日本海軍駆逐艦 時雨・五月雨 (白露型 前期型最終時) (プラモデル)フジミ 1/700 特シリーズ No.081 スケール:1/700
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「日本海軍駆逐艦 時雨・五月雨 (白露型 前期型最終時) プラモデル (フジミ 1/700 特シリーズ No.081 )」です●帝国海軍の中型駆逐艦「白露型 前期型」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キットで、対空兵装が強化された「最終時」の姿が表現されています ・ 「白露型 前期型」の「最終時」のパーツ(「時雨」と「五月雨」)が2隻分セットされています 【 駆逐艦「白露型」について】●帝国海軍は、艦隊戦用優れた攻撃力を持つ大型駆逐艦「特型」を1930年から続々と竣工させますが、ロンドン軍縮条約により駆逐艦にも保有制限が行なわれるようになり、制限枠を超えない範囲で有効な戦力を持つために作られたのが中型の駆逐艦「初春型」でした ●この「初春型」は、「特型」よりも一回り小さな船体となっていましたが、攻撃力は「特型」を超える(主砲の門数は少ないものの、魚雷の再装填機能を持つ)能力を持っていました ●ところが、水雷艇「友鶴」が転覆してしまうという「友鶴事件」が発生、これは武装関係の装備を、船体の規模以上に積んだために起こったもので、帝国海軍の全艦艇に対して見直しが行なわれています ●この結果、「初春型」の装備する武装によるトップヘビーは顕著であり、同型は武装の撤去などが実施されました ●「白露型」は、「初春型」の次に建造されたタイプで、武装を減らされた「初春型」をベースとした改良拡大型の中型駆逐艦です ●「友鶴事件」の教訓から、主砲の搭載門数は改造された「初春型」と同じ5門で、船体も強度と復元性が充分に確保されていました ●ただし、魚雷兵装は増強されて4連装魚雷発射管が2基装備されています ●「白露型」は、1番艦の「白露」が1936年に竣工、合計10隻が建造されます ●事前の計画では、「白露型」はもう10隻建造される予定でしたが、中型の駆逐艦では帝国海軍が求める駆逐艦の攻撃力には及ばず、この10隻はキャンセルされ、その代わりに大型駆逐艦である「朝潮型」が登場することとなりました ●なお、「白露型」は「前期型」6隻と「後期型」4隻とに分類され、「前期型」は船体の建造中に「友鶴事件」による設計変更を受けたために、構造的に継ぎ接ぎされているのに対し、「後期型」では新設計によりスッキリとしたものとなっています ・ 「前期型」は艦橋下部前面が角張った形状、「後期型」は丸みが有るのが外観上の大きな違いです ●また、1942年末頃から順次、船体中央部の機銃が「25mm連装機銃」もしくは「25mm 3連装機銃」に換装、更に1943年には艦橋前部に機銃座が設けられています ●そして、1944年の中頃には、第2番主砲塔を撤去して機銃座を増設、この状態が「白露型」の「最終時」となります 「駆逐艦 時雨」について ●「時雨」は、「白露型」駆逐艦の2番艦として1936年に竣工しました ●同艦は、1942年5月の「珊瑚海海戦」に参加、次いで「ミッドウェー海戦」にも加わりましたが、機動部隊の壊滅により作戦中止命令を受けて帰還しています ●その後、ソロモン海域に配備され、ガダルカナル島への輸送任務に従事します ●1942年11月の「第3次ソロモン海戦」に参加、アメリカ巡洋艦隊との死闘を繰り広げ、同艦隊に大打撃を与えますが、自身も損傷してトラック島に帰還します ●1943年には、多くの護衛任務と輸送任務に従事、「べラ湾海戦」「第1次、第2次ベララベラ海戦」にも参加、アメリカ軍に対して大きな戦果を挙げ、優秀艦として認識されるようになります ●更には11月の「ブーゲンビル島沖海戦」に参加、不利な状況下で帝国海軍側の艦艇の大部分に被害が発生する中、「時雨」は無傷で生還しました ●1944年6月、「マリアナ沖海戦」に参加、海戦自体は航空決戦で、同艦は航空攻撃による損傷を受けて内地へと帰投します ●水上決戦となった同年10月の「レイテ沖海戦」では、南翼からレイテ島沖に進出した「西村艦隊」に配属されており、夜間戦闘においてアメリカ艦隊からの猛攻を受けて艦隊が壊滅する中、唯一の生存艦として生還を果たします ●ところが1945年1月、輸送船団を護衛中にアメリカ潜水艦の攻撃を受けて被雷、「駆逐艦 雪風」に並ぶとも言われた武運に秀でた「時雨」でしたが、その姿を波間に消しています 「駆逐艦 五月雨」について ●「五月雨」は、「白露型」駆逐艦の6番艦として1937年に竣工しました ●同艦は、太平洋戦争が開戦すると南方に派遣され、フィリピンやインドネシア方面の攻略作戦に参加、また「スラバヤ沖海戦」にも参戦しています ●1942年の秋からは、ソロモン海域へと配備され、ガダルカナル島への輸送任務に従事、1942年11月には「第3次ソロモン海戦」に参加してアメリカ艦隊との激闘を展開します ●1943年には、ガダルカナル島からの撤退作戦、各地への輸送任務に従事、更には千島方面のキスカ島からの撤退作戦にも参加しました ●1943年11月、「ブーゲンビル島沖海戦」に参加、同艦は損傷して内地へと帰投します ●修理が完了すると、各地への輸送船団の護衛任務に就き、1944年6月の「マリアナ沖海戦」にも参加します ●その後、フィリピン方面の輸送任務に従事していましたが、1944年8月にパラオ諸島で座礁、その座礁中にアメリカ潜水艦の攻撃を受け、その生涯を閉じています 【 「日本海軍駆逐艦 時雨・五月雨 (白露型 前期型最終時)」のキット内容について 】●この帝国海軍の駆逐艦「白露型 前期型」の「最終時」を再現したプラスチックモデル組立てキットです ●「白露型駆逐艦」の「前期型」となる「駆逐艦 時雨」「駆逐艦 五月雨」を「特シリーズ」のフォーマットに準じシャープ且つ細部表現を重視して再現、船体の前後に連装式の主砲を配置し、後部の単装主砲を機銃座へと変更した「最終時」の姿を再現した内容となっています ●キットは、フジミ社製「日本海軍駆逐艦 白露 (白露型前期型武装強化時) (白露・春雨 2隻セット)」をベースとして、「最終時」を再現するために機銃座、中央構造物、マストなどの新規パーツを追加したバリエーションキットとなります ●艦体喫水線までが再現されたウォーターラインモデルです ●「白露型」は、後部上甲板が一体成型された船体部と、船首楼甲板部との上下分割式となっています ・ 艦体部は一体成型のパーツで構成され、喫水線部分までが再現されています ・ 艦体の舷外電路、舷窓が再現、舷窓上部の雨樋も表現されています ・ ウォーターラインモデルに欠かせない船体下を塞ぐ平らな船底パーツが付属、オモリとなるバラストも付属しています ●上甲板は、船首楼部分と、船体に一体成型された後部甲板とに分割されています ・ 甲板上には、リノリウム押さえ、滑り止め、魚雷運搬用レール、リール、ボラード、アンカーチェーンなどが繊細なモールドで再現 ・ 主砲台座が甲板上に表現されています ●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「魚雷発射管」「煙突部」「中央構造物」「後部構造物」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます 「白露型」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています ●艦橋 ・ 艦橋の主要部分は、5パーツ(艦橋窓含む)で構成、トップの方位盤、測距儀などは別パーツとなっています ・ 艦橋の窓の部分は別パーツです ・ 艦橋下部の舷窓、扉などのディテールがモールドで再現されています ・ 艦橋前の機銃座は、機銃座本体と支柱の2分割式 ・ 「25mm連装機銃」 ×1 ●メインマスト、後檣 ・ メインマストと後檣は三脚檣型となっており、それぞれ前後分割式です ・ メインマストに装備される「13号電探」 ×1、「22号電探」 ×1が付属 ● 第1煙突・第2煙突 ・ 煙突トップ部は別パーツ化され、本体部分は左右2分割式です ・ 蒸気捨管、缶通風筒、排気筒は別パーツ化されています ●機銃台座 ・ 第2煙突前部の機銃台座は、台座本体と支柱部分との分割式です ・ 単装主砲撤去後の機銃台座は一体成型で、上部の滑り止めパターンがモールドされています ・ 「25mm3連装機銃」 ×3 ●中央構造物 ・ 中央構造物は、煙突の台座部分と予備魚雷格納庫が一体成型されています ・ 中央構造物下部は3パーツで構成され、側面のドアもモールド再現されています ・ 探照灯台座は別パーツにて再現 ・ 90cm探照灯、方位測定器は別パーツです ●後部構造物 ・ 後部構造物は一体成型となっており、測距儀、通気筒は別パーツです ●主砲塔部「50口径 3年式 12.7cm連装砲 C型」 ×2、 ・ 砲塔は本体部分と砲身部分との分割式で、砲身部分は1本ずつに分割成型されています ・ 砲身部分には防水カバーが表現 ●4連装魚雷発射管 「92式61cm 4連装魚雷発射管」 ×2 ・ 魚雷発射管は、本体部分とシールド部分とに分割されています ●爆雷投射器、爆雷装填台 ●爆雷投下軌条 ●前部・後部スキッドビーム ●内火艇、カッター及びボートダビッド ●各種ダビッド ●艦首、艦尾旗竿 ●錨 など ●艦尾の軍艦旗を再現したデカールが付属 ●2013年 一部新金型
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