「航空母艦 赤城 (1942) 完成品 (国際貿易 KBシップス No.KBBS002 )」です●太平洋戦争時における日本海軍の航空母艦「赤城」を1/1100スケールで再現したダイキャスト及びプラスチック製完成品モデル ●飛行甲板上に識別用の日の丸マークを付けた1942年の「ミッドウェー海戦」時の姿、そして艦載機を飛行甲板上に配置して遮風柵を展開した発艦時の状態を再現しています ●喫水線から下の部分も再現したフルハルモデルです 【 「航空母艦 赤城 (1942)」の製品内容について 】●日本海軍の航空母艦「赤城」を再現したダイキャスト及びプラスチック製塗装済み完成品モデルです ●塗装済みの完成品モデルですので、パッケージから取り出して、そのままディスプレイすることができます ●日本軍の快進撃の原動力となった第1航空艦隊の旗艦の航空母艦「赤城」を再現、巡洋戦艦の船体に巨大な格納庫を備え、船体中央よりに艦橋を設置した、重厚かつ均整の取れた姿を再現した内容となっています ・ 艦首の「菊花紋章」、2段式の格納庫、コンパクトな艦橋、左右に張り出した各種スポンソン、巡洋戦艦の名残りのケースメート式に格納された主砲、そして4軸のスクリューなど、航空母艦「赤城」の特徴を再現 ・ 飛行甲板上に大きな日の丸マークを描いた「ミッドウェー海戦」時の姿を再現しています ●艦載機を飛行甲板上に配置した発艦時の状態を再現 ・ 発艦時ですから通信マストは倒した状態になっています ・ 2列の遮風柵は展開した状態を再現 ・ 前部エレベーターは若干下げた状態となっており、格納庫から「零式艦上戦闘機」を飛行甲板に上げているシーンを再現しています ・ 飛行甲板上には、「零式艦上戦闘機」(×6)、「99式艦上爆撃機」(×6)を配置しています ●喫水線から下の部分も再現したフルハルモデルです ●コレクションに役立つプラスチック製のクリアケースと、クリアケースに収まるネーム入りディスプレイスタンドが付属しています ●航空母艦「赤城」は実艦の塗装に基づき、船体部はグレー色で塗装、艦底部は艦底色、煙突部はブラック、飛行甲板部はタンで塗り分けられています ・ 喫水部分や主錨、副錨はブラック、菊花紋章とスクリューはブラスで塗り分けています ・ 飛行甲板上の表示線、艦名表示、日の丸マーク、滑走制止装置、着艦制動装置などはタンポ印刷でマーキングしています ●全長 : 約220mm 【 「航空母艦 赤城 (1942)」のパッケージ内容 】・ 航空母艦 赤城 (ミッドウェー海戦時) ×1 ・ クリアケース及びディスプレイスタンド ×1 【 「航空母艦 赤城」について 】●第1次世界大戦後、日本海軍は「88艦隊」という艦隊増強計画を立案、これは8隻の巡洋戦艦と8隻の戦艦の建造を軸とするもので、この計画に基づいて建造が開始されたのが巡洋戦艦「赤城」です ●しかし、1922年のワシントン軍縮条約により戦艦などの保有制限が設けられた結果、建造中の「赤城」は巡洋戦艦として完成することなく、航空母艦へと艦種が変更され、航空母艦としての大規模な改修工事が行われました ●航空母艦「赤城」は1928年に竣工、当時は航空母艦の形態と運用方法とが確立されていなかったことから、その姿は3段の甲板を持つ独自のスタイルとなっていましたが、実際には運用に不都合が発生し、1938年には全通式の飛行甲板を持つ姿へと改造されています ●一方、日本海軍は、仮想敵国であったアメリカ、イギリスの海軍力と比べて劣勢であったことから、それまで戦力的には補助として見られていた航空機に着目します ●当時、航空機の攻撃力では戦艦などの大型艦艇を撃沈することは困難とされていましたが、日本海軍は保有する正規空母を集約させることにより攻撃力の増大を図り、この航空戦力の攻撃によって艦隊決戦を有利に進めるという方針を採りました ●この方針に沿って編成されたのが「第1航空艦隊」で、当初は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻、太平洋戦争直前には「翔鶴」「瑞鶴」の2空母が加わります ●この「第1航空艦隊」は、約400機もの航空機を搭載した世界で最も強力な打撃力を持つ空母機動部隊で、当時、その存在はそれほど重要視されていませんでしたが、「第1航空艦隊」の攻撃力は軽く1つの艦隊を殲滅できる能力を持っていました ●また、「第1航空艦隊」の出現は、それまでの海戦の様子を一変させた航空機の時代の到来を示すものであり、その時点まで海戦時の最強の存在だった「戦艦」という艦種を、一気に舞台から引きずり落としたのでした ●航空母艦「赤城」は、巡洋戦艦の船体を利用したことによる最高速度の速さと、大型の船体に2層式の格納庫を設けた収容機数の多さから、この「第1航空艦隊」の旗艦に任命、複雑な構造ながらも端整さを持つ船体と、威容を放つ背の高いシルエットから国民的な人気も高く、日本海軍を象徴する艦となりました ●航空母艦「赤城」は1941年12月の真珠湾攻撃に参加、搭載した航空機による攻撃による華々しい戦果はそれまでの航空機の評価を一変、世界中を驚愕させることとなります ●真珠湾攻撃後、航空母艦「赤城」が率いる「第1航空艦隊」は南太平洋、オーストラリア近海、インド洋へと転戦し、その航空戦力により連合軍に大きな損害を与える一方、自身の損害は極めて軽微なものでした ●1942年5月、初の空母同士の海戦となった「珊瑚海海戦」に「翔鶴」「瑞鶴」を投入した「第1航空艦隊」は、アメリカの航空母艦「レキシントン」を撃沈させるという戦果を挙げたものの、「翔鶴」「瑞鶴」は航空戦力を喪失させるという損害を受け、このことは「第1航空艦隊」に暗い影を落とすようになります ●続く1942年6月、日本海軍が総力を挙げて挑んだ「ミッドウェー海戦」では、「第1航空艦隊」は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」という4隻での布陣で参加します ●「第1航空艦隊」の司令部では、ミッドウェー島への攻撃によってアメリカ空母が駆け付けてくると予想していましたが、アメリカ軍は暗号解読によって空母機動部隊をミッドウェー近海に待機させており、「第1航空艦隊」はその予想よりも遥かに早い時期にアメリカ軍機の攻撃に曝されました ●「赤城」の艦載機を初めとする艦隊の直衛機は、この攻撃を阻止続けますが、その間隙を縫う形で上空から飛来した急降下爆撃機によって、「赤城」「加賀」「蒼龍」の3空母は被弾してしまいます ●航空母艦「赤城」は2発の爆弾を受け炎上、この被弾時、「赤城」は攻撃隊となる航空機の発艦準備を行っていたことから、燃料を満載した航空機と搭載爆弾に誘爆が広がり、艦は手の施しようのない状態に陥りました ●そのため「赤城」は味方の駆逐艦の魚雷による処分が決定、「赤城」はその栄光の生涯を閉じたのです
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