「日本海軍駆逐艦 初霜 (男たちの大和バージョン) プラモデル (ピットロード 男たちの大和 No.W029Y )」です●日本海軍の駆逐艦「初春型」の4番艦「初霜」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット ●戦艦「大和」の沖縄特攻作戦(「天一号作戦」)に護衛として随伴した駆逐艦「初霜」を再現、小柄の船体に対空兵装を多数装備した姿を表現した内容となっています ●ピットロード社製「日本海軍 一等駆逐艦 初春型 初霜」をベースとして、専用の天一号作戦時の菊水マークを再現したデカールと、映画のステッカーを追加した「男たちの大和」バージョンとなります 【 「日本海軍駆逐艦 初霜」のキット内容について 】●帝国海軍の初春型駆逐艦の4番艦「初霜」を再現したプラスチックモデル組立てキットです ●ピットロード社が長年培ってきた艦船モデル技術により駆逐艦「初霜」をメリハリのあるモールドによってシャープに再現、小型の駆逐艦ながらディテール感豊かに表現された内容となっています ●パッケージ表記では「初霜」となっていますが、他艦への対応パーツやデカールもセットされており、「初霜」以外の初春型駆逐艦(「有明」「夕暮」)を製作することも可能です ●「初霜」は、太平洋戦争期間中に戦訓により対空兵装が強化が行われており、キットは後方に単装主砲を装備した「開戦時」の状態と、単装主砲を撤去して機銃を増設した「対空兵装強化時」とを選択して作製することができます ●艦体喫水線までが再現された洋上モデルです ●「初霜」は、上甲板と船体とが一体成型されたパーツ構成となっています ・ 艦首部分の鎖錨甲板部は別パーツです ・ 中央構造物と後部構造物は、船体に一体成型されています ●船体部は、喫水線部分までが再現されいます ・ 船体側面の舷窓がモールドされています ・ 船底部は、 洋上モデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属しています ●甲板上には、中央構造物、後部構造物、主砲塔台座、魚雷発射管台座などの基本躯体の他に、リノリウム押さえ、滑り止め、魚雷運搬用レール、ボラード、アンカーチェーンなどのディテールがモールドされています ●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「魚雷発射管」「煙突部」「中央予備魚雷格納庫」「探照灯台」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます 「初霜」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています ●艦橋 ・ 艦橋は、上部と下部のブロックで構成され、下部は箱組み状に各パネルを貼り合わせて作製、上部は2層で構成されています ・ トップの方位測定器、測距儀などは別パーツとなっています ・ 艦橋窓は、窓の部分は一段凹んだ状態で再現 ・ 艦橋下部の舷窓、扉などのディテールがモールドで再現されています ●メインマスト、後檣 ・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、それぞれ前後に分割されたパーツで再現 ・ 兵装強化後用の「22号電探」「13号電探」のパーツが別パーツ化 ● 第1煙突・第2煙突 ・ 本体部分は左右に分割されたパーツで構成され、トップは別パーツです ・ 蒸気捨管、缶通風筒、排気筒は別パーツ化されています ●中央予備魚雷格納庫 ・ 予備魚雷格納庫は1パーツで構成されています ●探照灯台 ・ 探照灯台は1パーツで構成、「90cm探照灯」(×1)が別パーツとなっています ●主砲塔部 「50口径3年式 12.7cm連装砲B型」 ×2、「50口径3年式 12.7cm単装砲A型」 ×1 ・ 砲塔は本体部分と砲身部分とで分割されたパーツ構成で、砲身部分は1本ずつに成型されています ・ 砲身部分には防水カバーが再現 ●3連装魚雷発射管 「90式61cm3連装魚雷発射管」 ×2 ・ 魚雷発射管は一体成型のパーツで再現 ●25mm3連装機銃 ×3、25mm連装機銃 ×1 (兵装強化後) ・ 機銃は、連装式に一体成型された銃身部と機銃架との2パーツで構成 ●40mm単装機銃 ×2(兵装強化以前) ・ 機銃は一体成型のパーツで再現 ●爆雷投射器、爆雷装填台 ●前部・後部スキッドビーム ●内火艇、カッター及びボートダビッド ・ 7mカッター ×2 ・ 7.5m内火艇 ×2 ●各種ダビッド ●艦首、艦尾旗竿 ●錨 ●リール など ●駆逐隊の表示と「初霜」の艦名表記を再現したデカールが付属 ・ この表示は、秘匿のために戦争時には消されていました ・ 「初春型駆逐艦」の「有明」「夕暮」の艦名表記も付属しています ●艦尾の艦名表記、「天一号作戦」時に描かれた煙突の菊水マーク、艦尾旗竿に掲げられた軍艦旗などを再現したデカールが付属しています 【 「日本海軍駆逐艦 初霜」のキット内容について 】・ 日本海軍 駆逐艦 初霜 ×1 ・ デカールシート ×2 ・ ステッカー(「男たちの大和」) ×1 【 「初春型駆逐艦」について 】●1928年に竣工した「特型(吹雪型)」駆逐艦は、主力艦の保有制限が決められたワシントン軍縮会議により、制限外である駆逐艦に重武装を持たせる近代的な重武装艦として誕生しました ・ その前の駆逐艦は「睦月型」であり、艦形の変化から、その設計思想の違いが明確に分かります ●1930年のロンドン軍縮会議では駆逐艦を含む補助艦艇の保有制限も決められ、このために「特型」の次型の駆逐艦である「初春型」は、排水量が1700tの「特型」に対し、1400tと小型となりました ●しかし、当時の海軍は攻撃力の低下を嫌い、「特型」と同様な武装を搭載することを要求、更には魚雷に次発装填機能を装備するという、より強力な攻撃力を持たしました ●これにより、「初春型」は、小型の船体に「12.7cm連装砲」2基、「12.7cm単装砲」1基、3連装魚雷発射管3基を搭載、魚雷に次発装填装置を装備するという武装類が満載された状態となりました ・ 小さなスペースに多くの武装を積むために単装砲と魚雷発射管1基は雛壇式に搭載されています ●また、艦橋もその武装に合わせて2段式となり、羅針艦橋の上に、射撃指揮所、発射指揮所などを持った艦橋が設けられました ●ところが、船体上部に武装を多く搭載したために重心が高くなってしまい、1番艦の「初春」は公試試験の際に傾斜時の復元力不足が問題視され、急遽船体側面にバルジを増設して安定性を向上させました ●1934年3月、駆逐艦「友鶴」が演習中に転覆してしまうという「友鶴事件」が発生、これにより帝国海軍の攻撃力重視思想による復元力の不足が明白となり、海軍全体規模で艦の武装の見直しが行なわれました ●「初春型」の排水量に割合における重武装性は明らかで、竣工していた「初春」「子日」は改装を受け、竣工に至っていない各艦もそれに準じた変更が行なわれました ●この改装により、艦橋が1段化、3番魚雷発射管は撤去、艦橋前の雛壇に装備されていた単装主砲塔は艦尾に移設され、全体の武装関係も低位置に変更されています ●これにより、艦の安定性が向上し、艦形も落ち着いたものとなりましたが、帝国海軍が目指す艦隊型駆逐艦としての武装能力に及ばず、以後の駆逐艦はより大型となっていきました 【 駆逐艦「初霜」について 】●駆逐艦「初霜」は、初春型駆逐艦の4番艦として1934年9月に竣工、太平洋戦争開戦時は第1水雷戦隊第21駆逐隊に所属、日本近海での対潜水艦任務に従事しました ●1942年には南方作戦に参加、「ケンダリー」「マッカサル」攻略作戦や「バリ島攻略作戦」などの任に就きます ●その後、活躍の場を北方に移し、「アリューシャン攻略作戦」に参加、以後千島地方の船団護衛任務に従事、1943年3月には「アッツ島沖海戦」、同年7月には「キスカ島撤退作戦」などにも参加しました ●1944年に入ると、再び南方への任務に就き、6月の「マリアナ沖海戦」への参加の後、船団護衛に従事、10月にはレイテ島への逆上陸作戦の護衛を行ないます ●その後、航空戦艦「伊勢」、「日向」などと共に絶望的な輸送作戦である「北号作戦」に参加、無事に任務を全うし、作戦は成功します ●1945年4月には、戦艦「大和」と共に「沖縄特攻作戦」に参加、この作戦で「大和」や軽巡洋艦「矢矧」などの艦艇を失い、作戦は果たせませんでしたが、「初霜」は生存者を救出して帰投することができました ●その後、燃料の不足から連合艦隊の艦艇は行動が出来なくなり、「初霜」も宮津沖で砲術練習艦として砲台代わりとなりますが、7月のアメリカ軍の航空機攻撃の際にアメリカ軍の磁気機雷に触雷して大破、歴戦の武勲艦としての一生を終えています
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