日本海軍 戦艦 山城 (フルハルモデル) (プラモデル)フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.旧030 スケール:1/700
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「日本海軍 戦艦 山城 (フルハルモデル) プラモデル (フジミ 1/700 帝国海軍シリーズ No.旧030 )」です●太平洋戦争時における日本海軍の戦艦「山城」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット ●近代化改装が施された後の昭和13(1938)年時の姿を再現しています ●戦艦「金剛型」の1.5倍の攻撃力を持ち、水上戦力の主力艦として運用が行われた戦艦「山城」を再現、日本の戦艦として最大の高さとなる積み上げ式の艦橋を備えた、威厳あるシルエットを再現した内容となっています ●フジミ社製「日本海軍 戦艦 山城 昭和13年」をベースとしたフルハルバージョンで、フルハル用の艦底部とディスプレイスタンドなどが付属しています 【 「日本海軍 戦艦 山城 (フルハルモデル)」のキット内容について 】●日本海軍の戦艦「山城」を再現したプラスチックモデル組立キットです ●フジミ社製「特シリーズ」のフォーマットにのっとり、戦艦「山城」をシャープかつディテール感豊かに再現、同艦の特徴である艦橋や後部艦橋などの細かな構造を詳細なパーツ分割で再現した内容となっています ●「山城」は竣工後、数々の改装を繰り返しており、本キットでは近代化改装後、艦尾にカタパルトを装備した「昭和13年」(1938年)の姿を再現しています ●喫水線以下の部分も再現したフルハルモデルです ●同社特シリーズの「日本海軍 戦艦 山城 昭和13年」をベースに艦底部を再現したパーツをセット、スクリュー部までも再現したフルハルモデルとなっています ・ 「フルハル仕様」となる以外は、「日本海軍 戦艦 山城 昭和13年」と同内容のキットですが、洋上モデル用の艦底パーツは付属していません ●「山城」は、「船体」「上甲板」「艦橋などの上部構造物」「主砲などの艤装類」のブロックごとに分割した構成となっています ●各ブロックをそれぞれ個別に組み立てて、構造物と艤装類を船体ブロックへと取り付けて完成させます ●船体は船体上部と船底部の上下に分割したパーツで再現 ・ 船体部には、副砲のデッキ部分を一体成型化して再現、舷側の舷窓、アンカーレセス、フェアリーダーなどを微細なモールドで再現しています ・ 船体には舷外電路をモールドで再現していますが、「昭和13年」時を再現するためには、この舷外電路のモールドを削り取る必要があります ・ 艦底部の4基のスクリューを別パーツで再現、推進軸も含めてそれぞれ3パーツで構成しています ・ 舵を再現したパーツを2個セットしています ●上甲板は一体成型のパーツで再現しています ・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現、リノリウム張り表現などの基本構造の他、ボラード、昇降口、通風筒、リール、航空機軌条などの細かなディテールをモールドで再現 ・ 「昭和13年」の状態を再現するために、艦尾の航空機作業甲板部はリノリウム張りの状態を再現しています 「山城」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成しています ●艦橋 ・ 艦橋は12層で構成、トップの「94式方位盤」「94式10m測距儀」は別パーツとなっています ・ 各艦橋の「窓」は、「窓ガラス」部分を一段凹んだ状態により立体的に再現しています ・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱及び櫓状の構造物を別パーツ化しています ・ 艦橋に装備する、「4.5m測距儀」(×2)、「高角測距儀」(×2)、「94式高射装置」(×2)、「探照灯」(×4)、「25mm連装機銃」(×5)、「12.7cm連装高角砲」(×2)などを別パーツ化しています ● 煙突 ・ 本体部分は左右に分割したパーツで再現、上部の「雨水カバー金網」と「整流板」は別パーツ化して再現しています ・ 「雨水カバー金網」は開口しています ・ 煙突周囲の各「管」はブロックごと別パーツ化しています ・ 煙突下部の構造物には機銃座を一体成型化、側面には「舷窓」「扉」をモールドで再現しています ・ 煙突部の「探照灯台座」は、前後のブロックごとにパーツ化 ・ 探照灯台座の「支柱部分」、「機銃座の支柱」のトラス構造を再現、一部のトラスは鉄骨の間を抜いた状態で再現しています ・ 煙突部に装備する、「110cm探照灯(クリアーパーツ)」(×6)、「25mm連装機銃」(×2)、「機銃射撃装置」(×2)を別パーツ化 ●後部艦橋 ・ 後部艦橋の主要部は9パーツで構成、 「主砲方位盤」「観測鏡」「測距儀」などを別パーツ化して再現しています ・ 後部艦橋に装備する、「12.7cm連装高角砲」(×2)を別パーツ化 ●後檣 ・ 後檣は1本の単檣で、上部のクロスツリー、ガフ、クレーンは別パーツ化しています ●カタパルト 「呉式 2号5型射出機」 ×1 ・ カタパルトは一体成型のパーツ再現、スライド金型を使用してカタパルト上部のディテール、側面のトラス構造を立体感あるモールドで再現しています ●主砲塔部 「45口径 41式 36cm連装砲」 ×6 ・ 砲塔は上下に分割したパーツで再現 ・ 砲身部分は1本ずつにパーツ化、砲口は開口しており、砲身基部の「外とう砲取り付け金具」「防水布」をモールドで再現しています ・ 「測距儀」は別パーツ化しています ●副砲 「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×14 ・ 砲塔部分と砲身部とを一体成型のパーツで再現、砲身基部には「防水布」をモールドで再現しています ●高角砲 「40口径 89式 12.7cm連装高角砲 (A1型)」 ×4 ・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との2パーツで構成、砲身部分は連装状に一体成型化しています ●対空機銃 「25mm 連装機銃」 ×8(艦橋、煙突部を含む) ・ 機銃は一体成型のパーツで再現 ●内火艇、カッター及びボートダビッド ・ 17m内火艇 ×1 ・ 12m内火艇 ×2 ・ 12m内火ランチ ×2 ・ 9mカッター ×12 ・ 小型カッター3種 ×各1 ●その他の艤装を再現したパーツとして ・ 艦首、艦尾旗竿 ・ 錨、副錨 ・ 菊花紋章 ・ 航空機用クレーン ・ パラベーン ・ キャプスタン ・ フェアリーダー ・ ラッタル ・ 塵捨て管 ・ 舷梯 ・ 航空機用台車 などをセットしています ●艦載機として ・ 95式水上偵察機(×3)が付属、クリア成型となっています ・ 艦載機は、胴体、副翼、主翼桁、メインフロート、副フロートに分割したパーツ構成となっています ●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークを再現したデカールが付属しています ●展示用のディスプレイスタンドが付属しています 【 「日本海軍 戦艦 山城 (フルハルモデル)」のパッケージ内容 】・ 戦艦 山城 (フルハルモデル) ×1 ・ 95式水上偵察機 (クリアパーツ) ×3 ・ ディスプレイスタンド ×1 ・ デカールシート ×1 ・ 組立て説明書 ×1 ●2015年 艦底部など一部新金型 (フジミ社製「日本海軍 戦艦 山城 昭和13年」をベースとしたフルハルバージョン) 【 「戦艦 山城」について 】●1906年に竣工したイギリス海軍の「戦艦 ドレッドノート」は、それまでの戦艦が主砲の他に副砲、中間砲というハリネズミ式の武装配置をしているのに対し、単一口径の主砲をメインとした配置により強力な攻撃力を持つ革新的な艦となりました ●この艦の登場により、従来型の戦艦は一気に時代遅れとなり、各国は、この「ドレッドノート」に準じた「戦艦 ド級艦」を建造、更に主砲の全てを中心軸線上に配置した「超ド級艦」を続々と就役させました ●日本海軍は、日露戦争後においては艦艇の建造を日本で行なっていましたが、建造技術習得のために、この「超ド級艦」の巡洋戦艦として「金剛」の建造をイギリスに発注しました ●この「金剛」の同型艦を自国において建造することで、「超ド級艦」のノウハウを得た日本海軍は、続いて戦艦である「扶桑型」の建造を開始し、1915年に「扶桑」、1917年に「山城」を竣工します ●この戦艦「扶桑型」は、当時の戦艦としては最大かつ最強を誇り、30,000tの排水量に「36cm連装砲」を6門搭載、「金剛型」の1.5倍の攻撃力を持っていました ●ところが、中央の主砲塔がボイラーを挟むように配置されていたために、艦の構造上、弾薬庫を分散配置させなければならず、また防弾機能の効率化という点からも防御力に難点が生じ、この問題は後年においても同艦の足枷となっています ●また、戦艦「扶桑型」の設計時には、時期的に世界の戦艦の設計に影響を与えた「ユトランド沖海戦」(1916年)の戦訓を取り入れることができず、長射程での砲撃戦を想定した水平防御(甲板部分)の能力が低く、この点においても防御力不足でした ●「扶桑型」建造後、当時の世界各国における戦艦の建造技術の進歩は目覚しいものがあり、建造当初は最強を誇った「扶桑型」も、その能力が急速に時代遅れとなって行きます ●このため「扶桑型」は竣工時から度々改装が行なわれることになり、1930年に近代化の第1次の大改装を実施、機関出力の増強と防御力の向上、そして主砲の仰角の引き上げにより最大射程を伸ばしています ●また、艦橋構造物を大幅に増設したことで、艦橋の高さが50mにもなる艦影を持つことになり、これが「扶桑型」の最大の特徴となっています ●続いて1934年には第2次の改装が行なわれ、艦尾の延長とバルジの増設、機関出力の更なる増強が行なわれましたが、最大速度は戦艦「扶桑」が24.7ノット、戦艦「山城」が24.5ノットに止まり、速力、防御力の点から戦艦としての能力に見劣りするのも事実でした ・ その後も、艦載機の搭載方式の変更などの改装が行なわれています ●同型艦として建造された「扶桑」「山城」ですが、度重なる改装と航空機の搭載方法の実験などにより上部構造物を中心として相違点が生まれ、艦影も異なるようになりました ●顕著な違いとして、「山城」では第3番主砲塔は後方に向いているのに対し、「扶桑」は前方に向いています ●また、この主砲塔の配置の違いにより艦橋構造物が「山城」では垂直状に積み上がっていますが、「扶桑」では途中で後方に張り出している姿となっています ・ その他に後部艦橋や探照灯台座の形状なども異なっており、甲板上の構造物は「扶桑」と「山城」では別物と言っても良い程の相違があります ●太平洋戦争の開戦時、戦艦「山城」は「扶桑」と共に主力艦隊である「第1艦隊 第2戦隊」に所属、真珠湾攻撃部隊の支援や、東京初空襲時の迎撃任務に出撃した以外は内地に留まっています ●「ミッドウェー海戦」には警戒艦隊としてアリューシャン方面に出撃、接敵する機会は無く、作戦失敗の報を受けて帰投します ●「ミッドウェー海戦」において主力空母4隻を失った連合艦隊は、既存の艦艇を航空母艦や航空機搭載艦へと改装することが行われ、戦艦「扶桑型」を航空母艦もしくは航空戦艦とする計画が持ち上がりました ●しかし、戦艦「伊勢型」の「日向」が事故により第5番主砲塔を失ったことから、この計画は「伊勢型」へと移行し、「扶桑型」の改装は実施されませんでした ●その後、戦艦「扶桑」はトラック島方面に進出しましたが、戦艦「山城」は内地に温存、実質的には練習艦として用いられ、更に1944年2月、正式に練習艦として登録が行われています ●ところが、「マリアナ沖海戦」によって航空戦力を失った日本海軍は、続く「レイテ沖海戦」において水上艦艇での決戦を挑むこととなり、「山城」も「西村艦隊」の旗艦として参加しました ●「レイテ沖海戦」では、「山城」以下の「西村艦隊」は圧倒的な兵力で待ち構えていたアメリカ艦隊の迎撃に会って壊滅、「山城」は戦艦らしく砲撃を続けながら壮絶な最期を遂げたのです
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