日本海軍 戦艦 比叡 1942年 (プラモデル)フジミ 1/700 特シリーズ No.037 スケール:1/700
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「日本海軍 戦艦 比叡 1942年 プラモデル (フジミ 1/700 特シリーズ No.037 )」です●帝国海軍の高速戦艦「比叡」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット、太平洋戦争開戦時から1942年11月の「第3次ソロモン海戦」までの状態が表現されています ●フジミ製の「日本海軍 高速戦艦 金剛 1944年10月」のバリエーションキットではなく、「比叡」専用として作られたもので、細部が異なる「金剛型」の違いを詳細に再現した内容となっています ・ 船体下部を塞ぐパーツを含めて、同社「金剛」と共通したパーツは有りません 【 日本海軍 高速戦艦 比叡 について 】●日露戦争以降、帝国海軍が新造する艦艇は日本国内で建造されました ●しかし、1906年に竣工したイギリスの戦艦「ドレッドノート」は、主砲、副砲、中間砲という多種の砲を搭載する従来の戦艦形式とは異なり、主砲を主体とした武装配置により高い攻撃力を持ち、この艦の登場により、それまでの艦は一挙に時代遅れとなります ・ これまでの戦艦は「前ド級艦」、「ドレッドノート」と同等な性能の艦を「ド級艦」、そして主砲を中心線配置として更に砲撃力が向上した艦を「超ド級艦」と呼びます ●帝国海軍はこの事態を踏まえ、1911年に新型の巡洋戦艦「金剛」の建造を当時同盟関係にあったイギリスへと発注、これにより「超ド級艦」の建造技術の獲得を図り、イギリスから取り寄せた「金剛」の設計図を元にして日本国内でも同型艦3隻を建造します ●「比叡」は、「金剛型」巡洋戦艦の2番艦として1911年に起工、1914年に竣工しました ●これにより建造された「金剛型巡洋戦艦」の4隻は、当時世界最強の艦隊と言われ、第1次世界大戦においては、イギリス海軍から借用の要請があったほどです ・ 「巡洋戦艦」は、一般的には戦艦よりも格下と見られますが、当時は「戦艦の火力」と「巡洋艦の速力」を兼ね備えた、戦艦よりも上位の艦とされています ●当時の艦の建造技術と、艦の能力の発達は著しいものがあり、1920年から1930年にかけて「金剛型巡洋戦艦」は第1次近代化改装が行なわれました ●しかし、1930年に締結されたロンドン軍縮会議により、主力艦及び補助艦艇の保有制限が行なわれるようになり、改装工事の着手が1番遅かった「比叡」は練習戦艦として格下げされ、改装工事は中断、変わって一部の武装の撤去、機関の変更などが実施されました ●練習戦艦となった「比叡」は、天皇の御召艦として使用されたために、当時の国民に最も親しまれた艦の一つとなりました ●1936年、ロンドン軍縮会議の条約が明けると、「比叡」は練習戦艦から他の「金剛型」戦艦と同様の性能を持つ戦艦として復活させることとなりました ●この時期、「金剛型」戦艦は第2次近代化改装を行なっている時であり、「比叡」は第1次と第2次の改装分をまとめる大工事が実施されています ●この工事は、「金剛型」戦艦の最後に着手されたために、第2次改装の教訓や、後の「大和型」戦艦へのテストも兼ねられており、特に艦橋の形状は他の「金剛型」とは異なる「大和型」に似たものとなりました ●この改装によって、「比叡」は30ノットという速度を発揮する高速戦艦として生まれ変わります ●この高速性能は、空母機動部隊の護衛や、作戦運用上から駆逐艦との連携が行い易く、太平洋戦争では実質的な戦艦戦力の主力として奮戦したのでした ●太平洋戦争の開戦すると、「比叡」は僚艦「霧島」と共に第3戦隊第1小隊を編成、第1航空艦隊の直衛として真珠湾攻撃に参加しました ●その後、第1航空艦隊は、南方への攻略として、ラバウル、ジャワ、ポートダーウィンに転戦、そしてインド洋に進出してイギリス艦隊に大打撃を与えます ●1942年6月に行なわれた「ミッドウェー海戦」では、両艦「金剛」と共に、ミッドウェー島への「攻略部隊」として参戦、しかし、先鋒としての空母機動部隊が壊滅したことで作戦は中止され、「比叡」は帰路の途に着きます ●1944年8月、アメリカ軍は日本軍が飛行場を建設していたガダルカナル島へ上陸、戦力差は圧倒的で、飛行場はアメリカ軍に占領されてしまいます ●徐々に同島の戦力を増強するアメリカ軍に対し、奪還を目指す日本軍は戦力の逐次投入を行い、消耗して行きました ●最も障害となったのが飛行場(アメリカ軍の占領後「ヘンダーソン飛行場」と命名される)で、この飛行場に展開する航空機によって、同島に近づく船舶は攻撃を受け、制海権、制空権共にアメリカ軍に有利となっていました ●そこで、考えられたのが戦艦による艦砲射撃で、航空機の飛べない夜間にガダルカナル島へ接近して、飛行場を砲撃、夜明け前に離脱するという方法でした ・ 飛行場砲撃用の主砲用の榴弾「3式弾」も開発されました ●1942年10月、「金剛」と「榛名」の「金剛型」高速戦艦2隻は、飛行場砲撃を行なう挺身攻撃隊としてガダルカナル島沖へと突入、同島のヘンダーソン飛行場に砲撃を加え、同飛行場の機能を一時的にマヒさせ、アメリカ軍側に大きな損害を与えました ●次いで、同年11月、同じく挺身攻撃艦隊として「比叡」、「霧島」の2隻の高速戦艦が突入、これには護衛として1隻の軽巡洋艦と15隻の駆逐艦とが続きます ●しかし、アメリカ軍側は10月の砲撃のような損害を許す訳に行かず、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦8隻の戦力で待ち構えていました ●対水上レーダーを搭載していたアメリカ艦隊は、いち早く日本艦隊の接近を感知します ●しかし、有利な艦隊隊形を展開しようとしていた時に、日本艦隊はアメリカ艦隊を発見、「比叡」は探照灯で敵艦を照射しながら砲撃を開始、近距離での夜間戦闘が行なわれました ・ 当時「比叡」と「霧島」は、対地攻撃用の「3式弾」を主砲に装填していましたが、装填を変更する時間が無いと判断して、そのまま砲撃が実施されています ●夜間での突然の戦闘により、双方共に混乱が発生し、戦闘距離が近いために砲雷撃の命中率が高く、乱打戦となります ●アメリカ艦隊は戦闘不能になり戦線を離脱する艦が続出、特に旗艦であった「サンフランシスコ」は「比叡」からの砲弾が艦橋を直撃して、艦隊司令部や艦長は全滅、その他の艦も尽く損害を被り、無傷なのは駆逐艦1隻のみでした ●対して、日本艦隊は探照灯を照射しながら突っ込む「比叡」に、アメリカ艦隊からの射撃が集中、上部構造物に甚大な損害を受けた同艦は主砲の射撃もままならない状態となり、戦場から離脱します ●しかし、「比叡」は舵に重大な損傷を受けて、夜が明けてもガダルカナル北方のサボ島周囲を旋回、これに対し、アメリカ軍は朝から数波に渡る航空機攻撃を行ないます ●日本軍側は、空母機や陸上航空隊などで上空援護を行いますが、アメリカ航空機の攻撃は防ぎきれず、爆弾や魚雷の被弾を次々と受けてしまいます ●修理の目途が立たない状況で、このまま攻撃を受けるのは、人的損害を増すだけと判断が下され、総員が退艦、自沈処分が行なわれ、その生涯を閉じました 【 日本海軍 戦艦 比叡 1942年 (フジミ 1/700 特シリーズ No.037) プラモデルの内容 】●この帝国海軍の高速戦艦「比叡」を再現したプラスチックモデル組立てキットです ●シャープなモールドにより戦艦「比叡」を再現、フジミ社製「特シリーズ」の特徴である細部に渡ったディテール表現力により、実艦の細かで複雑な作りが表された内容となっています ●また、日本の戦艦の特徴である積み上げ式の艦橋や、探照灯などの台座のトラス構造が織り成す複雑な形状、戦艦「大和」に準じた新型の艦橋など、「金剛型」戦艦の中で最も特徴的なフォルムを持つ「比叡」の持つ魅力を味わうことができるでしょう ●艦体喫水線までが再現されたウォーターラインモデルです ●「比叡」の船体部は上下分割式で、これに上甲板、上部構造物、各艤装類を取り付ける構成となっています ●船体部には、副砲塔甲板が一体成型され、細部では舷側の舷窓、舷外電路、フェアリーダー、アンカーレセスなどが再現、バルジ部分も表現されています ・ 舷窓上部には雨樋がモールド再現 ・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています ●上甲板は、一体成型となっており、航空機甲板が別パーツとなっています ・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本躯体の他、アンカー導板、ボラード、昇降口、リール、航空機軌条、ボート架台、通風筒などの細かなディテールが再現 ・ 艦載機用甲板には、リノリウム押さえ、航空機用軌条、ターンテーブルのモールドが彫刻されています ●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「探照灯台部」「煙突部」「後部艦橋部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます 「比叡」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています ●艦橋 ・ 艦橋は9層で構成され、トップには測距所、98式方位盤が別パーツとなっています ・ 艦橋上部のヤード部は別パーツです ・ 艦橋構造物の各艦橋の窓の枠がモールドされています ・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱(4本)が別パーツ化されています ・ 艦橋部分を構成する、94式高射装置(×2)、93式4.5m測距儀(×2)、1.5m測距儀(×2)、25mm連装機銃(×4)、25mm3連装機銃(×2)、60cm探照灯(×4)などがパーツ化されています ・ 探照灯は、クリアーパーツとなっています ● 煙突 ・ 本体部分は左右分割式で、上部の雨水カバー金網、整風板が別パーツとなっています ・ 雨水カバー金網は開口処理されています ・ 各副管は別パーツとなっています ・ 煙突部の探照灯、機銃の各台座は、ブロックごとにパーツ化されています ・ 探照灯、機銃台座の支柱部分は、シャープなモールドによりトラス構造が再現されています ・ 110cm探照灯(×4)、25mm連装機銃(×2)、25mm単装機銃(×2)が付属しています ・ 探照灯は、クリアーパーツです ●探照灯台 ・ 艦体中央部の探照灯台部は、台座部分が4パーツで構成、台座の支柱のトラス構造が再現されています ・ 110cm探照灯(×2)、25mm連装機銃(×2)が付属し、探照灯はクリアーパーツとなっています ●後部艦橋 ・ 後部艦橋は前後分割式で、艦橋の張り出し部、上部の台座部分は別パーツです ・ 艦橋構造物の舷窓などがモールドされています ・ 方位盤照準装置(×2)、98式方位盤(×1)が付属 ●後檣 ・ 後檣は、下部が3脚檣型で上部は単檣型、中央部のヤードは別パーツ化されています ・ ヤード下部の支柱がパーツ化 ・ 下部に存在する機銃台座がパーツ化 ・ 前方に取り付けられるクレーンは、滑車やフックなども表現されています ・ 25mm連装機銃(×2)が付属しています ●カタパルト「呉式2号5型射出機」 ×1 ・ カタパルトは一体成型のパーツで、側面のトラス構造が再現されています ●主砲塔部「45口径毘式 36cm連装砲」 ×4 ・ 主砲塔は上下2分割式で、砲身キャンバス受けなどが再現されています ・ 測距儀は別パーツとなっています ・ 砲身部分は1本づつの分割式で、スライド式金型により砲口が開口処理済み、防水布が再現されています ●副砲「50口径41式 15cm単装砲」 ×14 ・ 砲塔部分と砲身部とは一体成型となっており、砲身基部の防水布が再現されています ●高角砲「40口径89式 12.7cm連装高角砲(A1型)」 ×4 ・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との分割式で、砲身部分は連装式に一体成型されています ●対空機銃 ・ 25mm 連装機銃 ×10(艦橋、煙突、探照灯、後檣部に配置) ・ 25mm 3連装機銃 ×2(艦橋部に配置) ・ 25mm 単装機銃 ×2 ●内火艇、カッター及びボートダビッド ・ 17m水雷艇 ×2 ・ 12m内火艇 ×1 ・ 12m内火ランチ ×2 ・ 9mカッター ×5 ・ 8m通船 ×1 ・ 6m通船 ×1 ●その他の艤装を再現したパーツとして ・ 艦首、艦尾旗竿 ・ 錨、副錨 ・ 菊花紋章 ・ 高角砲台座 ・ パラベーン ・ 水上機予備フロート ・ 水上機運搬台 ・ クレーン ・ 塵芥投棄管 ・ 舷々門 などがセットされています ●艦載機として ・ 95式水上偵察機 ×2 が付属、クリアーパーツで成型されています ●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークを再現したデカールが付属しています ●2010年 完全新金型
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