帝国陸軍歩兵 関東軍 1939
「帝国陸軍歩兵 関東軍 1939 (プラモデル) (ファインモールド 1/35 ミリタリー No.FM049 )」です
●日中戦争から太平洋戦争時における日本陸軍の歩兵4体を1/35スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●「昭5式軍衣」を着用した姿で、重心を前方にとり前かがみになった戦闘中もしくは警戒中の姿を再現しています
【 「帝国陸軍歩兵 関東軍 1939」のキット概要 】
●日本軍の装備に深い造詣を持つファインモールド社ならではのこだわりで、「昭5式軍衣」を着用した日本陸軍の歩兵を再現
●「昭5式軍衣」は日中戦争前期やノモンハン事件などで見られた服装
●「昭5式軍衣」は「98式軍衣」の登場後も襟章などを変更しながら継続して着用が続けられており、太平洋戦争時の歩兵としても使用可能
●戦闘中もしくは警戒中のポージングで、フィギュアとしてだけではなく、車両との組み合わせも行いやすい
●日本人らしい顔付きと体格
●小銃をはじめ、ヘルメットや雑嚢、弾薬盒などの歩兵用の豊富なアクセサリーが付属
●階級章などを再現したデカールが付属
【 「帝国陸軍歩兵 関東軍 1939」のキット内容について 】
●日本陸軍の歩兵を再現したプラスチックモデル組立キットです
●日本の軍装及び装備について、非常に深い造詣を蓄積してきたファインモールド社の手により日本陸軍の歩兵を再現、当時の日本人の体格を充分に考慮しながら、「昭5式軍衣」を着用した際の軍装ディテールと、戦闘中もしくは警戒中の人間の姿を雰囲気豊かに再現した内容となっています
●「昭5式軍衣」は、1930年に制定され、「日中戦争」の前期や「ノモンハン事件」時などで見られた服装となります
●1938年に「98式軍衣」が登場してからは「昭5式軍衣」は徐々に姿を消しましたが、そのデザインが好まれたことや、古参兵の印としてそのまま着用を続ける兵士も多く、太平洋戦争を通じて着用している姿を見ることができます
・ ただし、襟章などは「98軍衣」のタイプへと変更している場合が多くなります
●服装は、「昭5式軍衣」を着用、ゲートルを巻き、ヘルメットを被った姿です
●服の皺の表現はスケールに沿った凹凸モールドで再現、服の縫い目などの細部は繊細かつシャープなモールドで再現しています
●フィギュアは、「頭部」「胴体」「両腕」「両足」で分割したオーソドックスなパーツ構成となっています
●各装備品類は「帝国陸軍歩兵 行軍セット」にセットされていたパーツを転用
・ 三八式歩兵銃は本体をボルト部分を別パーツ化、銃全体にはレーザー加工機を使用した微細な金型加工を施し、銃の細部ディテールをシャープな彫刻で再現しています
・ 各装備品はレーザー彫刻を駆使して精密で繊細なディテールを再現、特に九〇式鉄帽(ヘルメット)は実物の3Dスキャンデータを下敷にしながら、スケールに沿った微妙なカーブラインを再現しています
【 「帝国陸軍歩兵 関東軍 1939」のフィギュアのポージングについて 】
●セットしているフィギュアのポーズは4体、4種類 (全て両手で小銃を持っている姿です)
・ 立った姿勢で、身体を大きく捻って後方を見ているポーズ
・ 片膝を付いた姿勢で、待機しているポーズ
・ 両足を大きく開いて立ち、前方を注視しているポーズ
・ 立った姿勢で、小銃を腰の位置で構えているポーズ
【 付属している装備品類 】
・ 38式小銃 ×3
・ 99式小銃 ×3
・ 略帽 ×4
・ 90式鉄帽(ヘルメット) ×4
・ 14年式拳銃 ×2
・ 拳銃用ホルスター ×2
・ 小銃用マガジンポーチ (前盒) ×6
・ 小銃用マガジンポーチ (後盒) ×3
・ 銃剣 ×4
・ 雑嚢 ×4
・ 水筒 ×4
・ 飯盒 ×1
・ 円匙 (携帯シャベル) ×1
・ 背嚢 ×1
・ ガスマスクケース ×3
など
●階級章などを再現したデカールが付属しています
【 「帝国陸軍歩兵 関東軍 1939」のパッケージ内容 】
・ 日本陸軍歩兵 (昭5式軍衣着用) ×4
・ デカールシート ×1
●2016年 フィギュアランナー完全新金型
【 「関東軍」について 】
●軍隊内における部隊の規模は各国によって異なり、「師団」や「連隊」などの部隊単位は国によって兵員数が大きく異なります
●ヨーロッパの国々では、1個の「師団」は約1万名の兵士で構成するというのが標準的で、この「師団」以上の単位として、2~3個の「師団」を隷下に収める「軍団」、2~3個の「軍団」を隷下に収める「軍」、2~3個の「軍」を隷下に収める「軍集団」、そして「軍集団」を束ねる上部組織として「方面軍」、といった軍編成が行われていました
●日本陸軍では、「師団」を構成する兵員は約2万名と定めており、ヨーロッパの軍隊よりも規模が大きいことから、「軍団」という軍単位を設けず、「師団」の上位組織は「軍」となりました
・ 日本国内においては「師団」が最大の軍単位であり、「軍」という組織は日本以外の地域へと外征した場合に設けられました
●「日清戦争」「日露戦争」において、日本陸軍の主戦場は朝鮮半島及び中国東北部であり、その後もロシア(ソ連)を仮想敵国としていた日本及び日本陸軍にとって、朝鮮及び中国東北部の確保は国益に直結するものとして、戦略的に重要な地域とされました
●その中国東北部(満州)に展開していたのが「関東<軍>」で、中国大陸自体が広いことと戦略上の観点から「関東軍」には、常時4個以上の「師団」が配属され、陸軍全体を統括する「陸軍参謀本部」に次ぐ大きな組織となります
●この「関東軍」の司令部は、占領地域に軍政を敷き、日本にとっての最前線に展開していたことから絶大な権力を持ち、本来は上部組織である「陸軍参謀本部」や「陸軍省」の指揮下にあるべきものでしたが、「関東軍」独自の判断で行動する場合が多く、軍事的範囲にとどまらず、政治的にも大きな影響を及ぼす戦闘行為をも実行しています
●「関東軍」の独断専行は、軍隊という組織からは許されない行為でしたが、追認という形で事後承諾が行われ、その行為は徐々にエスカレート、「張作霖爆殺事件」や「満州事変」などを引き起こし、これらの「関東軍」の行動は日本の孤立化を深める大きな原因となったのでした