日本海軍 戦艦 長門 (プラモデル)フジミ 1/700 特EASYシリーズ No.001 スケール:1/700
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「日本海軍 戦艦 長門 プラモデル (フジミ 1/700 特EASYシリーズ No.001 )」です●太平洋戦争時における日本海軍の戦艦「長門」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット ●連合艦隊旗艦、そして連合艦隊の象徴として国民から絶大な人気を集めた「戦艦 長門」を再現、日本戦艦特有の積み上げ式の艦橋と、先鋭的な艦首デザイン、迫力の主砲、そして複雑な形状の後檣など、その威厳を持った姿を再現した内容となっています 【 「日本海軍 戦艦 長門」のキット内容について 】●日本海軍の戦艦「長門」を再現したプラスチックモデル組立キットです ●フジミ社製「特EASYシリーズ」として戦艦「長門」を再現、船体は建造された海軍工廠に合わせたグレー、艦載機などは艦載機色となる濃いグリーン、というランナーごとに色分け、木甲板、煙突のトップ部分、艦橋窓、主砲塔の防水カバー部などを再現したシールを使用することで、組み立てるだけで塗装を行わなくても実艦に近い雰囲気を楽しむことができる内容となっています ・ フジミ社製「日本海軍戦艦 長門 (太平洋戦争開戦時)」がベースキットですので、通常とおりに塗装を行うこともできます ●フジミ社製「日本海軍戦艦 長門 (太平洋戦争開戦時)」に、「特EASYシリーズ」としてのシールを付属させたバリエーションキットとなります ●太平洋戦争開戦後、戦艦「長門」は順次対空兵装が強化されており、キットは対空兵装増強前となる開戦時から1942年頃までの姿を再現しています ●艦体喫水線から上の部分が再現された洋上モデルです ●「長門」は、船体、上甲板、艦橋などの上部構造物、主砲などの艤装類の各ブロックで構成されています ●「長門」の船体部は、船体と船底との上下に分割したパーツ構成となっています ・ 船体には、下部副砲塔甲板が一体成型され、細部では舷側の舷窓、舷外電路、汚水捨て管、アンカーレセスなどが再現、バルジ部分も表現されています ・ 舷窓上部には雨樋がモールド再現 ・ 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属(オモリとなるバラストは付属していません) ●上甲板は、長船首楼甲板と後部甲板とが一体成型となったパーツ構成で、航空機作業甲板は、別パーツとなっています ・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本躯体の他、アンカー導板、ボラード、昇降口、リール、ボート架台、通風筒などの細かなディテールが再現 ・ 艦橋甲板には、木甲板表現、リール、昇降口、側面の舷窓、扉などが表現されています ・ 航空機作業甲板には、リノリウム押さえ、航空機用軌条、ターンテーブルのモールドが彫刻、側面には舷窓、扉、梯子、雨樋などが表現されています ●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「カタパルト部」「煙突部」「後部構造物」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます 「長門」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています ●艦橋 ・ 艦橋は9層で構成され、トップの射撃指揮所は別パーツとなっています ・ 艦橋構造物の各艦橋窓は、窓の部分が若干凹んだ状態で再現されています ・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱(6本)が別パーツ化されています ・ 艦橋部分に装備される、「4.5m測距儀」(×2)、「25mm連装機銃」(×6)、「12.7cm連装高角砲」(×2)、60cm探照灯(×4)などが別パーツ化され、探照灯はクリアーパーツとなります ● 煙突 ・ 