の定義付けも行われており、
搭載する主砲の口径が20cm以上、排水量10,000tを超えるものは重巡洋艦、それ以下の艦は軽巡洋艦となりました
●日本海軍が保有する軽巡洋艦は、第1次世界大戦時に設計された5500tクラス以降新たに建造した艦はなく(実験的な艦である「夕張」を除く)、旧式化が目立ち始めていました
●そこで、日本海軍では軽巡洋艦の保有枠に余裕があることから、重巡洋艦の定義の一つである20cm砲以下の口径の砲を装備し、排水量10,000tの枠内に収まる大型の軽巡洋艦の建造計画を立案、「最上型」4隻と「利根型」2隻の建造を開始します
・ 「最上型」は、「最上」「三隈」「鈴谷」「熊野」の4隻となります
・ このような、重巡洋艦に抵触しない大型の軽巡洋艦はアメリカ海軍やイギリス海軍でも建造を行っています
●「最上型」は、軽巡洋艦の枠内となる「15.5cm砲」を搭載した3連装砲塔を5基装備し、重巡洋艦搭載の「20cm砲」とは1門あたりの威力は劣るものの、合計15門という砲火力と、発射速度の早さがそれを補う予定でした
●ただし、将来的な条約破棄を想定し、「最上型」は「20cm砲」へと容易に換装できるような設計となっていました
●「最上型」は1935年から1937年にかけて竣工、当初は「15.5cm砲」を搭載していましたが、1936年の軍縮条約脱退により、1939年から1940年の改装により「20cm砲」を搭載した重巡洋艦へと生まれ変わりました
・ 「利根型」は、建造の途中から「20cm砲」へと変更しており、重巡洋艦として竣工しています
●「最上型」は、「利根型」と並び日本海軍が誇る最新鋭の重巡洋艦であり、その安定した性能により活躍、「三隈」は「ミッドウェー海戦」で戦没し、重巡洋艦の最初の喪失艦となりましたが、他の3艦は「レイテ沖海戦」まで戦い続け、連合艦隊の主軸となりました
【 「巡洋艦 最上」について 】
●巡洋艦「最上」は、前述のように大型の軽巡洋艦「最上型」の1番艦として1931年に起工します
●「最上」は、日本海軍の最新鋭艦であり、艦の復元性を考慮して艦橋構造物は従来の重巡洋艦よりもかなりコンパクトなものとなっていました
●ところが1934年に水雷艇「友鶴」が演習中に転覆するという「友鶴事件」が発生、この事件をきっかけとして日本海軍の艦艇の重心の高さが問題となり、艦橋をコンパクトなものとした「最上」も更なる復元性の向上と船体の強度の向上を求められ、設計時よりも背の低い艦橋と船体内側には補強材を追加した状態で1935年に竣工しました
●日本が軍縮条約に脱退したことから、「最上」は1939年に20cm砲への換装が行われ、これにより重巡洋艦となります
●重巡洋艦「最上」は、太平洋戦争が開戦すると南方へ派遣され、マレーやインドネシア方面の攻略作戦に参加します
●1942年3月、バタビアへの上陸作戦の支援中、連合軍側の「ABDA艦隊」(アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの連合部隊)の重巡洋艦「ヒューストン」と軽巡洋艦「パース」が出現、「最上」は他艦と協力して両艦を撃沈します
●1942年6月の「ミッドウェー海戦」において、「最上」は僚艦「三隈」と共にアメリカ艦載機の攻撃を受けて大きく損傷、「三隈」は戦没してしまいます
●何とか内地へと帰還した「最上」は、損傷箇所の修理に併せて、損傷した船体後部を飛行甲板へと変更、水上機11機を搭載できる「航空巡洋艦」として生まれ変わりました
●1944年6月、アメリカ軍がサイパン島へと上陸を開始、同島を絶対防衛ラインに設定していた連合艦隊はその航空戦力を結集し、アメリカ艦隊との航空決戦に挑み、「マリアナ沖海戦」が発生します
●「最上」は、その艦載機の搭載能力により機動部隊に随伴、水上機により索敵任務に従事します
●しかし、この頃には日米の航空戦力には大きな開きがあり、航空戦では惨敗、海戦の完全な敗北となりました
●「マリアナ沖海戦」の結果、日本海軍は多くの艦載機の乗員を失い、もはや艦隊航空戦力で戦いを挑む能力は無く、続く1944年10月の「レイテ沖海戦」において、「最上」は機動部隊から外され、水上艦艇部隊である「西村艦隊」へと編入されます
●この「西村艦隊」は、フィリピン南方を経てアメリカ軍の上陸艦隊が展開するレイテ島沖へと進出しますが、レイテ島沖の入口となるスリガオ海峡において、夜間アメリカ艦隊の待ち伏せに会い、圧倒的な戦力差により同艦隊は壊滅状態となります
●「最上」も、多くの砲弾を浴びて戦闘能力を喪失、機関室への被弾により速度を落としながら何とか戦場を離脱することには成功しました
●しかし、翌朝にはアメリカ艦載機が同艦に襲い掛かり、更に損害が増加、炎上して航行不能状態となり、味方の駆逐艦の魚雷により処分、その姿を波間に消したのでした