ドイツ A-4/V-2 弾道ミサイル 量産型
「ドイツ A-4/V-2 弾道ミサイル 量産型 (プラモデル) (スペシャルホビー 1/72 special ARMOUR (スペシャル アーマー) No.SA72003 )」です
●「ドイツ A-4/V-2 弾道ミサイル 量産型」です
●第2次世界大戦時におけるドイツ軍の弾道ミサイル「A-4(V-2)」を1/72スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●大陸間弾道ミサイルの原点となったドイツ軍のミサイル「V-2(A-4)ロケット」の量産型を再現、ミサイルのスタンダードな形として認知されている大きな安定翼を持つフォルムが表現されています【 「報復兵器 V-2(A-4)」について 】
●第2次世界大戦前のドイツでは、科学技術の発展やナチス政権下での革新性を重視する政策から将来の宇宙への乗り物として民間レベルでロケットの開発が熱心に行われていました
・ このロケット開発には、後のアメリカの宇宙開発において名を示した「フォン・プラウン」博士も参加しています
●ドイツ陸軍では、ベルサイユ条約に制限されないこのロケットを兵器として転用することを1930年代初めから画策、1937年には北ドイツの小さな漁業村「ペーネミュンデ」に大掛かりな開発施設が設けられます
●弾道ミサイル「A-4」は、1936年に設計が完了していたものの、各種テストと調整に時間が掛かり、1942年の後半において試射が成功、連合軍の爆撃による妨害などで実用化には更に時間を必要としました
●この「A-4」は、激化するドイツへの連合軍の爆撃への報復兵器として「V-2」という名称を与えられ、開発と生産が急ピッチで進行、1944年9月から主にロンドンに向けて発射が行なわれています
●この「V-2」は、連合軍からの攻撃を避けるために、移動式の発射装置が開発され、トレーラー、発射台、管制車両、燃料車などにより部隊を編成、昼間は連合軍機の目を逃れて森林地帯に退避し、夜間に射撃するという方式が採られました
●マッハ4で飛行する「V-2」は、多くが対空砲火や迎撃機で撃墜された「V-1」とは異なり撃墜は不可能で、その心理的効果はイギリス国民を恐怖に曝しています
●ただ、当時の誘導装置は極めて精度が低く、ピンポイントで重要地域を狙うことはできなかったため、戦局に大きな影響を与える程の兵器となはりませんでした
●しかし、「V-2」は大陸間弾道ミサイルの原型となり、戦後の米ソのミサイル開発だけではなく、宇宙開発にも大きな影響を与えています【 「ドイツ A-4/V-2 弾道ミサイル 量産型」のキット内容について 】
●このドイツ軍の弾道ミサイル「V-2(A-4)ロケット」の「量産型」を再現したプラスチックモデル組立キットです
●1/72スケールモデルでのオーソドックスなパーツ分割、簡易金型を使用しつつも通常のインジェクションキットと遜色ない成型パーツで「 A-4/V-2 弾道ミサイル プロトタイプ」を再現、単純形となるミサイルの全体形を捉えながら、適宜パネルラインやリベット表現のモールドをパーツ上に施し、リアルさを再現した内容となっています
・ また、付属の発射台は、繊細なパーツ構成で細部までも再現した内容となっています
●「V-2(A-4)ロケット」ミサイル本体の他に、発射台(移動式)がセットされています
●「V-2(A-4)ロケット」は左右分割式で、下部の安定翼は個別にパーツ化
・ ミサイル本体の点検ハッチ、安定翼のパネルライン、リベットなどは、やや深めのモールドで彫刻されています
・ 噴射ノズル部分は左右分割式で、上下部分は別パーツです
●発射台は、上段と下段の2ブロックで構成、移動用のトレーラー部分は別ブロック化されています
・ 上段はリング部分とミサイル固定部とで構成
・ 上段を支える4箇所の支柱は、その構造を細かく再現、接地パッドは別パーツです
・ トレーラーは、フレーム部分にサスペンションパーツとタイヤパーツなどを取り付けます
・ 発射台は、トレーラーを付けた移動状態と、トレーラーを外した射撃状態とを選択できます
●説明書には「V-2(A-4)ロケット」の「量産型」の5種類の塗装例が記載されており、各塗装例に基づく機体表記などを再現したデカールが付属しています