日本軽巡洋艦 那珂 1933 (プラモデル)アオシマ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.040157 スケール:1/700
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「日本軽巡洋艦 那珂 1933 プラモデル (アオシマ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.040157 )」です●帝国海軍の「軽巡洋艦 那珂」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット ●5500tクラスの軽巡洋艦として4本の煙突を持つ「川内型軽巡洋艦」の3番艦「軽巡洋艦 那珂」を再現、艦橋前に滑走台を設けた1933年の姿が表現されています 【 「軽巡洋艦 川内型」について 】●第1次世界大戦後、ほとんど無傷の状態で戦勝国となった日本は、更なる軍拡の途を進むことになります ●これは、ヨーロッパ列強国が大戦での損害と戦費の関係から従来の兵力を維持することが難しく、日本は特に海軍力を増強し、世界的な発言力を高めることを意図していました(当時は軍事力がその国の国力を示すものとなっていました) ●1917年に「8・4艦隊」、1918年に「8・6艦隊」、そして1920年には「8・8艦隊」という増艦計画が立てられ、帝国海軍は艦艇数の大幅な増強を図ることとなります ●その「8・4艦隊」計画に基づき「天龍型軽巡洋艦」が建造、しかしこの艦は「3500tクラス」の小型艦であり、帝国海軍が軽巡洋艦に求めた水雷戦隊旗艦という役割には小さ過ぎるという評価が下されてしまいました ・水雷戦隊旗艦とは、駆逐艦で編成される水雷戦隊を率いる役目で、駆逐艦の艦速と同じ速度を持ち、砲撃力によって敵の駆逐艦を撃破する能力が求められました ・欧米では、このような駆逐艦隊(水雷戦隊は帝国海軍のみの呼称)の旗艦としては、主に大型の駆逐艦である嚮導駆逐艦が充てられています ●この「天竜型」に続き建造されたのが「5500tクラス」の軽巡洋艦で、「球磨型」が5隻、「長良型」が6隻作られ、引き続いて「8.8艦隊」の計画に従って「川内型」8隻の建造が予定されます ●しかし、「8・8艦隊」の構想自体が当時の日本の国力の限界を超えており、ワシントン軍縮会議によって戦艦の保有制限、そしてロンドン軍縮会議の結果、巡洋艦などの補助艦艇についても保有制限が定められ、その結果「川内型軽巡洋艦」は3隻のみの建造が認められています ●「川内型軽巡洋艦」は、当初予定されていた「8・8艦隊」の編成で重油の消費量が増えることを予測、重油と石炭との混合方式を採用、「5500tクラス」の他の艦が3本の煙突に対して、4本の煙突を持つ艦形となっているのが特徴です ●「川内型軽巡洋艦」の1番艦「川内」と2番艦「神通」は、艦首形状が緩やかなカーブを描く「スプーン・バウ型」でしたが、3番艦「那珂」は括れた形状となる「ダブルカーブド・バウ型」が採用されました ●しかし、「神通」は事故により艦首部分を損傷、これにより同艦も「ダブルカーブド・バウ型」となり、「スプーン・バウ型」の艦首を維持したのは「川内」のみとなります ●また、「川内型軽巡洋艦」では船体の前後に連装式の魚雷発射管を装備していましたが、1940年~1941年の改装によって「神通」「那珂」が「酸素魚雷」を発射できる「4連装式魚雷発射管」へと変更、装備位置も船体後部のみとなっています ●航空兵装は、竣工時では艦橋前に滑走台が設置されており、この滑走台から陸上機式の航空機が発艦しましたが、その小ささから着艦はできず、1933年~1934年の改装によって船体中央部にカタパルトを装備、滑走台は撤去されました ●「川内型軽巡洋艦」は、太平洋戦争時には艦齢が20年近くとなっており、近代化改装を受けた後でもアメリカの軽巡洋艦と比べて性能的には見劣りしましたが、水雷戦隊の旗艦として常に最前線で活躍、帝国海軍として運用されています 【 「軽巡洋艦 那珂」について 】●「軽巡洋艦 那珂」は「川内型軽巡洋艦」の2番艦として1922年に横浜船廠で建造が開始されました ●ところが、1923年の「関東大震災」により被災、大きな損傷となったために一旦解体され、「川内型軽巡洋艦」の3番艦として再び建造が開始されます ●このため、「川内型」の「川内」「神通」が「スプーン・バウ型」の艦首形状となっているのに対して、「那珂」はより波浪性の高い「ダブルカーブド・バウ型」の艦首へと変更されています ●1933年4月、「那珂」は近代化改装を実施、艦橋前の滑走台を撤去し、船体中央部にカタパルトを装備、その他対空兵装も変更されています ●1941年春、魚雷兵装を「酸素魚雷」を発射できる「4連装式魚雷発射管」へと変更、その装備位置は船体後部のみとなり、前方の魚雷発射管跡は塞がれ、兵員室となりました ●太平洋戦争が開戦すると、「軽巡洋艦 那珂」は「第2艦隊 第4水雷戦隊」の旗艦としてフィリピン方面に進出、各攻略作戦に参加します ●1942年1月、オランダ領インドネシアへの攻略作戦が開始され、「那珂」は各攻略作戦の支援に従事します ●1942年2月、連合軍は日本軍の攻略作戦を阻止するために4ヶ国連合の艦隊となる「ABDA」艦隊を出撃、「スラバヤ沖海戦」が発生します ●同海戦では、僚艦「神通」の艦載機が敵艦隊の動きを逐次報告、後に「那珂」の艦載機にその任を引き継ぎ、これにより戦いの主導権は日本軍側が握ることとなりました ●「ABDA」艦隊は海戦の結果、壊滅的な打撃を受け、インドネシア方面の制海権は日本が掌握します ●1942年4月、クリスマス島近海において「軽巡洋艦 那珂」はアメリカ潜水艦の雷撃を受けて被弾、航行不能となり、他艦の曳航によりシンガポールへと回航されます ●応急修理を受けた後に内地へと帰投、舞鶴工廠で本格的な修理と対空兵装の増強が行われ、戦列の復帰は1943年4月となっています ●「軽巡洋艦 那珂」は、南方に進出、自ら兵員、物資を搭載して、高速輸送船として各地への輸送任務に従事します ●1944年2月、トラック島近海で「軽巡洋艦 阿賀野」がアメリカ潜水艦の攻撃により航行不能に陥り、「那珂」は救助のために現場に急行します ●しかし、その途上、アメリカ艦載機の攻撃を受け被弾、その生涯を閉じてしまいます 【 「日本軽巡洋艦 那珂 1933」のキット内容について 】●この帝国海軍の軽巡洋艦「那珂」を再現したプラスチックモデル組立てキットです ●アオシマ社製ウォーターラインシリーズのフォーマットに沿って「那珂」を再現、細部表現を重視しながらも、同シリーズらしく組み易さも考慮されており、手軽に精密感在るシルエットを楽しむことができる内容となっています ●艦橋前部に滑走台を装備した「軽巡洋艦 那珂」の1933年の姿(近代化改装前)の状態が再現されています ●艦体喫水線までが再現されたウォーターラインモデルです ●「那珂」は、上甲板及び船体部の上下分割のパーツで構成されています ・ 船体部は一体成型のパーツで構成され、魚雷発射口、舷側の舷窓、ホースパイプ、フェアリーダー、ボラードなどのモールドが彫刻されています ・ 船体部の魚雷発射管口は開口処理済み ・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています ●上甲板は、前部上甲板と、船体部に一体成型された中央、後部甲板、そして後部シェルター甲板の分割式となっています ・ 甲板上には、リノリウム押さえ、滑り止め、カタパルト及び魚雷発射管の台座などの基本躯体の他、リール、昇降口などの細かなディテールが再現されています ・ 後部の魚雷発射管の内部甲板は別パーツです ●上甲板上の構築物となる「艦橋部」、「煙突部」、「主砲」、「後檣」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます 「那珂」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています ●艦橋 ・ 艦橋は各パネルを貼り合せる箱組み方式で、羅針艦橋は上下分割式です ・ 滑走台は艦橋部を突き抜ける形で一体成型されています ・ 羅針艦橋下部の格納庫の前面パネルは別パーツです ・ 艦橋部分を構成する、測距儀がパーツ化されています ●メインマスト ・ メインマストは三脚檣型、トップは単檣型で、それぞれ1パーツで構成 ・ ヤード部は別パーツです ・ マスト部分の艦橋は各層を積み重ねる方式です ・ マスト部に装備された「110cm探照灯」(×2)がパーツ化 ● 煙突 ・ 煙突の本体部分は左右分割式で、 煙突トップは別パーツです ・ 煙突前後の副管は別パーツにて再現 ●後檣 ・ 後檣は単檣型で、上下分割式、中央のヤードは別パーツです ・ マストに付けられている、「110cm探照灯」がパーツ化 ●主砲「50口径 3年式 14cm単装砲」 ×7 ・ 主砲は砲身部(砲架を含む)と、シールド部との2分割式です ・ 砲身基部には防水布がモールドされています ●魚雷発射管「8式 61cm連装発射管」 ×4 ・ 魚雷発射管は一体成型されたパーツとなっています ●対空機銃「92式 7.7mm単装機銃」 ×2 ・ 機銃は一体成型となっています ●内火艇、カッター及びボートダビッド ・ 12m内火艇 ×2 ・ 11m内火艇 ×1 ・ 9mカッター ×3 ●その他の艤装を再現したパーツとして ・ 錨 ・ 菊花紋章 ・ 方位測定器 などがセットされています ●キットには、静岡模型教材協同組合「大型艦兵装セット」のランナーが2枚付属しており、内火艇などは同ランナーのパーツを使用します ●2008年 一部新金型(武装、内火艇パーツなどを除く)
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