煙突は左右に分割したパーツで再現、上部の雨水カバー金網、内部の整流板は別パーツとなっています ・ 雨水カバー金網は開口処理されています ・ 煙突の梯子部分は別パーツとなっています ・ 煙突部の各副管は、別パーツにて再現 ・ 煙突部の探照灯及び機銃台座は、ブロックごとにパーツ化されています ・ 探照灯台座の支柱部分は一体成型となったパーツで再現、シャープなモールドによりトラス構造が表現され、一部分が開口処理されています ・ 煙突に装備される、「110cm探照灯」(×6)、「25mm連装機銃」(×4)が別パーツ化、探照灯はクリアーパーツとなっています ●高角砲指揮所 ・ 艦体中央部の高角砲指揮所は、台座部分が上下に分割されたパーツ構成となっています ・ 高角砲指揮所に装備される、「94式高射装置」(×2)、「観測鏡」(×2)が別パーツ化されています ●後部艦橋 ・ 後部艦橋は6層で構成されています ・ 後部予備指揮所の窓は、窓が部分が若干凹んだ状態で再現されています ・ 艦橋側面には舷窓、扉などがモールドされています ・ ラッタルは別パーツにて再現 ・ 後部艦橋に装備される、「高射装置」(×2)、「主砲予備方位盤」(×2)、「12.7cm連装高角砲」(×2)などが別パーツ化 ●後檣 ・ 後檣は1本の単檣で、上部のヤード、ガフは別パーツ化されています ・ ヤード下部の支柱もパーツ化され、特徴的な実艦の後檣の造りを再現 ●カタパルト 「呉式2号5型射出機」 ×1 ・ カタパルトは一体成型のパーツで再現、スライド金型により側面のトラス構造と上部のディテールとが再現されています ●主砲塔部 「45口径 3年式 40cm連装砲」 ×4 ・ 主砲塔は上下に分割したパーツで構成、梯子や砲身キャンバス受けなどがモールドで再現されています ・ 測距儀は別パーツとなっています ・ 砲身部分は1本づつに分割成型され、スライド金型により砲口が開口処理済み、防水布も再現されています ●副砲 「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×18 ・ 砲塔部分と砲身部とが一体成型されたパーツで再現、砲身基部の防水布が再現されています ●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4 ・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との2パーツで構成、砲身部分は連装状に一体成型したパーツとなっています ●対空機銃 「25mm 連装機銃」 ×10(艦橋、煙突部に配置) ・ 機銃は一体成型されたパーツで再現 ●内火艇、カッター及びボートダビッド ・ 17m内火艇 ×2 ・ 11m内火艇 ×1 ・ 12m内火ランチ ×2 ・ 9mカッター ×6 ・ 小型カッター ×1 ●その他の艤装を再現したパーツとして ・ 艦首、艦尾旗竿 ・ 錨、副錨 ・ 菊花紋章 ・ クレーン ・ フェアリーダー ・ 塵芥投棄管 ・ 舷梯 ・ 応急舵 ・ 係船桁 ・ パラベーン などがセットされています ●艦載機として ・ 95式2号水上偵察機 ×1 が付属しています ●木甲板、航空機作業甲板のリノリウム貼り表現、艦橋窓、カッター類の甲板部、煙突の黒い部分、探照灯のガラス部、旗竿に掲げられる軍艦旗、艦載機の日の丸マークなどを再現したシールが付属 ・ 木甲板のシールは、甲板の表面部分の構造物に合わせてカット処理が行われています ●「日本海軍 戦艦 長門」の成型色 ・ 船体、上甲板、上部構造物、主砲など : グレー ・ 艦載機、探照灯など : 濃いグリーン ・ 船底部 : レッド 【 「日本海軍 戦艦 長門」のパッケージ内容 】・ 日本海軍 戦艦 長門 ×1 ・ 95式2号水上偵察機 ×1 ・ シールシート ×3 ・ 組立て説明書 ×1 ●2014年 成型色を変更、特EASY用シールをセットしたバリエーションキット (フジミ社「特EASYシリーズ」第1弾) 【 「戦艦 長門」について 】●帝国海軍は、日露戦争においてその海軍力によりロシア海軍を破ると、大艦巨砲主義に基づいた海軍戦力の拡大を図るようになります ●第1次世界大戦では日本は連合軍国側として参戦、国としての損害は無い状態で戦勝国となり、軍需景気に支えられ、海軍力の増強に拍車が掛かります ●第1次世界大戦後の1920年に計画されたのが通称「88艦隊」で、艦齢8年未満の8隻の戦艦と8隻の巡洋戦艦を保有するというものでした ●この計画は、建造が開始されていた「長門型」戦艦の「長門」、「陸奥」を始めとするものでしたが、1921年に「ワシントン軍縮会議」が開催、その前の1920年に「長門」は竣工していましたが、「陸奥」は竣工前であり、削減対象となるのを防ぐために建造が急がれ、1921年に竣工させています ●この「ワシントン軍縮会議」により主力艦の保有制限が設けられ、完成していた「長門」、「陸奥」はからくも保有が認められましたが、「88艦隊」計画により建造中の艦は建造中止、もしくは他の艦種へと変更されました ●新造時の「長門」は、当時の列強の最強力艦と同等もしくはそれ以上の火力を誇り、防御力、速力共に優秀で、世界最強の能力を持っていました ・ 搭載する主砲は名目上は「40cm砲」でしたが、実際には「41cm砲」でした ●しかし、当時の建造技術は急速に発展しており、1925年と、1932年から1934年にかけての2回に渡り大規模な近代化改装が行なわれます ●この「長門」は、当時の連合艦隊の中では最強とされ、まだ大艦巨砲主義が常識化していた国民の間では絶大な人気を誇りました ・ 「長門」を大幅に凌ぐ能力を持つ戦艦「大和型」は、国民へは完全に秘密とされ、その存在を知る人はほとんど居ませんでした ●「長門」は就役直後から連合艦隊旗艦とされ、各式典などに参加、太平洋戦争の開戦時には連合艦隊司令長官「山本五十六」大将の乗艦の元、真珠湾攻撃艦隊などの指揮が執られました ●しかし、「長門」自体は、艦隊決戦用の「主力艦隊」として内地で温存されており、1942年2月には新たに就役した戦艦「大和」に連合艦隊旗艦の座を譲り渡しています ●1942年5月に空母「ホーネット」から飛び立った「B-25」爆撃機が日本本土を初空襲、この爆撃は小規模なもので、損害は軽微でしたが、軍部に与えた衝撃は大きいものでした ●そこで、哨戒ラインを前進するためと、敵主力艦隊を殲滅するために「ミッドウェー」攻略作戦が実行されます ●この作戦は、先行する空母機動部隊によりミッドウェー海域の制空権を確保、ミッドウェー島を占領し、その反撃に現れた敵艦隊を連合艦隊の主力艦隊で殲滅するという2段構えでした ●「長門」は、「大和」などの戦艦部隊と共に「主力艦隊」を編成、ミッドウェーへと出撃します ●ところが、この作戦は暗号解読によりアメリカ軍に読まれており、先行する日本の空母機動部隊は3隻の空母を主力としたアメリカ機動部隊に待ち伏せされ、その主力である4隻の空母を失ってしまいました ●これにより、制空権を掌握できなかった連合艦隊は敗退してしまいます ・ 水上戦力で勝る連合艦隊は夜戦での決戦も検討しましたが、「山本五十六」司令長官の命により中止されました ●1942年8月、アメリカ軍が南太平洋のガダルカナル島に上陸、以後この海域を巡って両軍の死闘が繰り広げられました ●「長門」は、これらの戦いに参加することはなく、「主力艦隊」として内地を中心とした後方に留まります ・ アメリカ海軍は新鋭戦艦である「ノースカロライナ級」や「サウスデコタ級」を同地に派遣して、機動部隊の護衛や、夜戦に投入するなど奮戦を繰り広げたのとは対照的です ●その後、「長門」は1944年6月の「マリアナ沖海戦」、1944年10月の「レイテ沖海戦」に参加、「レイテ沖海戦」ではアメリカの護衛空母を撃沈するなどの活躍を見せます ●しかし、「レイテ沖海戦」後は、日本本土での燃料事情が悪化し、重油を大量に消費する戦艦の出撃は出来なくなるようになり、横須賀沖に繋留、浮き砲台として利用されました ●1945年7月には空襲によって中破しましたが、終戦時にも残存しています ●「長門」は、帝国海軍の象徴として戦争を生き抜きましたが、接収したアメリカ軍によって1946年7月ビキニ環礁における原爆実験でその姿を消しています
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